第25話 ひでりがみ

 凍り付いたあわひ怪異との距離に躯を踊らせたのは、御影大佐だった。

「先手必勝――」



 抑揚無い呟き。腰のホルスターから十四年式拳銃をさつと取り出し、即座に片手撃ちで連続発砲した。西洋の自動拳銃オートマチツクと比べると頗るエキゾチックな独特の拳銃。黒光りする銃身から、タンタン――、と小気味よく乾いた銃声が響き、カーキ色の外套が翻った。



 距離にして数十メートルも離れている。

 当たるはずもない――、とミエコは高をくくっていた。



 地下修練場で撃っても撃っても、拳銃ではまとに当たるのは十数メートルまでだ。それ以上は余程の強運か名人芸――と視線を御影の銃口から、遠くに佇む怪異に流した。

 泥山の上で巨眼の怪異がぎようぎようしく仰け反り、悲鳴を上げていた。



「嘘ッ⁈」

 小型拳銃ベストポケツトを構えながら、左に距離を取りつつある御影に驚きの貌を向けた。



「お嬢様! こちらです!」

 志乃も追撃の手を緩めない。彼女はミエコを庇うよう、少しずつ体を寄せながら立射姿勢で発砲を開始した。



 バタンッ、バタンッ、バタン!

 割れんばかりの銃声に思わず躯が引き攣った。地下修練場でボルトアクションの小銃ライフルは撃ったことがあるが、重すぎるし一発撃つだけで衝撃が強烈――、その脳裏にこびり付いた印象を拭うように、メイド服の志乃は軽々と自動小銃フェドロフM1916を扱っている。



 ――凄い。

 それどころか。

 発砲に合わせ、怪異が三度大きく仰け反っている。着弾時に白い靄のような光が弱々しく放たれるが、日の光に紛れ良く見えない。



「当たってるの……」

 あれだけの反動を制御し、数十メートル先の人間程度の大きさに次々と撃ち込んでいる。まるで幻惑に魅せられるが如く、ミエコの銃口が僅かに下がった。



 毛むくじゃらの異形が、もんどり打って倒れようとしている。夏の光線を浴びて踊る様は、りよがいの美すら感じさせる。怪異は低く悲痛な叫び声――いのししにも似たきようかんを繰り返し、呆気なく泥岩の上、仰向けに倒れ込んだ。



 ――お、終わったの?

 残されたのは、とした夏の空気ばかり。

 だが――。



「来るぞ」

 御影大佐が手際よく十四年式拳銃の弾倉マガジンを交換しながら、ぽつりと呟いた。



 途端に響き渡ったのは絶叫。

 雄叫び、かんせいに似た大音声だいおんじようを撒き散らしながら怪異がむくりと立ち上がった。



 その眼――赤々と腫れ上がった患部のような、見る者におぞを走らせる血塗れの単眼が、怒り狂ったように煌々と輝きだした。

 真昼の夏でもハッキリと視認できる。

 異常を認めた途端、瞬きする間もなくミエコは叫んだ。



「あッ、……熱いッ!」

 熱波。

 焚き火の熱が離れても肌を焦がすように、怪異の方向から熱を伴う敵意が襲い掛かった。

「お嬢様!」

 志乃が空かさずミエコの盾になる。爆発的ではないと言え、夏にたつを付けている様な錯覚を覚える程に、熱い。

「……まさか」

 御影が薄手の外套を盾代わりにしながら、意外そうに呟いた。



 数秒も経たず、さらなる異変が起きた。

 志乃の肩越しに眼を細めて見れば――、泥岩の前に残されていた泥水の池がグラグラと煮立つように泡立っているのが見えた。



 ――池が。

 ――池が煮立っている!



 驚くのも束の間、短兵急に炸裂音にも似た轟音を静穏なほとりに響かせ、残った泥水が爆ぜ散った。

 水だけではない。泥水が突沸し、膨大な量の湯気が弾け、湖底の乾いた泥が粉塵状に舞い上がり、池全体を覆うように勢いよく広がった。熱風が肌に襲いかかり、志乃のスカート、御影の外套がバタバタと風に瞬く。



「なッ、何なのッ!」

 突風が寸時収まり、目を開くと――茶ですすけたような濃霧。視界いっぱいに広がっていた池を覆うように、熱く湿ったもやが覆っている。夏の日差しすらものともしない、煙幕じみた怪異由来のヴェール。



 ――見失った。



 ミエコが銃口を僅かに震わせながら志乃の前に出た。池の端を見ても見通しは頗る悪い。じようじようたる山風では、この霧は晴らせない。戦機を失い、静かに唇を噛んだ。



「……岩の前に残された泥水。面積比でも微々たるものだが、湛えていた水量はそれでも相当な量だろう。さか、高熱量を叩き込み、小規模の水蒸気爆発を起こすとはな――、ふむ、凄いものだ」

 矢張り抑揚がない。

 御影はあの熱線と熱風を浴びたにも拘わらず、酷く涼しげで汗一つかいていないのも相変わらずである。口の端を僅か歪ませ、拳銃をホルスターに仕舞った。 


 

「……気象を操る怪異。恐らくばつだ。本邦では『ひでりがみ』と呼ばれているヤツだろう。伝承ではあれほど大きくないはずだが……、何かに影響を受けたのだろう。いずれにせよ、これほど強力な力を発揮するならば――是非とも



のんなことを言ってる場合ですかッ!」

 志乃が珍しく怒声を荒げた。



「お嬢様、敵は何処から来るか分かりません。私の傍を離れないでください」

「わ、分かったわ。でも、如何どうすれば……」

 熱に当てられ、ジリジリと汗だけが噴き出る。何処から来るか分からないという事が、これほど怖ろしい事だとは――、ミエコの背筋に冷や汗が流れた。



「何はともあれ距離を取ることです。この霧が晴れるまで一時退散するのも手です、お嬢様」

 自動小銃を構え周囲一帯に視線を流しながら、後退を促した志乃であったが、辺り一帯に立ち篭める霧を見る限り、然う上手くは行きそうにない。



「三十六計逃げるにかず。しかし、――な」



 池を囲む森林。

 来た道を戻ろうにも、妖しげな霧はあいあいとして後ろにも伸び、道を見通すことすら出来ない。左右の雑木林からは、何者かのさざめき、蠢き。もはや野生動物か、件の化け物かも判別できそうにない。



「覚悟を決めるんだな、てんむすめ

 御影がするりと腰に下げた日本刀を抜刀し、白刃を虚空に掲げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る