第27話 褒美をつかわす

 御影が傾斜になった小さな堤防を駆け下りた。猛禽を思わせる跳躍を繰り返し外套を翻す。日本刀片手にさつと――。乾ききり十字に割れた硬い泥中に飛び込んだ。



「お嬢様、私が援護しますッ!」

「――ありがとう!」



 ミエコは御影を追うように小型拳銃ベストポケツト片手に堤防を駆け下りた。汗まみれのブラウスが風を孕み、僅かばかりの清涼感が肌を駆け巡る。器用に転ばぬよう駆け下りた先で、先に怪異の脇に回り込んだ御影が「こっちだぞ、化け物」と声を荒げた。



 御影の声が届いたのか、怪異はのそりとかおを向ける。緩慢に上体を捻りながら、額にあるしようじようの単眼が、赤く赤く輝きを放ち始める。



 ――が、往時の勢いは既に無い。

 御影は外套を盾代わりに、いとも簡単に怪異の熱波を遮った。



「そこッ!」

 間髪入れず。

 堤防上で膝立ちになった志乃が掛け声と共に発砲した。

 自動小銃フェドロフM1916の重い銃声が二発連続して響き渡り、寸分の狂い無く怪異の太もも、左腕に命中した。微かな白き光環クラウンが瞬き、獣らしい悲鳴を上げる。



 思わぬ所から攻撃を受けたのか、怪異は視線を右往左往させ、敵を探す。しかし虚しく視線は流れるばかり。伊沢の迷妄術式に惑わされ、眼で穿つべき相手を見定められないようだった。



「――隙だらけだ」

 間合いを上手くはかりながら、御影がぼつりと呟いた。空かさずに、霧を裂くように大きく振りかぶった右手の白刃が、稲妻の如く振り下ろされる。



 ――ぎぃぃぃッ!

 銃撃を喰らった時のような絶叫が三度響き渡る。仄白き光陣の残影を残す一刀の斬撃。



 だが、浅い。

 すんでの所で本能的に躯を捩らせた怪異の臓腑には届かない。それでも目的には十分だった。怪異の目、躯は後ろに回っていた御影に振り向かれる。



「今だ、お転婆娘!」



 怪異越しの叫び。呼応するのは小さな拳銃を握り締めた御転婆少女。ミエコは無防備に背中を晒す怪異に銃口を向けていた。



「――仕留めるッ!」



 念じる。

 あの時大蝦蟇のように。

 繰り返した修練のように。



 拳、指先から溢れる白き輝き、きよはらえが小さな小さな拳銃の弾倉、銃弾に伝わっていく。両手でしつかりと握把グリツプを握り締め、小さな溝を照準に力を込めて引き金トリガーを引く。スターターピストル号砲・信号器のような軽い銃声を、タン、タン、タンとリズム良く――。

 薬莢が小気味よく虚空へ飛び出し、硝煙が風に流れる。硝煙の香りがミエコの鼻腔をくすぐった。



 玩具のような銃から放たれた銃弾は、僅か3メートル先の怪異、その背中と頭部に吸い込まれるように命中していく。着弾の度にハッキリと視認できるほどに光環クラウンがバチバチと輝き弾け、清祓の力が怪異と衝突する。志乃や御影の銃弾に施されたでは、まとに認められなかった光環――、である。



 怪異を挟んだ向こう側で、下段脇構えに刀身を降ろしていた御影が「ほぅ」と意外そうな声を漏らしたが、ミエコには届いていなかった。



「ギ――、ギィ……」

 背中より胸部、後頭部を撃ち抜かれた怪異は、力無くその場に膝を突いた。

 間もなく前方に倒れ込む。

 その瞬間だった。



「貰うぞ」

 向かって正面に倒れかかってきた怪異の首めがけ、地から天へと一閃に斬り上げた。でんいつせん――、打ち上げるように繰り出された刀身に、怪異の首が蹴られたまりのように天高く撥ね上がった。



