第2話
隣国のトリカディールと水利権を巡る闘いが、ちょうど半年前に起こった。
エレトリカ国内を流れる大河ナヨーレ川の水源である山脈がトリカディールの領地であると、トリカディールの即位したばかりの王が主張してきた。
もともとはエレトリカ側にあった川の始まりに当たる場所が、最近山崩れが起きて地形が変わった。
それが我が領土側にある、当然我が国からこちらへ流れているのだから、その費用を払えと言ってきたのだ。
生きるために、そして穀物を育てるためには、水は必要不可欠。エレトリカ側は、当然抗議した。もともと山脈の国境はあやふやなこともあったので、トリカディールの領地と言い切るのはおかしいと。昔の地図や文献を根拠に反論した。
しかし、話し合いでは埒があかず、トリカディール側の一方的な交戦宣言に、エレトリカ側も迎え討った。
ジゼルの離縁も、その戦争がもうひとつの理由であった。
バレッシオ公国は、トリカディールとも繋がりがあり、敵国の王女となるジゼルが邪魔になったのだった。
子を産めない嫁と、大事な外交相手とを天秤にかけ、姑はジゼルを切ったのだった。
「ジゼル、待っていてくれ。いつか迎えに行くから」
ドミニコは憔悴しきって国へ戻ろうとするジゼルに、そう言ってきた。
優しいと思っていたのは、ただ気が弱いだけ。
母親に頭が上がらず、ジゼルの悪口を言う母に何の抗議もできない夫。
廊下ですれ違った愛人たちはあからさまにジゼルを馬鹿にした視線を投げかけ、聞こえるように「石妻」と呟く。
使用人達もあんなに「大公妃様」「ジゼル様」とジゼルに懐いていたのに、殆どが愛人たちに寝返っていた。
その辛さを吐き出せる相手もおらず、辛さをどんどん溜めていった。
それがさらに体調不良を加速させた。
今でも影でコソコソ話している場面を見ると、たとえジゼルのことでなかったとしても、その時の情景が浮かび上がり、悪夢にうなされる。
それと同時に、ドミニコからの暴力も蘇ってくるのだった。
「大丈夫よ。大事な日だもの、欠席するわけにいかないものね」
「ジゼル様、ご無理なさっていらっしゃいませんか?」
メアリーは心配そうに鏡越しにジゼルを見つめる。
「今日一日頑張ればいいのだから、無理していないわ」
「では、少しでもご気分がすぐれないと思われたら、遠慮なくおっしゃってくださいね。すぐそばに控えておりますから」
「ありがとう」
こうやって気遣ってくれ、心配してくれる人がいる。それだけでジゼルは心強く思う。
公国での最後の数年間は、弱音を吐いたりする相手もおらず、一人で耐えていた。
支度を終えたジゼルは、宴の会場へと向かった。
ジゼルの部屋は王宮の居住区の中でも最奥にある。
そこから回廊を通り過ぎ、庭園を横に見ながら行く。
「もう、春も終わりね」
風に乗って運ばれてくるのは、薔薇の花の香り。
ここに戻ってきたのは冬半ばの頃だった。
「結局、私は何も成すことが出来なかったわ」
幼い頃走り回った庭に、かつての自分の幻影を見ながら、無邪気に笑っていた頃に思いを馳せる。
王位を継ぐために頑張ってきた。
それは弟の誕生と共に中断された。
そして嫁いだ先で、気持ち新たに頑張ろうと心に決めていた。
ドミニコを心から愛することはなかったけど、学んできたことを活かし、共に公国を発展させていければと思っていた。
けれど、良かれと思って提案したことも、小賢しいと否定された。出しゃばらず、ただ夫に従っていればいいときつく言われた。
大公妃の務めは次代の大公となる男子を産むこと。
しかしそれさえも出来ず、こうして出戻ってきたのだった。
「この先、私はどう生きていけばいいかしら」
このままずっとここにいるわけにもいかないだろう。
いずれ弟も結婚して妻を迎える。
その時に、一度結婚して失敗した義理の姉がいつまでも居座っていては、気分良くないだろう。
いずれまた誰かの元へ嫁ぐとしても、子どもを産めないジゼルでは、後継ぎを望む男性は忌避するだろう。
子どもが産めなくてもいいとなれば、相手はジゼルに子どもを望まない人になるに違いない。
ジゼルはまず、父達の待つ部屋へと向かった。そこで合流して共に宴が開かれる大広間へ行くことになっている。
「ジゼル様」
扉の前に立つ見張りの騎士が、ジゼルに頭を下げ扉を開けた。
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