書簡3

 西方遠征に出た俺には、中央からのものとは別に、オルウェイからの報告書が届くようになった。名目は名のみのオルウェイ太守である俺への領地と都市の状況報告だ。

 だがあの人の手による報告書は、そんな事務的な内容なのにも関わらずとても美しかった。


 その美しい筆跡が自分の妻の字だと思って見ていると、憧れと同時に、むりやりに求めてしまった高貴な人への負い目や劣等感も感じてしまって、胸が痛んだ。

 特に戦況報告を綴っていると、どう書いても格好がつかない自分の悪筆に嫌気がさしてしまって、たまらない気持ちになった。


 俺は、達筆の部下に代筆を頼んだ。




 その次にオルウェイからの書簡を持ってきた伝令は、特製の布袋に入れられて、青いリボンで口が結ばれた包みを俺に手渡した。リボンの結び目には蝋が落としてあって、小ぶりな印章のような物を押し付けたらしき跡がついていた。


「これは?」

「エリオス殿本人のみ閲覧可能な機密事項をお送りするときは、以後、この封を使用させていただくとのことです」


 この封がされた書面は、オルウェイの軍事上の重要な機密が記載されているので、必ず本人が確認し、補佐官などには閲覧させないように。また、その内容に関する返信は必ず自筆で、代筆は不可とすると、釘を差されて、俺は前回の自分の"ズル"がバレたような気持ちになった。


「こちらからの場合は、どうすればよいのだ」

「指先で印を押してください。両手の十指どれでも構いません。本人のものかどうかはオルウェイ側で照合します」


 そう答えられ「では、失礼ながら」と前置きされた上で、手形を取られた。

 単に手を広げて形を写すだけではなく、指先のみを丹念に写すことまで複数回された。戦場でどの指が欠損しても大丈夫なように、などと縁起でもないことを言いながら、全部の指先をだ。

 これを持ち帰って、以後、俺からの機密文書の押印を見比べて真偽判定を行うらしい。

 指先の形など、印の押し方でいくらでも変わりそうなものだが、どうなのだろう?


「……俺もああいう印を使いたい」


 指先を押し付けただけの不格好な印と、青いリボンの上のなんだか格好良い印章を横目で見比べながらボソリとこぼすと、「お伝えしておきます」と頭を下げられた。


 よくわからないが、内密にすべき内容でなければ、これまで通りで良いらしいので、俺は通常の報告は、やっぱり部下に書いてもらっていたものを渡すことにした。


 今回の伝令の男は、なにか妙に押しの強い奴で、こちらが軍団長だとか英雄だとか、そういうことで一切恐れ入る風もなく、命じられてきたことを、まっすぐに突きつけてくる男だった。


「機密袋に関する返信は、自筆でお願いします」

「わかっている」


 俺はこの男の前で袋の中身を見る気になれず、袋を抱えて、自分用の天幕に戻った。




 袋の中身は、目を瞠るような代物だった。

 "装幀"という言葉も、"デザイン"という概念もこのときの俺は知らなかったが、初めてそれを見たときの「美しい」ということの衝撃は圧倒的だった。


 それはけして豪華絢爛というわけではなかった。東の公国や南の王国の領主達が貯め込んでいた財宝のように金銀や宝石で光り輝いているわけではなく、素材はほぼいつも通りだった。

 しかし、巻物状になっておらず、掌ほどの大きさの四角形に整えて、折り畳まれた書面は、その一面、一面が完成された芸術品だった。


「これは、葡萄か?」


 面の四辺には、植物の葉や蔓が複雑に絡まる精緻な絵が書かれている。不思議なことに、その絵はとても本物らしく見えるのに、よく見ると線は簡潔で、部分部分は幾何学文様のようですらあり、全体的にはきちんと調和して、なぜか完璧な四角形の枠を形作っていた。

 蔦に縁取られた石碑のように、浮かび上がって見える中央部には、あの人の美しい文字が整然と並び、面の先頭の文字はいつもよりも大きく、より装飾的に書かれていて、まるで君臨する王とぬかずく臣下の列のようだった。


