第6話 もう一人の淑女①

 セクスティリア・カエソニアより、セクスティリア・シラナへ文をしたためます

 

 お手紙ありがとう。

 あのこの体調が思わしくないとのこと。

 貴女が気に病まなくていいの。あのこはもうずいぶんと生きたから、きっと寿命なのだと思います。

 私が子供の頃から一緒だった子だから、できればこちらに連れてきてあげたかった。

 だけどカエソニウス様は猫がお好きではなかったから、貴女に無理をお願いしてしまいました。

 もし食欲があるようなら、湯掻いた鶏肉をすり潰して与えてください。

 暑さは苦手だから、涼しいところに寝かせてあげて。

 そしてもし、あのこが天に召されたとしても、貴女は何も悪くないわ。

 

 心優しき妹セクスティリア・シラナへ、セクスティリアより

 

 

「少し時間がかかると思うから、ゆっくりしてなさい」


 奴隷にそう伝えてから、私は図書室へと足を進めました。

 ここは学び舎の中にある、各地の書物を集めた一画。貴重な品が多い場所だから、入室できるのはごく一部の生徒だけという所だった。

 もちろん奴隷も入れないから、この部屋に入る時だけは誰しもひとりになる。そして――普段ここは、あまり生徒に人気のない場所で、誰かと一緒になるということはまず考えられない。つまりここを通って裏庭に行けば、ひとりになれるということだったの。


「……」


 周りを見渡し、人の目がないことを確認してから、私は柱廊廊下を抜けて裏庭へと足を向けた。

 衣服を引っ掛けてしまわないよう注意して進むと、いつものうろがある木へと辿り着いたわ。

 うろの中から、アラタが隠している敷物を引っ張り出して、広げ、座ると、ホッと一息。お昼までの短い時間だけど、ここに来るのは私のたまの楽しみになっていた。

 

 結局、あれからも私は、度々ここを訪れていたわ。

 試して見つからないことを確認することができたら、一度だけで我慢するなんて無理だった。

 だってここに来れば、立場など関係なしにお話ができるんですもの。

 アラタも、クルトも……女だからという理由で私を蔑ろにしたりしなかった。まるで男性同士で語り合っているみたいに、分け隔てなく接してくれるの。

 それは私にとって、えもいわれぬ心地よい時間だったわ。

 だから最近私は、気が塞ぐことがあった時は特に、ここに顔を出すようになっていた。

 ここでふたりと一緒に過ごしたら、辛かった気持ちが少し救われるの。そうしたら、また頑張ろうって思えるようになるのだもの。

 そして今日、ここに来たのは――お姉様からの手紙が届いたから。

 私の手紙からふた月以上も経った、秋も終わりという頃合い。空気はずいぶんと冷たくなっていたわ。

 お姉様がカエソニウス家に嫁がれてから、そろそろ一年が過ぎようとしていた。

 

「珍しいな」


 耳元でそう声が聞こえ、慌てて手紙を胸元へ引き寄せ隠したら、ひょっこり黒髪が視界の前に落ちてきたものだから、さらに驚いてしまった。

 私の右後ろから覆いかぶさるようにして覗き込んでいたのはアラタ。

 びっくりして後方に倒れそうになった私の背を、左側からクルトが支えてくれなかったら、私は頭を木の幹にぶつけていたでしょうね。


「ご、ごめんなさいっ。二人に気づいていなかっただなんて……っ」


 私ったら、どれくらい手紙に見入っていたのかしら。

 慌てて謝罪したけれど。


「いや、そりゃ全然構わんっつか……なんかあったのか?」

「えっ⁉︎」

「サクラが何かに没頭しているって珍しいからね。それに、表情がとても深刻そうだったから」


 二人ともにそう言われて、それほど私は周りへの配慮を怠り、現実を失念していたのだと分かって、恥ずかしくなってしまった。

 なんてこと。お姉様に顔向けできない。私ってどうしてこう出来が悪いのかしら……っ。


「ごめんなさい……。私ごとで二人を煩わせてしまうだなんて……」


 三人でいる時は、三人でいることを大切にしなくちゃ。

 だから私の個人的なことは、この秘密基地に持ち込むべきではなかったのよ。

 そう思ったから謝ったのに。


「違うっつの」


 なぜかアラタは不機嫌そうにそう吐き捨てたわ。


「心配だから、ここにまで持って来てんだろ? んで、どうあっても優先したいことだったから、今も悩んでたンじゃねぇのかよ?」


 イライラした様子でそんなふうに言うから、アラタの気分を害してしまったのだと思った。

 だから慌てて謝罪しようとしたのだけど、今度はそれをクルトが遮ったわ。


「アラタ、それでは彼女を責めているみたいだよ。サクラ、そうじゃなくてね。僕たちは君のそれが深刻なことなんじゃないかって、そのことを心配しているんだよ」


 ……私を、心配してくれていたの?

