なぜ、ライトノベルはオワコンと成り果てたのか

@revival21

第1話なぜ、ライトノベルはオワコンと成り果てたのか

 表題の通りだ。

 我ながら挑発的なタイトルだと思う。


 だが、初めに正直に告白しよう。

 私は別にライトノベルはオワコンになったとは思ってはいない。

 小説投稿サイトでは次々に新たな作品が投稿され、そして、次々と新たな作品が書籍化される。

 オワコンというには時期尚早だ。


 そもそも何を持って、ライトノベルとするのか。 

 そもそもオワコンとは何か。


 その定義が曖昧だ。定義を曖昧にしたままに、論理を展開することは、常に、思考の混迷と、コミュニケーションにおける深刻な誤謬を招きかねない。


 読者の方々の中には、web発の所謂テンプレート作品をライトノベルと認めたくない人々も多いだろう。

 ライトノベルという括りにはなるが、最早文学の領域に踏み込んでいる作品も沢山ある。

 そう言った、高い筆力を持つ作者が書いた作品を、所謂なろう系というものと同列に語る事を嫌がる方々がいるのは理解できる。

 だが、ここでは、所謂なろう系と言われるようなweb発の投稿サイトで人気が出て、出版されたテンプレート作品もライトノベルという括りに入れるものとする。


 そして、次にオワコンという言葉についてだが、ここではつまり、明確に縮小傾向にあるライトノベル市場の現状を指すものとする。


 つまり、このエッセイは、明確な縮小傾向にある、web媒体発テンプレート作品を含む、MF文庫や電撃文庫等のレーベルから出版されたライトノベル全般のマーケット規模について言及したエッセイとなる。


 私はライトノベルはオワコンと言うには自己尚早だと冒頭に書いた。

 だが、その日は確実にくると思う。

 そして、その日は近いと思う。

 

 このエッセイでは、小説投稿サイトが、創作業界に与えた影響を、肯定的側面と、否定的側面の両面から評価し、それが各出版社に与えた影響を考察する。

 古くを辿れば、ケータイ小説と言われるものまで遡る必要性もあるだろうが、このエッセイではいわゆる小説家になろう誕生以降のweb小説全般の話がメインテーマとなる。

 それには、ランキングシステムが生み出した弊害。

 投稿サイトのトレンドに左右された出版社の、中・長期的に見た、経営判断の誤りの指摘等が含まれる。

 先に書いておくが、このエッセイで語られる内容は、批判的側面が強くなると思う。

 だが、批判というはある意味でとても気持ちの良い行為だ。批判している側は自分が優位になった気持ちになる。

 上から目線での優越感を感じたいが為に他人を批判する人間は少なくはない。


 だが、私はそういった、生産性の無い批判の為の無意味な批判に陥らないように留意して、主張を展開していくつもりだ。

 だが、耳触りの良い言葉や、都合の良い現実だけを見て生きたいような人間には向かない内容になる。


 やや、乱暴な意見になるが、具体的な解決策の示せない批判などマウンティングと何も変わらない。


 私が行おうとする批判は、あくまでも、問題解決のための問題提起となるように努力するつもりだ。


 今のライトノベル業界の現状を批判的視点から分析し、最後には、問題解決の為の私なりの提案をしようと思う。

 それには、クリエイターが学ぶべきマーケティングやビジネスの知識も含まれる。


 想定となる読者としては、これから作家を目指す作者。

 そして、作品を世の中に送り出す手伝いをする編集者。

 すでに作品が書籍化され、売れないという現実を直視した書籍化作家にも有益なものになると思う。

 何となく面白そうだから、読んでみようと思う興味本位の読者も大歓迎だ。


 万が一、プロフェッショナルとして、文芸や論評に携わられる方々の目に入ることがあれば大変恐縮であるが、私は、こう言ったエッセイを書くのが初めてで、お読み苦しい点多々あると思われるが、何か参考になれば幸いである。

