女神の帰還 18
久し振りに起こされて、那人は不思議に思ってその場所を訪ねていた。氷の天井が砕け落ち、道は割れ、生きているものが歩ける場所ではなかったけれど、特に気にせずに現れた。散歩でもしているように、のんびりと。
惑星の崩壊が迫っているのだ、ということは降りた瞬間からわかっていた。尤も、重力崩壊を起こしていく直中を、歩いている辺りの非常識さは、特に気にしてもいなかった。普段なら気をつけなくてはならないだろうが、いま目撃されても目撃談を話すことのできるものが残らない。実際既に、生きているものなどいないようでもあった。
那人は、のんびりと歩いて、神殿に着いた。
破壊の僅かに留められた様子は、地盤の強固な場所に建つことと、その堅牢さに寄って来るものだろう。
那人は気軽に時間を止めて、―――実際、既にこのままほんの少しでも時間を経過させていたら、目的の対象が潰されてしまうのはわかりきっていた―――神殿の落ちかかる天井や柱を避けて近付いた。
那人の黒瞳を、射抜く鋭さで見つめる存在があった。
銀髪の長い少女の姿をしていた。
腕に、小さな子供を、金髪の少女を抱えていた。
鋭い瞳が那人を射ていた。
「きみは、――そう、名前はリ・クィア・マクドカル。この子供は、リ・ティア・マクドカル。では君が、僕を呼んだんだね。随分と久し振りなのだけれど、―――人に呼ばれるのは。僕も眼が醒めたばかりでこの辺りの事情がよくわかってないんだけど。ああそうか、君は巫女なんだね、それで僕を呼んだのか。―――…ひとに神として呼ばれる何て、随分久し振り過ぎて実感わかないなあ。」
銀髪の少女に額に指をさしのべ、軽くふれる間際に留めていう。
「さてそれでも、呼ばれたわけだし。訊いてみる必要があるかな。」
いうと、静かに指をふれる。
「…――君の望みはなに?リ・クィア・マクドカル。」
静かに闇が見つめる先で、リ・クィア・マクドカルは、銀髪の少女は藍色の瞳に、那人を捉えていた。
沈黙が降りる。周囲の降り続けていた瓦礫は、おかしなくらい当然のように動きを止め、いままで奈落に総てを叩き込む激しさで鳴っていた震動は、かけらも姿をみせない平穏にリ・クィアは瞳を開いた。藍色が激しく那人を見つめて煌く。
「状況がわかりにくだろうから解説するね。君はいま死ぬところ。僕が時間をとめてるけど、流れ出したらその流れには逆らえない。このまま死にます。」
凝視しているリ・クィアに、淡々と説明していく。
「僕は君達の説明だと神様なのかな、それとも悪魔なのかな、あんまりよくわからないんだけど。どちらにしても君に呼ばれて訪れたから、君の願いをひとつ叶えます。願いはひとつだけ。それから、代償をひとつ。ひとつのねがいにひとつの代償。わかったかな?理屈は。」
無言で見る藍色の瞳に、首を傾げる。
「どう?願いは無い?それとも適応しきれてないかな?此処まで僕を呼ぶくらいだったら、それくらいの適応はしてくれると踏んでるんだけど。あ、でも、単なる火事場の馬鹿力ってあるよね。生命体にはときどき。生きてるものって不思議だよねえ。僕さ、いつも思うんだけど、君達、世界を生きるものって、世界の法則にしばられていて、物凄く一瞬の命なのに、なんていうか、タフなときってあるよね。よくわからないんだけど。ぼく、時間とか世界とかの流れに沿って生きてないから。不思議だよね、世界とか、生き物とかって。」
ね、と訊く形は少年に見える、――黒髪黒瞳の、極普通の少年に見える那人を前に、擦れた声でリ・クィアは、口にしていた。
「望みを、叶えるのか。」
「あ、理解してくれた?ちゃんと代償は頂戴ね。ルールだから。」
「ルール…?」
いうさまが如何にも少しばかりうれしそうで、あきれながらリ・クィアは口にする。
「うん。僕達はあんまり世界に降りていってはいけないんだよね。あまり影響を与えると、世界自体が潰れるから何だって。ま、確かにそうだよね。世界って、脆いし、すぐに燃え尽きちゃうし、幾つもあるけどやっぱりさ、だからってどれか壊していいなんてことにはならないだろうしね。中に沢山の命が生きてるとなればなおさらちょっと触ったくらいで潰れちゃったら寝覚めが悪いでしょ?だから気をつけてるんだけど。今回、僕呼ばれたし。」
「呼ばれた…?」
いっていることの半分処か殆ど理解出来ない上、どうにも理解させようとして話していない相手に眉を寄せながら、何とか理解出来た一部を問い掛ける彼女に。
「うん、君が呼んだ。よく寝てたのに、君、声が届くなんて、よっぽど大声何だね。」
にこにこ、感心していっているのだろうが、如何にも褒められた気がしない辺りに背筋にむず痒さを感じながらリ・クィアが問う。
「では、私の望みを叶える為に来てくださったと、―――思ってよろしいのか?」
「うん。そういってる。」
「………。」
リ・クィアは思わず沈黙して目の前に極平凡な――いや、多少愛らしいとか、かわいいとかいう形容をして間違いでは無い容姿だろうが――少年を見返していた。
やわらかな黒髪がふわりと宙に舞い、黒瞳がやさしく微笑んでみえる。
かなりうさんくさいが、周囲に止まっている瓦礫が、止んでいる震動がリ・クィアの前にあった。第一、腕の中に妹もまた動きを止めている。