 女の、私を?


「君は僕らと立場が違うから、無理にとは言わないけれどね。でも話せることだったら、相談に乗るよ」


 優しく微笑み、安心させるように柔らかい声音で、クルトはそう言ってくれた。

 アラタも、少しバツが悪そうに視線を逸らしたものの、クルトの言葉を否定しなかった。


「私……そんなつもりじゃ……」


 二人に、そんなふうに気を遣わせるつもりじゃなかったの。

 だけどそう言ったら。


「あんなぁ! ダチの心配すんのは当たり前のことだろうが!」


 私、また間違えてしまっていたのだと、それでようやっと気がついたわ。

 二人は性別なんて気にしてなくて、私を気遣うことを、当たり前のことだと思ってくれているって、やっと理解したの。


「……ありがとう。えぇ、相談、したいわ」


 嬉しかった。そして、藁にもすがる思いだった。


「私のお姉様……昨年の冬に嫁いだ方のことが、心配だったの」


 そう切り出すと、クルトが不思議そうに首を傾げたわ。


「サクラ……君には弟二人しかいないよね?」


 そう言われ、クルトが私の家族構成を承知していることに息を呑み……納得したわ。

 知っていて当然よね……。友達とはいえ、私たちはそれぞれ家の責任を担う身だもの。

 私だって知ってる……お父様に聞かされたわ。クルトがアウレンティウス家の、たった一人きりのお子だって。

 けれどそれなら、姉のことは正直に言っていいのかしら? と、少し悩んだ。でも……。


「……は、私がただ一人の娘よ。でもお父様には……だけじゃなく、ずっと前に離縁した妻が先にもう一人いらっしゃるの。お姉様は、その方の娘」


 女しか身籠みごもれず、離縁となった方だったわ。でも外聞が悪いからとお父様の支持者クリエンティスに嫁いで、お姉様はそちらの娘として育てられた。それが今はカエソニウス家に嫁いだ、もうひとりのセクスティリア。

 一時はセクスティリウスを離れていたから違う名で呼んでいたけれど、嫁ぐにあたり、セクスティリウス家の者だと名乗るよう、お父様に言われたの。その日からセクスティリアは二人になったわ。

 本当は二人姉がいるのだけれど、もう一人の方はセクスティリウスとしてではなく、私がもの心つく前にずっと遠方へと嫁がれていったから、私は覚えていなかった。

 そして本当なら、私もお母様と共に離縁されていてもおかしくなかったって……お姉様と同じ立場になっていたかもしれないことも、理解していた。

 ……だけど今、そのことはこの話とは関係ないわね。


「お姉様が嫁ぐ時、私……猫をいただいたの。真っ白い毛でふわふわの美しい子。だけどその子……」


 お姉様の手紙の返事を待たずに、もう来世へと旅立ってしまった。


「お姉様がとても大切にしていた子だったから。その子のことをどうお伝えしたものか悩んでいたの……」


 本当は、お姉様自身のことが心配だったわ。

 あのこのことを知らせて、ふた月返事が来なかった。だけど手紙には、まだ夏の盛りであるかのような言葉が選ばれ、書いてあったわ。

 そのちくはぐさが、何かすごく気になっていた。

 お父様がセクスティリウスを名乗らせるほどの相手に見染められての婚姻。良縁に恵まれて、幸せにされていると思っていたの。

 だけどお姉様……本当は何か、大変なのではないかしら?

 嫁ぎ先で今、どうされているの?

