女神の帰還
TSUKASA・T
女神の帰還 1
氷雪に覆われた極冠。
氷洋に惑星の殆どが覆われた氷の星。
軌道表面から圏内へ、降下する旗艦が光点を描く。
帝国第一師団旗艦藍氷。
艦の一室にも氷の大陸は姿を現す。
氷に覆われた大陸の宙港へと艦は降下していく。
その一室で。
氷の大陸を眺めながら、問う声がする。
「…いかがですか?随分久し振りの里帰りになると伺いますが。」
問うのは、黒く地味な制服を身に纏う、細身の青年。服と同じ黒髪にも、黒瞳にも表情は伺えない。年は二十五、六か、或いはもっと年を経ているのか。一見しただけでは見て取ることが出来ない不可思議な雰囲気を持っている青年である。肌が浅黄色をした青年の問いに、けれど背を向けて立つ姿からは暫らくの間応えが返らなかった。
随分と、ながい間を於いて、彼女が云う。
手にした、細い柄のグラスを見つめ、まるで其処に答えが書いてあるかのように。クリスタルと白銀の細工に透明な青を零す石が飾られた細工のグラスを、透明に揺れる液体を眺めながら彼女が呟く。
透明な液体の、強い酒である銀酒は、その香気にふれるだけでも、弱いものは酔い潰れてしまうというが。もとより、彼女は通常なら深くグラスに満たされた十分の一で大男が倒れるという銀酒にさえ倒れることはないだろうが。
いまは。
まるで、その香気に酔ったかのようにして。
微苦笑と共に、彼女が応える。
「…確かに貴君の云う通りだが、私には御存知の通り記憶が無い。懐かしむ為には記憶が必要だが、それが私には無い。」
いうと、彼女が背を振り向く。
青藍の瞳が射抜く。
白髪が、滝のように流れ落ちる。
強い視線に、額飾りの瑠璃と白銀の細工が映える。
氷の微笑とともに、彼女が云った。
「だから、これといって特に感想は無いな、調整官。」
呼ばれた青年、調整官は微笑を返した。
「名前で呼んで頂いて結構ですよ?女神殿。」
「そうして欲しければ、君こそ人をおかしな呼び方をせずに、おくのだな。那人調整官。あ、と、失礼。辺境調整官殿。」
「辺境調整官というのは略称ですよ。正式には、神帝親衛による辺境慰撫の為の調整官といいます。」
一拍於いて、調整官が云う。
「―――帝国の常勝将軍、178の戦場で勝利を起こした女神。リ・クィア・マクドカル帝国将軍。帝国軍将軍どの。」
「女神よりはましな呼び名だ。」
「勿体無い。貴女の事を、帝国の将兵達は、女神と呼んで敬っていますのに。」
氷の美貌に冷たい藍色の瞳が伊神を見返す。
「ふざけるのはそこまでにしてもらおう。」
「将軍?」
「着いたな。貴君のこの度の任地だ。艦は補給を終え次第この惑星を離れる。貴君の任務に、無事を祈ろう。」
無言で伊神が見返し、将軍、―――女神の背後に広がる氷に視線を移す。静粛の内に大気圏内へと侵入していた船外に、氷の連なりが圧倒的な広さを持って光を反射させている。
白髪を背に流す女神の姿が氷雪の大地に君臨する圧倒的な力を纏い其処に在る。
「着艦指揮を執らなくてはいけないのでね。失礼する。」
傍を擦り抜けていく白髪の鮮やかな余韻を見送るように眸を細め。調整官が女神の去った扉を見詰めている。
「…帝国にその人在りといわれる将軍。幾多の戦場を支配し、不可能を可能としてきた常勝将軍。そして、帝国に抗するもの達にとって、死の神にも等しく。」
しずかに透徹した黒の眸に、扉の向こうに去った将軍を見るかのようにして那人が云う。
「…いつのまにか、反抗の民にも、従う臣民にも、貴女は呼ばれるようになった。」
ゆっくりと黒が瞬く。永遠というものを映したかのように、かわらない黒が。
「帝国の女神、と」
言葉は、まるで呪いのように、静かに室内に滑り落ちた。
那人の不可思議な眸が、すべてを見通すように閉じられた扉を見詰めていた。
「いそげ。はやく降りて、連中をお払い箱にするぞ。」
将軍が艦長席に就き、機嫌悪く鋭い声で言放つのを副艦長のシーマス・リゲルが嗜めた。
「いけませんよ、相手は帝国直々の調整官でしょう。調整官といえば、審査の結果を直接畏れ多い方に御話するといわれてるんですよ?そういうおそろしいことを大声でいうのはよしてください。」
艦長席の傍にある、立席となるコントロールに向かい、両手を操艦作業に微妙な仕草で動かしながら云う長身禿頭の細長い鉤鼻の副艦長に、艦長であり、艦隊の司令でもある将軍リ・クィアが藍色の眸を細める。
「いつも思うのだが、貴君こそ、椅子に座るべきではないのか?年齢でいうなら、貴君がかなり上だろう。」