 だが、本論として語られる内容には、他のどこにもない独自性や着眼点があると自負している。


 変わらなければいけないのは、システムだけではない。

 作品を執筆する作者。

 作品を楽しむ読者。

 そして、作者をサポートする編集者。


 その全てが変わらなければ、きっと未来はない。


 「偉そうに書いてるけど、まずお前誰やねん」


 そんなことを疑問に持つ読者の方もいるだろう。

 簡単に自己紹介しておこう。

 だが、もちろん本名は教えない。

 インターネット上で不特定多数に個人情報なんて公開しない。

 そして、まず第一に私はいわゆる書籍化作家というものではない。

 私の立場を明確にするのなら、以前書籍化作家というものを目指し、ぶっちゃけどうでも良くなった人間だと思う。


 「書籍化作家じゃないなんて負け犬じゃないか?」


 非常に耳の痛い意見だ。

 私はそれに対する反論の言葉を持たないだろう。

 だが、私はアルファポリスでは、hotランキングで一位を取ったこともあるし、ノベルピアというサイトでもPVとブックマーク部門では一位を取ったこともある。

 最初に投稿した作品で小説家になろうで、色々とせこい真似はしたがランキング入りしてそれなりのブクマ数や評価ポイントを獲得していた。

 カクヨムで何度も削除しては掲載している作品も最高で星4000、フォロワーを8000人近くを獲得していた。

 それなりに、悪役転生というジャンルに詳しい人間なら多分知っているという程度の知名度の作品を連載していた作者だ。


 ちなみに、以前のペンネームは2makerと名乗っていた。


 おそらく掲載し続けていれば、所謂書籍化オファーというものもあっただろうというボーダーは超えていたと思う。

 各出版社の考えは様々故に、現実的にオファーが来たかは分からないが。

 長々と、自慢話を書いたが、今の私は、半ば引退している身だ。

 私は、自分をプレイヤーというよりは、どちらかといえばオブザーバーだと思っている。


「お前は、当事者意識がないから好き勝手に言える」


 そんな批判をしたくなる人間もいるだろう。

 そして、こういった、ライトノベル業界や小説投稿サイトに関するエッセイなどは山ほどある。

 だが、私が思うにそういったエッセイを書いている人のほとんどは、まず投稿者として、プレイヤーとして結果を出せていない。

 それどころか、投稿者として作品を投稿したことすらない人のエッセイが取り上げられているのを目にする。

 プレイヤーとして結果を出せなかった人間の批評には、必然的に結果を出したプレイヤーに対する羨望や嫉妬の感情が入り混じる。

 そして、自分の作品が評価されないシステムに対する不満を募らせている。

 そう言った、人間の主張にはフラットとは言えないロジックが内在していると感じる。


 現実をフラットに認識するには、自らの感情を客観視し、思い込みや先入観というバイアスを排除する必要がある。


 勿論、結果を出した人間の主張が、必ず正しいとは限らない。

 そして、結果を出していない人間の主張が、必ずしも間違いとも限らない。


 だが、結果を出した人間の主張の方が、結果を出せない人間の主張より説得力があるのは紛れもない事実だ。

 私は、プレイヤーとしてある程度の結果を出したと思っている。

 そう言った、ある程度、結果を出したプレイヤーがオブザーバーの視点から意見を述べる事には有益性があると思う。


 繰り返しになるが、このエッセイではかなり厳しい現実を読者に突きつけることになる。

 どうしても、作者という存在は自分の作品を過大評価しがちだな生き物だ。

 自分の作品がランキングを駆け上がり、出版されて、コミカライズされて、何はアニメ化なんて……。

 そんな夢を見る作者も多いだろう。 

 正直言おう。

 恥ずかしながら私にもそんな時期がありました。

 だが、このエッセイで突きつける現実は、今の小説投稿サイトで人気を出したとしても、その作品は多分売れないというものだ。

 

 はっきりと言おう、夢を見ることは大切だ。

 だが、同時にはっきり言おう、現実を見ることも大切だ。

 私の主張は、過酷な現実というのをしっかり見て、それでもまた夢を見ようというものだ。


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