 よくよく読み返してみれば、どの手紙もカエソニウス家のことにはほとんど触れておらず、お姉様がどうされているのかが見えてこない。私には手紙しか、お姉様のことを知るすべがなかった。それがもどかしくてならなかったの。


「へぇ……姉貴。どんな人?」

「とても、素晴らしい方だわ! 淑女の中の淑女。理想の女性そのものよ」


 私のお手本。私の遠く及ばない人。

 私にとって、お姉様は姉であったけれど、母の代わりでもあった。

 いつも慎ましくて、優しくて、心を乱すところを見せたことすらない、本当の淑女。


「ふぅん……」


 私の言葉にアラタは、興味なさげな相槌を打った。

 そして少し視線を逸らして黙したけれど。


「んじゃ、会いにいくか」


 次にあっさりとそう言ったから、驚いてしまったわ。


「手紙にしようと思うから伝えにくいんじゃね? 会って直接話せば?」

「む、無理よ!」

「なんでだよ? 嫁ぎ先ってもこの都ムルスの中だろ?」

「カエソニウスが僕の知る家なら、さほど遠くもないよね?」


 そう言われて困ってしまったわ。


「知ってんのかよ? 昼から出かけりゃ行って帰ってこれる距離?」

「うん」

「どこらへん?」

「あー……ほら、僕の……」

「……なるほど。なんだよ、全然いけンじゃん」


 二人は庭先の話をしてるみたいに軽い口調。

 だけど私にとってそれは、とても難しいことだった。

 だって午後は学習の時間。それを疎かにして出かけるだなんて、できるわけがなかったの。

 勝手な外出をお父様が許してくださるはずがない。

 何よりお姉様に会いたいだなんて、そんなわがままを言えばどうなるか……。

 でもそんなこと、二人には分からないわよね。

 だから無難な理由を探し、断りを入れようとしたのだけど。


「任せろ」


 そう言ったアラタが、クルトの肩に腕を回して引き寄せた。


「お前さ……親父さんに……で……って言え。んで……ったら、……だろ」

「えっ⁉︎ いや、それはちょっと……っ」

「なンでだよ。こいつなら平気だって」

「そんなの分からないじゃないか⁉︎」


 急に慌てだしたクルトが、頬を朱に染めて私を見るから、ドキリとしてしまったわ。

 な、何? 私がどうかしたの?


「駄目だよ。彼女には……」


 縮こまってそう言うクルトの様子に、アラタがたいそうな難題を押しつけているのだということだけは分かった。

 きっと家のことが関わるのね。私とクルトは立場上色々難しいもの。それなら、無理強いなんてしちゃいけないわ。


「アラタ、良いの。私のことは気にしないで。お気持ちだけ受け取っておきます。ありがとう」


 また手紙を出してみる。そして、状況が分からなければ、仕方ない……、それだけのことよ。

 本心では胸が張り裂けそうだったけれど、だからって二人に迷惑はかけられない。


「クルトも、ごめんなさいね」


 そう言い無理やり口角を引き上げて、笑みを浮かべてみせたわ。

 大したことじゃないのだと、そう伝えたつもりだった。

 しかし私の表情を見たクルトは、また困ったみたいに眉を寄せてしまったわ。


「お前なぁ……そんなん、やってみなきゃ分かンねぇままなんだぞ?」


 またもやアラタが、咎めるみたいな口を挟むものだから。


「アラタ、クルトを責めないで」


 そうたしなめたら、クルトはちらりと私を見た。


「……サクラにとって姉君は、とても大切な人なんだね」

「そうだけど、もう嫁いだ方よ。あちらの家にだってきっとご迷惑ですもの。だから良いの。聞かなかったことにしてちょうだい」


 軽く言ったつもりだったけれど、クルトはそれでさらに困った顔になって、少しだけ視線を彷徨わせてから、意を決したように顔を上げた。


「サクラ。一日だけ……待ってもらえる?」

「気にしなくて良いのよ」

「いや、大丈夫。どうか任せてほしい」


 それがクルトにとって、全然大丈夫なことじゃないのは、その表情で分かっていた。

 すごく不安そうな、私の様子を伺うような視線……。でも、同じくらいの決意も見えて、私だって本当は、お姉様のことが泣きたいくらい心配だったから……。


「……分かったわ。でもクルト、無理はしないでね。私、二人のその気持ちだけで充分だから」


 そう言うとクルトは、少し無理やりに、大丈夫と微笑んだ。

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