 内容は戦火で荒れ果てたオルウェイの復興計画で、今後を見越した都市計画と経済政策の基礎が平易かつ簡潔な言葉で記されていた。

 確かに戦略上機密扱いというのもうなずける内容ではある。

 だが……。


「これが、俺一人が見るためだけに書かれたのか」


 動乱前のダロスの学究院にも、これほどの書は収められていなかったのではないかと思うようなものが、こんなに無学な自分一人のために書かれたのかと思うと、畏れ多くて目眩がした。


 幸いなことに、書かなくてはいけない返信は長文ではなかった。各計画に関する承認のサインと一言程度のコメントで良いと同封されていた端書にあった。なんと返信用に項目の列記された専用の書簡まで用意されており、何が何でも本人署名の承認を持って帰るという意志が感じられた。


「(太守不在というのは何かと面倒なのかもしれないな)」


 俺はできるだけ丁寧に了承の返信を書きながら、自分の身勝手な欲のために、不幸な境遇にしてしまった相手のことを想った。


 インクが乾くのを待ち、返信を元の袋にしまった。

 それから美しい報告書を、もう一度最初から最後までゆっくりと堪能した。


「これは……送り返したほうがいいだろうな」


 手元に置いて何度も繰り返し見たいのは山々だが、遠征中の身では保管するのは難しい。内容が内容だけに他人の手に渡っても問題がある。読み終わったら燃やしてくれと書かれていたが、これを灰にする気にはとてもなれなかった。


 俺は美しい報告書から、葡萄の絵が書かれた端の部分を少しだけ切って、大事に私物入れにしまうと、残りを丁寧に畳んで、袋に入れ直した。

 機密扱いで送り返すならば、そのまま大切にあの人のもとに届けられるだろう。

 封をする前に、俺はふと思い立って、なにか書くものはないかとあたりを見回した。

 最近、書簡の筆記を部下に任せていたせいで、このプライベートな天幕には残念ながら適当なものの用意がなかった。

 仕方がないので、俺は身につけていた革帯の端を切り取った。


『あなたの手は美をつくる』


 短い切れ端にそれだけ書いて、俺は袋に放り込んだ。





 次に来たとき、件の伝令の男は"カササギ"の紋の入った青銅のメダルを誇らしげに首から下げていた。


「包みの中にエリオス殿用の印章と封蝋があります。エリオス殿からオルウェイへの宛先指定書面がある場合は、ご利用ください。使い方は付属の手引書を参照いただければわかるようになっていると承っています」


 渡された小箱に入っていたのは、指輪型の印章だった。


「これは……」

「無くしたり盗られたりしにくいように、身につけられる形にしたそうです。印章としては小さいですが、報告書の封蝋程度でしたら十分だろうと奥様も仰っていました」

「どの指に付けるものなのだろう」

「どこでも良いが、できれば左手の薬指に、と伺っています。邪魔にならない位置だから良いだろうと」

「なるほど」


 指輪は驚くほどピタリと指にはまった。


「うむ。良いな。これなら普段から付けていても良いかもしれん」

「はい。奥様も付けておられましたので、問題ないと思います」

「…………そうか」


 この"カササギ"の伝令に、褒美でも渡そうかという気になるほど、俺は指輪を気に入った。


「けして無くされませぬようお気をつけください。戦乱で奪われそうになったり、所持が難しくなった場合は、印章部分を破壊して破棄してくださいとのことです」


 保安上、当たり前ではあるものの、どうにも気の悪くなる話に、俺は顔をしかめた。

 お陰で冷静になったので、褒美の件はなしにした。





 この一言多い無礼な伝令は、その後も何度かオルウェイから重要な知らせをもたらしてくれた。後の北征でも、よくもまぁと呆れるほどの根性で、オルウェイからの書簡を届け続け、俺が軍を離れる最後の最後まで、俺と彼女を繋いだ。


「そういえば、お前には一度も特別報奨を出さなかったな」

「艦隊の戦勝祝いのときに、翼の付いた兜と杖をいただきましたよ」

「あんな余興のガラクタ……」

「あのあとアレをモチーフにして、奥様に素晴らしい兜と金色の錫杖を造っていただいたのでお気になさらないでください」

「……むしろ、気になる話を。また、お前は」


 後にオルウェイにおける通商の重鎮、広域伝令事業の元締めとも言うべき地位にまで成り上がったこの"カササギ"は、翼の付いた兜と杖を家紋として、生涯、俺よりも妻に敬意を払った。

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