 見上げれば――。

 虚空をくるくると回る――首。

 単眼の赤い残影が濃霧に軌跡を浮かべ、一瞬の静寂の後、ドサリと墜落した。



「……こ、今度こそ」



 終わった、はず。

 奔流となった情動が水を打った静けさに溶け込む。呆然と銃口を下げたミエコがついの言葉を漏らすまでもなく、御影が背に隠し持っていた革袋を取り出し、堕ちた怪異の首を雑然と放り込んだ。残された毛むくじゃらの遺骸は、嫋々たる微風に揺らぎながら、砂のようにさらさらと崩れていく。



「此で仕舞いだ。約束通り首は貰う。



 御影なりのねぎらいの言葉である。未だ途切れぬ緊張の中に居たミエコには、ごうも届かぬささやかな気遣い。池全体を覆っていた熱い濃霧が俄に風に流れ初め、薄ぼんやりと夏の太陽の光線が届き始めた。



「お嬢様、やりましたね!」

 自動小銃を肩にかけながら、志乃が堤防を駆け降りてきた。滲む汗をものともしない、晴れ渡る笑顔に漸くミエコは意気を取り戻した。

「あ、ありがとう、志乃」

 色々な汗をブラウスの袖で拭い、ぎこちない笑顔を向けた。



「良くやりましたね、ミエコさん」

 ひらひらと。

 風に乗って志乃の肩の上に人形がぺたりと乗った。よいしょ――と起き上がると、何やらごにょごにょと志乃の耳に耳打ちをしている。、志乃の笑顔が僅かに崩れ、俄に神妙な顔付きに転じた。



「……お嬢様、これを」

 志乃がポケットをゴソゴソとまさぐった。取り出したのは赤い紐。掌に広げると、ミエコが不思議そうに覗き込んだ。



 赤い、――真田紐。

 よく見れば、小さな宝石が括り付けられた腕輪のようだ。

「怪異を討伐したアナタに、からの贈り物です。腕でも何処でも良いので、身につけてください」



 赤の紐帯にへきしよくが鮮やかだ。

 だが、只のプレゼントではあるまい。伊沢の勧めにミエコはいぶかしく眉をしかめながらも、志乃から真田紐を受け取ると、素直に左腕に潜らせた。



「……で、これは?」

 何の意味が。

 問いが口から漏れる直前だった。



『万事抜かりなく、ようやった』



 突如。

 脳内に木霊するのは妖艶な女の声。

 ――間違うはずもない。

 少女の面を般若の面に隠した、滝夜叉姫の声だった。



「こ、――これは⁈」

 脳味噌に直に電気が走るような言葉の波が襲いかかる。

 余りにも奇妙な感覚。だが近しいものなら、確かにあった。

 神保町で遭遇した怪異のいななき。ミエコの狼狽を無視するように、滝夜叉姫は『伊沢、説明せい』と言葉を続けた。人形ひとがたが言葉ではなく、脳髄に染みる言葉をかなでる。



『それはことだまいしです、ミエコさん。古来よりこの星に存在する、霊的物質マテリアル。西洋の方では霊的分離不能石エンタングルメントストーンと呼んでいるようですがね。基本的な効用としましてはですねぇ、身につけた者同士、ある程度の距離であれば言葉を発しなくとも、念話が可能になる代物です。理論上ですが、術や技術によっては地球の裏側までも届きますよ』



 ――(弁士崩れの割には)端的じゃない。

 念話なら心の呟きすら伝わってしまうのではないかと、直感的に言葉を濁した。



『これで「羅刹」も戦力が増えたな』

 御影大佐の冷徹な声にミエコが振り向き、言葉を掛けようとしたが滝夜叉姫に遮られた。

『――ともあれ、これでお主も「羅刹」のともがら、一員じゃ。志乃共々、今後とも精進せいよ』



 労い。

 戦いは終わった。

 だが、怪異との戦いは今始まったに過ぎない。滝夜叉姫の言葉に志乃を見上げる。憑き物が落ちたような楚々とした笑顔で、彼女は目を瞑った。



『これからもよろしくお願いします、お嬢様』

『――よろしくね、志乃』

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