きみの隣〜夢の中で逢いましょう〜
槙野 光
1.優しい時間
年の瀬。大晦日を前日に控え、俺は橙色の炬燵布団で暖を取りながらユヅルと一緒に時を重ねていた。
円形の台の上には、朱色に包まれた漆器調のどんぶりがふたつ。
どんぶりを見下ろすと、透徹とした黄金色のつゆの中で甘く煮付けた狐色のお揚げが半熟卵の冠を被り、王様の如く鎮座している。お揚げを囲うように散らした揺蕩う若葉色の小ネギは、まるで風に吹かれた緑葉のようだ。
斜めに座したユヅルがどんぶりを前に手を合わせ、「うどんの森の王様みたいだね」と瞳を爛と輝かせる。
白い湯気が立ち上る度、懐かしくも優しい鰹節の香りが鼻腔を擽った。
今年の年末年始は長い。
仕事納めはとうに過ぎて、明日で『今年』も終わる。今日の夕飯は、ユヅルのリクエストだ。
「大晦日は年越し蕎麦を食べるから麺類が続くぞ」とユヅルに言うと、
「分かってないなあ、タケさんは。うどんと蕎麦の食べ比べが楽しいんだよ?」
なんて胸を張って言う。
「そんなもんか?」
首を捻りながらユヅルに訊くと、ユヅルは口いっぱいに頬張ったうどんを咀嚼して、さも当然のような顔をして深く顎を引く。
「そうだよ? 知らなかったの?」
釈然としない気持ちになりながらもユヅルが楽し気な顔をして笑うから、胸の中に漂っていたモヤモヤは瞬きの間にどこかに吹き飛んでしまった。
「あっ始まったよ」
眼前にある液晶の中に煌びやかな世界が広がり、今年の流行曲がミュージカルのように曲調を変えながら次々に移り変わっていく。
ユヅルはうどんを啜っては頬を緩ませ、音楽を聴いては瞳を輝かせる。ころころと忙しなく切り替わるユヅルの表情は多分、どんな華やかな舞台にだって負けないくらい賑やかで、その姿を眺めているだけで心に灯がともされていくようだった。
「――タケさん、今年もお世話になりました」
小休憩代わりに映し出された日光山輪王寺のコマーシャルを眺めていると、ユヅルがこっちに顔を向けて軽く頭を下げる。
「大晦日は明日だぞ? 早くないか?」
俺がふっと小さく笑みを溢すと、顔を上げたユヅルが「早くないよ」と目元を緩ませて笑みを覗かせる。
「だって毎日言ったって言い足りないんだから。だから、ちっとも早くなんてないよ」
ユヅルの言葉が胸の奥に沁み込み、喉元に生まれた暖かな熱が心を包み込んでいく。優しく痺れるようなそれに言葉を紡げずにいると、柔く微笑んだユヅルが俺の代わりに言葉を紡ぐ。
「タケさん、今年も俺の隣にいてくれてありがとう。……俺ね、タケさんといると胸の中がぽかぽか暖かくなるんだ。だからどんなに冷たい雨に降られたって、タケさんがいるからちっとも辛くないんだよ? だから明日も明後日も――年が明けても、俺とまた一緒にいてください」
「……ユヅル」
滲んでいく熱を堪えるように、ぐっと喉元を上下させる。そしてユヅルを真っ直ぐに見据えて、深く顎を引いた。
「――そんなの、当たり前だろ」
力強く言うとユヅルは目を細めて顔いっぱいに笑い、そしてまた、音楽番組に顔を戻した。
「あっ見てみて! タケさんの好きな曲だよ!」
俺の右袖を指先でつまみ、引っ張りながらユヅルが言う。瞬きの間に日常に戻るユヅルに「ありがとう」と言いたくて口を開こうとするけれど、ユヅルが体を揺らしながらリズム下手な音楽を鳴らすから、そっと口を噤んで少し伸び始めて柔らかくなった麺を啜った。
どんぶりから、湯気はもう見えない。温度を下げたそれは出来立てよりも確実に味が落ちている筈で。
それなのに、一口目よりも優しい味がした。
ユヅルと過ごしていると、あっという間に『今』が過ぎていく。『明日』もきっと駆け足で過ぎていって、こうやって、一秒後が過去になっていくんだろう。
でも、怖くはない。
変わってしまうものは沢山あるけど、変わらないものもきっと沢山あるから。
きみがいれば、輪郭のない未来だって輝くんだ。
――ユヅル、いつもありがとうな。
心の中で呟いて、ユヅルと一緒に音楽に耳を傾ける。そしてまだ見ぬ『明日』に想いを馳せ、ユヅルと共に大晦日を迎えた。
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