まだ微かに金色の残る、殆ど白い眉を片方あげながら、副艦長が答える。
「それは、以前にも申し上げたはずです。白髪の数でいいましたら、艦長に適う御方はこの艦にはおりませんからな。しかも地毛です。私の場合、禿げ頭というのは、剃っているものもおりますから、年齢の基準にはなりませんから、やはり天然で白髪になられた艦長の方が、敬われるべきではないかと。」
艦長席に左肘を着き、顎に当てて眉根を寄せて将軍が云う。
「貴君、しかし、禿げ頭というのが、自力で頭髪再生が行われるかどうかといった観点からみれば、立派に年齢の推定条件にはなるのではないか?」
「若禿というものも存在します。」
「それをいうなら私は若白髪だが。」
「地上飛行により、宙港に三千ギア。どういたしますか?」
シーマスの手が動いて、艦長席から眺める空間に楕円のフィールドが映し出される。厳しい氷原と、背景に連なる峰、激しい風が氷原を吹き渡るさまが一望になる立体映像に、リ・クィアが眸を細める。
「何も無い処だな。」
「侵入経路は直進する経路と、一度山脈を周回し、螺旋を描くようにして接近するルートの二種があります。どうなされますか?」
「…さて、どうしたものだろうな。シーマス。この辺りはそれほど抵抗が強いのかね?」
「索敵官。」
シーマスの指示に索敵官と呼ばれた前方のシートに座る小柄な背が作業する手を進める。
立体映像に、幾つかの光点、輝点のブルーが加わり、傍に解説の数値と座標等が表示される。数は既に数百。山脈の内部から、氷原の一部に至るまで、至る処に光点は散らばっている。
「頑張っている、というわけだ。」
「いずれも弱小のグループではありますが、この惑星では数が多いのが特徴です。これらの勢力が分裂しているのか、或いは互いに連携があるのかについては、データが用意されていません。何れも、艦上から精査した場合に三百を超えるデータ値を記録したもののみを表示してあります。」
「多種に渡るご歓迎か、…熱心なことだ。つまり、有象無象は置くとしても、これだけの光点が、総て最低限の威力ではあっても、我が艦、藍氷を迎撃するだけのエネルギーを持ち合わせているというわけだ。」
愉しげに笑み、鮮やかな藍の眸を煌かせて将軍が云う。
「…そのとおりです。最低値の三百を限界とするエネルギー砲でしたら、これだけの数が同時に襲っても無論防御壁に何ら傷を負わせることは出来ません。揺れを感じることもないでしょう。しかし、」
「そう、―――我が艦は、既に帝国鎮圧下にある惑星の宙港に正規の手続を踏んで降りる訳だからな。―――攻撃を受ける、訳にはいかないのか。」
「然様です。」
慇懃におじぎをしてみせるシーマスに、憮然とした表情をしてリ・クィアが云う。
「貴君、それで私にどうしろという?」
「…出来ますれば、攻撃されることないルートを選定頂きたいかと。」
渋面を作り、将軍がシーマスを睨む。
「私は人の子だぞ?」
「それが何か。」
「…敵わないのが解っていて、これだけやる気のある連中に、花火を上げさせないで降下しろと?当ると当らぬとに関わらず、連中絶対撃ち撒くって来るぞ?」
しずかに艦の高度と位置を定位置に保つ操作を行いながらシーマスが沈黙している。
艦長、リ・クィア将軍が艦橋を見渡す。
沈黙の内に作業している仕官達、索敵官二名、技術仕官二名、砲撃官二名に通信官一名、操縦官であり、副艦長であるシーマスを順に見廻す。
「シーマス。」
「は。」
無表情に帰す副官に、リ・クィアが美しい眉を顰める。
「帝国の威信からいえば、この惑星にはもう反抗勢力は無いのだな?」
「はい、ございませんとも。」
「―――そうか。」
両手で肘掛を掴み、正面に向き直ってリ・クィアが云う。
「宙港の真上まで進め。高度このまま。」
「宙港真上まで進めます。高度このまま。――艦長。」
艶やかな笑みを浮かべて、リ・クィアが侵入区域を取り囲む光点を見詰めた。艦がこのまま宙港の上空まで侵入すれば、三千の高度を降りて地上からの射程距離になったとき、周囲から集中砲火を浴びる形になるのは避け難い。
「艦長。」
「聞こえている。このまま降りろ。」
シーマスが振り向く。操作盤に浮かせるように置かれた手は、指示操作を行う直前に動作を止めている。
「――それでは、砲火をわざわざ浴びる形となりますが。」
「連中が撃てば、そうなるな。」
鮮やかな藍の眸に燃える炯に、副艦長が氷青の眸を向けている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます