第六章 味来君の未来
「一体なんで、こんなことに……」
助手はうめき声を上げた。目の前には埋めなければいけない書類の束。向かい側には総務ちゃんが座り、同じようにひぃひぃ言いながら書類を書いていた。わずかに電灯がついた食堂。利用しているものは誰もいない。当たり前だ。いまは夜中なのだ。
いくら昼夜が逆転している研究者がいると言っても、食堂で働く人は昼間を中心に動いている。ご飯を作ってくれる人がいなければ、お腹の空かせた研究員(その多くがフラフラと動くゾンビのようであった)は外に食べに行く。夕飯であれ、夜食であれ、空腹を抱えた研究員がこの時間にやってくることはない。
そんな研究員は今頃、フラフラの状態で外に買い出しにでかけ伝説を作っているだろう。彼らとすれ違った善良な市民はゾンビだと勘違いし、あの研究所はゾンビを飼っているという噂をささやく。もちろん、研究所にゾンビなんていないし、ゾンビを作る計画もない。ここには世間からちょびっと感性がずれた、もしくは大きく違った研究員しかいない。
静かな食堂だったが、廊下では研究員のものだろう、いくつもの足音がしていた。きっと博士の爆発のせいで、なにか不手際が起こったに違いない。その足音は焦りや苛立ちが入り混じったようなものだった。
「私なんであの時、助手さんが危険をかえりみずコンセントを抜こうとしたのか、やっとわかりました。爆発させるとまさかこんなことになるなんて」
もちろん、総務ちゃんだって、爆発事故が起こったら大変なことになることは知っていた。だが、こういう大変さだとは思っていなかった。
総務ちゃんは日中まとめていた髪をほどいて、ボサボサになっていた。コンタクトも外してメガネにしていた。その奥にある瞳が薄らとにじんでいる。助手の短い髪も負けず劣らずボサボサだった。後頭部の髪の一部は、主人の気持ちを無視して元気よく跳ね返っていた。
「僕も味来君の未来がこんな風になるなんて予想もつきませんでした……」
助手と総務ちゃんは顔を上げ、同時にため息を吐いた。
博士が起こした爆発事故、その始末書を二人は書かされていたのだ。家に帰って、気持ちを落ち着かせることもできなかった。事故が起こった原因を速やかに究明するため、始末書を書き終えるまで、研究所を出てはいけない決まりになっていた。助手はずぶ濡れになりながら、心配して駆けつけてきてくれた同僚に、ハードディスクを乾かし、データを復元しておいてくれと頼んでおいた。
その後二人は、研究所に備えつけてあるシャワーを浴び、服と髪を乾かしやっと人心地ついたかと思ったら、所長に報告に行けと言われ、仕方なく所長に状況を説明しに行くと、所長は青筋をたてて始末書を書くよう言ってきたのだ。
この始末書がやたら細かく書かなければいけないので、誰もがこれを書くと呪われると言って忌避していた。今回の場合だと、使用した素材の詳細(この場合は食材)が何グラムで、お酒の容量から、引火までの過程と温度まで書かなければいけなかった。本来であれば、機械の配線の具合も書いて、どこから熱が発生したのかも解明しないといけないのだが、そこは博士が発明し、博士以外にはわからないので免除された。それでも細かい事を書かないといけなかった。
「すみません、巻き込んでしまって」
助手は頭を下げる。本来、研究とはなんの関係もない総務ちゃんも書かされているのは、単純にその場にいて割りを食ったのだ。もちろん総務ちゃんに機械の細かいことなどわかるはずもなく、助手が教えながら書いていく。
「そんな、助手さんが謝る事じゃないですよ」
総務ちゃんは手を降って、頭を上げて下さい、と言った。総務ちゃんは笑おうとしたが、失敗し顔をくしゃくしゃにする。
「二人とも、なにしているの?」
男のものとも女のものともわからない中性的なよく通る声がして二人が顔を上げると、背の高い人物が近づいてくる。研究員の中では、白衣を着る者と、そうでない者がいるが、その人は後者だった。そのため半袖のアイロンのかかったワイシャツとスラックスを着ているのがわかった。スラリとした足を、ツカツカと動かして二人のそばにやってきた。
「噂になっている博士による爆発の始末書か……」
その人はテーブルの上にある書類をのぞき込む。
「ああ、宝塚さんでしたか」
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