のぞき女-5
奇妙な夢を連続で見たこともあって、俺の夢に出てくる女と「のぞき女」は無関係な気がしない。
この世のものとは思えない顔つきでこちらをじっとのぞいてくる女が「のぞき女」なのだとしたら、どうして今更俺の夢に現れるようになったのだろう。夢はその時の心理状態と深く関わっている、というのはよく聞く話だ。一連の夢について調べることで根本的な問題も解決できるかもしれない。俺はこれまで見た夢も含めて、内容を軽くメモしておくことにした。
そして、昨晩の夢がただの夢ではなく本当にあったことならば、なおとが何か知っているはずだ。今すぐに頼れる幼少期からの知り合いはなおとしかいない。
『焼肉奢るって話してたけど、明日か明後日空いてる?』
相談したいことがあるとは直接言わず、なおとにLINEで連絡を送った。幸いにも明日は土曜日だった。
『明日にしようぜ!どの店にするか任せてもいい?』
数分と経たずに既読がついて、すぐに返信が来た。なおとは連絡については本当にマメな方だ。入院中もなおとの連絡網にかなり助けられたものだ。
大学近くの焼肉屋を予約して、なおとに場所を送信した。ついでに「のぞき女」についてネットでも調べてみた。おそらく地域の子どもたちしか知らない噂話程度のものだろうが、もしかしたら誰かが情報を書き込んでいるかもしれない。そう思ったのだが空振りだった。「のぞき女」という怪談や噂話に関連していそうな検索結果は見つからなかった。
どちらにしたって、今日もまた眠らなければならない。もちろん不安はあるが、手がかりを得なければ解決もできない。昨日と同様健康的な生活をして、俺はまた眠りについた。
──キーンコーンカーンコーン。
チャイムの音がする。完全下校時刻を知らせるチャイムだと、直感で理解した。真っ赤な夕日に照らされて、もう揺れていないブランコが目の前にある。誰かに呼ばれた気がして振り返った。
「そろそろ帰ろうぜー。はやく帰んないと、またかあさんが怒るし」
なおとが俺を呼んでいる。俺は素直にうなずいて、うちに帰ることにした。
カアカアとカラスの鳴き声がグラウンドに響き渡る。電柱、住宅、自分たちの影が、黒く長くどこまでも伸びている。横断歩道のところまで競争しようって、いまにも走り出しそうななおとを止めて、俺の口が問いかけた。
「のぞき女がきたら、どうなるの?」
「わかんないよ。でもつかまったら戻ってこられないんだって。つかまったあとで何されるか、だれも知らないんだって」
まだなおとと背丈の変わらない、幼い俺は恐ろしく感じた。聞くんじゃなかったと後悔したかもしれない。どちらが合図するでもなく、俺たちは駆け出した。
うちの近くの分かれ道で、なおとは右、俺は左に曲がる。また明日と手を振って、俺たちはそれぞれの帰り道を歩いた。次第にうちが見えてきた。窓からあたたかい光がこぼれている。玄関のドアを開けて、お父さんとお母さんに大きくただいまと言った。
「おかえり」
声が後ろから聞こえた。
玄関には誰もいない。廊下の先の扉からあたたかい光がこぼれている。
「おかえり」
お父さんでもお母さんでもない声が後ろから聞こえた。
俺はとっさに口を押さえて返事をしなかった。悲鳴どころか、呼吸でさえ聞かせてはいけないと察した。きい、きいと音を立てて、玄関の扉がゆっくりと閉まる。がちゃん、と完全に閉まり切ったとき、俺は後ろ手で鍵を閉めようとした。
「おかえり、まもちゃん」
俺を呼ぶ声が後ろから聞こえた。すぐ真後ろで、はっきりと。
靴を脱ぎ捨てて廊下の先めがけて走る。あたたかい光がこぼれている扉に手をかけた。ガタガタと音が鳴るくらい強く引いてみても開かない。気配はすぐそこまできている。次に名前を呼ばれるまでに、ここを開けないと。本能が叫んでいる。
「おかえり、」
ああ。
間に合わなかった。
さっきまであんなに開かなかった扉がすんなりと、ゆっくりとゆっくりと開いていく。扉の先に広がっているのは真っ暗な闇だ。
真っ暗な闇の中、長く伸びた首の先にくっついた、顔から飛び出た瞳がこちらをのぞいていた。
次に目を開けると、そこは朝日が差し込む自分の部屋だった。今まで息を止めていたかのように呼吸が荒い。おもむろに起き上がると、すぐにカーテンを開けて、気を紛らわそうとする。
これはただの予感だが。もしこれからも悪夢を見るなら、ずっとあの女が付きまとってくるのだろう。おそらく今回で逃げ場は無くなってしまった。あの女を見ずに眠る方法は、なんとか夢を見ないようにする以外にない。
しかし昨日の晩を乗り切ったということは、ようやくなおとから話を聞けるということだ。彼と話すことによって、俺に悪夢を見せている心理的なわだかまりも解決するかもしれない。もし、すべて夢の中の話だからと一笑に伏されてしまったりして、空振りに終わったら──その時はまた考えよう。技術が発展している現代において不眠を解決する方法なんていくらでもあるはずだ。
現実的な解決手段なんていくらでもあるはずなのだ。全てが夢の中の出来事であるうちは。
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