第37話 神代の樹海

 昼食を終えて、町外れの畑側へ足を向けた。

「あったあった。これがねぇとな」

 畦道でしゃがみ込み、草をブチブチと摘む。傍から見たら、親に連れられて畑に来たものの暇を持て余した幼児の草むしりの様相。畑の草むしりなら冒険者ギルドで依頼が出ているのでどうせ摘むなら依頼を受けて堂々と行った方が小遣いになるのだが、ノーカ本人は知らない。タダ働きである。


 仕事中の農夫に、あそこのエルフ何してんだろうなと不審に思われつつ、生え放題の取り放題の大量に毟ったマナ草とその他必要な薬草を魔法でカラッと乾かし、巾着袋にパンパンに詰める。マナ草は、畑によく生えるイネ科の雑草オヒシバに似た見た目の植物で、有効的な使い方を知らない人間とっては雑草と同じ。ただ、魔素を吸収しマナを排出する性質は知られている。魔素が無ければ魔物は存在できない。なので、畑の中ではない、こうした畦道では抜かれず伸びたら刈られる程度に留められていた。


 宿をとり、預けたリープソーを手入れして、愛馬にお土産をと買った林檎をやる。豪快にシャリシャリ食べる姿を眺め、里帰りへ消極的な気持ちも、手紙の最後の煽り文章も林檎と一緒にシャリシャリリープソーに食われていくようで、部屋に戻る頃にはすっかり心の平穏を取り戻した。

 日が落ちた頃に外で夕食を終え、部屋へ戻り、浄化魔法で体を清潔にして早々にベッドに潜った。


 朝は早くに起きた。これから、やることがある。

 浴槽代わりの大きな桶を借りて、向かうのはリープソーを預けた厩舎。

 馬たちを脅かさないよう、空気の冷えた早朝の外で作業をする。作業用に持ってきた直火加熱可能な自前のスープマグに水と昨日の昼間に摘んだ薬草を入れ、左手に火の玉を浮かべ、右手でスープマグを持って火の玉に翳して薬草を煮出す。

 グツグツと沸騰すると、湯気とともに緑の香りの中にスッとした涼やかな花のような香りが立つ。薬草といっても、苦い臭いでもなく、森の香り。ノーカにとっては、百六十年ぶりに嗅ぐ、郷愁を誘う匂いだ。

「もういい頃だな」

 火を消し、ほんのり黄緑に色付いた液体に魔力を込める。薄っすら色付いた黄緑が、薄っすら色付いた青緑に変化して、エルフ特製の魔法薬の出来上がりだ。

 これは、神代の樹海に入る為の虫除けだ。虫除けといっても、避けるのは蚊やダニといった虫だけではない。毒蛇がこの匂いを嫌って避け、ヒルは麻痺して一時的に動けなくなる、万能な虫除け剤。木の上から蛇やヒルがぼとっと落ちてきても、噛まれないための必需品。

 このレシピは人間には教えてならないものとされている。人間が少しでも安全に樹海の中へ入れるとなれば、樹海で迷う遭難者が増えるだけ。そもそも、魔法薬なので魔法使いでなければ作れない。今のところ、エルフだけの魔法薬だ。

 この虫除け魔法薬をエルフは毎日、風呂に入れて入浴する。蛇やヒルには嫌な臭いだが、人間やエルフにとっては気が落ち着くいい匂い。


 厩舎に入り、人目を忍ぶ――こともなく、ただ単に外は寒いから厩舎に入っただけで、まだ誰も来ていないだけ、ここで働いている人間たちへの気遣いもなく堂々と服を脱いだ。

 桶に魔法で湯を入れ作った魔法薬を投入し、それで全身を拭く。

 サッと済ませてサッと服を着た。

 その残り湯に布を漬け、絞って、リープソーの体を全身拭き上げる。途中で厩務員が入って来て、愛馬を丁寧に磨き上げるノーカを目撃し、愛情を持って馬の世話をするエルフに感心しつつ、己の仕事を遂行していた。来るタイミングがもう少し早ければ全裸の妖精さんと対峙していた、という事実を知っているのは厩舎の馬たちと本エルフだけである。


 片付けて朝食に向かう。これから樹海を歩くことを考慮して食べ過ぎないよう、四枚のカリカリベーコンとトロッに半熟目玉焼きが三つのベーコンエッグ、レタスと細切りニンジンに紫玉ねぎの生野菜サラダ、オニオンスープ、フレッシュバター染み染みふっくら熱々な厚切りトーストと控えめにした。腹の中が詰まっていると、注意力が散漫になるし、体が重くなって動きが少し鈍ってしまう。魔物のいない樹海だし、虫除けもしたが、クマやトラといった猛獣が潜んでいるから気を抜けない。エルフのノーカ一人だけならなんてことはないが、荷物運び用にリープソーも共に入るとなると、肉食獣から愛馬を守ることが優先となる。


 朝には宿を出て、午前中には神代の樹海に入った。

 樹齢千年を超えた大木ひしめく森は、ゴツゴツした木の根が足場を悪く、背の高い木々の枝葉に光を遮られ、薄暗い中でも育つギザギザしたシダ植物や、少しでも多く太陽光を取り込もうと大きな葉を持つ蔓植物辺りが鬱蒼と群生して見通しが悪い。入り口から早々に人間の侵入を拒む樹海。

 太古の森とも呼ばれ、人間が誕生するより遥か昔から存在し、その姿を保つ。

 そんな不変の樹海の奥深くに、千年という長い寿命を持つエルフが暮らす里がある。

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