事実は事実だと、目の前に現在進行形で動いていると――周囲の時間は止まっているようだが―――認めるしか無いとリ・クィアは思った。
では、このふざけた少年は、単にかれにとっての事実を述べているのだと。
「どんな望みでも叶えるのか。」
「うん。出来るよ。」
「ではひとつだな。」
あっさりと告げようとするリ・クィアに、那人が慌てて遮った。
「あの、条件とか、そういうの聞かなくていいの?」
「さっき聞いたぞ。おまえがいったんだ、代償にひとつ、要求するのだろう。引き換えに。」
「う、うん、そうだけど。」
慌てている那人に、訝しげにリ・クィアが云う。
「だったら別に何を慌てているんだ?望みを訊きにきたのだろうが。」
「うん、それはそうだけど、――――…その、もう少し、考えたりしない?」
「どうしてだ?」
訝しむリ・クィアに那人の方が詰まる。
「えっと、――それは、どうしてでしょう、あれ、なんでだろ。」
「いいじゃないか、望みを訊きにきて、望みをいわれるんだ。何を慌てている?それとも出来ないのか?本当は。望みを叶えるとかいうのは。」
「ううん、それは無いんだけど、―――あれ?えっと。」
「本当に出来るんだろうな?何だか頼りないが。」
「ええっ?これでも、君達クラスの願いなら、全然余裕で叶えるくらいは出来るんだけど。」
「けど、何だ。はっきりしろ。」
「ちょっとまって、――引っ掛かるんだけど、――ああそうか。」
「何だ?問題点がわかったか?いってみろ。」
「どうしてそう偉そうかな、―――僕、君の願いを叶える為に来たんだよ?もう少し礼をとってくれてもいいんじゃない?」
「最初に取ったぞ?礼は充分に。それを突き崩してるのはあなただろうが。」
「――そうかも。」
思わず同意してそれから口を噤んで彼女を見直す。
「わかった、願い事には制限があるんだよ。一度にひとつ。それから、」
「それから?何だ。」
銀髪に鋭い藍色の瞳で見据える少女に、那人があきれたようにいう。
「本当に偉そうだなあ。…引き換えに出来るのはね、一番大切なものだけ。」
少女が首を傾げる。
「君の一番大切なものを、僕は替わりにもらっていく。それ以外は出来ない。わかった?」
「しかしそれだと矛盾するぞ。」
「え…?」
「これから頼もうというのは、私の一番大切なものだ。救って欲しいと願いたいのだが、奪われるのは叶わないな。救っておいて滅ぼすのも同時では、本当に願いをかなえたというには手落ちじゃないか?」
「えっと、それって如何いう願いごと?」
「破滅させるというなら教えない。」
「困るよっ、はやく願いを叶えて戻らないと、――時間を止めてるけど、いつまでもいていいってわけじゃないんだから―――。」
本気で困っている少年に首を傾げる。
「おかしな奴だな。時間が止まってるのにいつまでも、とかあるのか?わからん奴だ。まあいい、とにかく、だ。私の救ってほしいものを滅ぼすようなら、私は願いを求める君に応じない。どうだ?条件としては妥当だろう。」
「妥当っ?それ妥当?僕としては凄く抗議したいんだけど、そんなこというっ?」
「仕方なかろう。願いはひとつだけなのだろう?有効に使いたいというのが気持じゃないか。なのに、その直後に、願いを叶えた直後に対象が滅んだのでは、願った意味が無いというものだろう。違うかな。」
「えっと、――それはそうかもっ、て納得して如何するんだろう、僕。」
「納得して頂けたならルールの抜け道を探してほしいな。規則というからには決まりごとだろう。決まり事には抜け道があるはずだ。探してみても損は無いと思うぞ?」
「…えっと、抜け道って、そんな、むずかしいこといわないでよね。そうじゃなくても、僕は力が強すぎて生命体との契約ってそんな行ったことが無いんだからさ。経験不足なんだから。ああ、どうしたらいいんだろ、君の願いを叶えなくちゃいけなくて、でも君の一番大切なものを代償に貰わなくちゃいけなくて、でも願いは一番大切なものを救ってほしいってことで―――あれ?」
「さっさとしろよ。時間がないんだろう。」
「淡々と云わないでよ―――どうしようっ、これ。」
ええ、如何したらいいんだろう、と頭を抱えている少年に、リ・クィアは随分頼りないな、と思いながら眺めている。至急緊急の命題は、彼女にとってひとつなのだが。
「願い、いうぞ。」
「待って!相手からいわれたらもう断れないんだから、―――でもその前に、相手が引き換える条件を了承してる必要があるんだよ、つまり一番大事なものを引き換えにしても願いたいかっていう、―――。」
「矛盾してるな。」
「だから困ってるんじゃない!」
真剣に悩んでいる少年が気の毒になって、リ・クィアは口にしていた。
「私の願い事は単純なんだが、――そうだ、言い換えてみるか?」
「え?言い換えって?」
「何だか、言葉の問題のような気がしてきたぞ?ほら、あれだな。ちょっとした言い換えですり抜けられそうな気がする。」
「どういうの?それ。」
真剣に期待のまなざしで見あげる少年に、立場が逆じゃないのか、と思いつつ少女は口にする。
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