第九話 出会いは一期一会

 その日、ひばりたちは片付けを済ませると、すぐに美咲の運ばれた病院に駆け付けた。エレベーターに乗り、病室に向かうと、廊下の途中の休憩所で、五十歳くらいのおばさんに声を掛けられた。

「あなたたち、神無学園大学の学生さん?」

「そうですけど、どなたでしょうか?」

「蒼谷美咲の母です。さっき美咲に『大学の友達がお見舞いに来るかも』と言われたので、ひょっとしたらと思って」

「美咲さん、お話ができるくらいにはお元気なんですね!」

 虎山くんが大声を出す。おばさんは「意識は戻ってるから大丈夫よ」と表情を緩めた。

「あなたたちのことは美咲から聞いてるよ。知り合いしか増えないあの子にとって、ピンチのとき、駆け付けてくれる親友ができたことは、誇りになってると思うわ」

「こちらこそ、美咲さんのおかげで、みんなで活動する楽しさを知れました」

 すると、美咲のおばさんは「美咲が待ってるから、早く行ってあげなさい」と、ひばりの背中を優しく押した。

 美咲の入院しているひとり部屋に着く。入口のドアを開けると、すぐに美咲と目が合った。美咲は嬉しそうな表情で、「おいで」と三人を手招いた。

「よかった。思ったよりも元気そうだね」

「身体のほうは、あまりよくない状態みたいだけど、心はとても元気だよ!」

「それならよかった。蒼谷さんが動けなくなったとき、虎山くんが救急車や先生呼んで、大活躍してくれたんだよ?」

「月都、ありがとう。月都がいなかったら、私はどうなってたかわからない」

「俺は自分のできることをやっただけだ」

 ひばりが「遊園地のときとは大違いだね」といじる。彼は頭を掻きながら言った。

「あのときは周りが見えてなかったけど、今は大人になれてるといいな」

「なれてるよ。私は今日からも辛いときには、ひばりの寝顔の写真見ながら乗り越える」

「ちょっとー。恥ずかしいから消してよ」

「とにかく、美咲の元気そうな顔が見れてよかったよ。じゃあ、そろそろ俺たちは帰るけど、お大事にな」

「えぇ、もう帰っちゃうの⁉」

 そそくさと部屋を出ていく虎山くん。ひばりたちは「また来るからね」と美咲に手を振って、彼を追い掛けた。虎山くんは、さっき美咲のおばさんと会った、廊下の休憩所にいた。声を掛けると、顔を上げて目が合った。

「すぐに抜けて悪かった。想像以上に美咲に同情しちまって、胸が苦しくなって、あの場にいられなかった。ほんと、情けないな」

「そんなことないよ。これは私たち全員で背負うものだと思う。私は明日から毎日、美咲の病室にお見舞いに行くって決めた。ふたりも自分にできそうな範囲でいいから、美咲のためになることを探してみよう?」

 ひばりは凛とした表情で、「お互い頑張っていくしかないよ」と廊下を歩き始めた。


 次の土曜日、玄はクリニックを受診した。診察室に入ると、いつもの眼鏡をかけた宇佐美先生と目が合った。しかし、今日の先生は普段とは少し様子が違った。

「亀川くん、こんにちは。今日はお伝えしなければならない、大切なお話があります」

 続けて先生の口から出てきたのは、来月の診察を最後に異動になるという話だった。玄とは今日を含めて、あと二回話したら会えなくなるらしい。ふと、両耳の奥に違和感を覚える。玄はいつかのように、逃げるように診察室を飛び出していた。

 その日の夕方、ようやく幻聴が収まり、玄はクリニックでのことを思い返していた。宇佐美先生とはあと二回しか話せないのに、そのうちの一回を、幻聴のせいで無駄にしてしまった。玄は話を聞いてもらおうとLINEを開いたが、誰に連絡すべきかわからない。今は蒼谷さんの入院の影響で、朱村さんも虎山くんも、玄を気に掛ける暇もないほど忙しそうだ。窓から差し込む赤い夕日が、終わりのない寂しさを暴くようで怖かった。


 翌日、玄の両親は用事で出掛けていた。昼食は自分でなんとかしなければならないので、玄は近所の牛丼屋に足を運んだ。牛丼屋に到着すると、なんと入り口のところで偶然、オタクの宇佐美さんと鉢合わせた。

「展覧会ではお世話になったでござる!」

「宇佐美さん、ありがとうございます。実は今、いろんなことで悩んでいて……」

「それならテーブル席を選んで、拙者と一緒に食べてみては? 亀川殿の悩み、拙者でよければ聞かせていただきたい」

 それからふたりはテーブル席に座り、牛丼を食べながら話した。蒼谷さんの入院に、宇佐美先生の異動。心の支えが一気に外された気がして、ひとりでは何もできない恐怖に苛まれている。そのことを宇佐美さんに話すと、彼は相槌を打ちながら聞いてくれた。

「……なるほど、それは大変だった。姉上がご迷惑をお掛けして申し訳ない」

「宇佐美先生は何も悪くないです。無力で気弱すぎる僕が悪いんです」

「亀川殿は優しい方でおられますね。というのも、普段から頼れる友達がいること自体、とても素敵なことだし、状況に応じて周りに配慮して、相談しない選択を取っているのも素晴らしいと、拙者は思うのでござる」

 なるほど。今まで気付かなかったが、確かに宇佐美さんの言う通りかもしれない。玄はうなずきながら、左手の箸を口に運んだ。

「『選択』という言葉について、誰しも決められた範囲内ではあるものの、選択しながら生きていると、拙者は思うのでござる。例えば、『有麒麟凛』というRPGはオープンワールドのゲーム。オープンワールドはプレイヤーが動ける範囲が広く、注目を浴びている分野でござる。そして、このゲームではある程度、自由に動けるが、全てのダンジョンを攻略しないとラスボスと闘えないのでござる」

「つまり、僕は経験値が足りないのに、ラスボスと闘おうとしているってことですか?」

「左様でござる。ラスボスと闘えない壁にぶつかってるのに、亀川殿にはそこしか見えていないふうに思われる。でも、そんな窮屈に考えなくても無問題。亀川殿が姉上と最後に会ったとき、できることはなんでござるか? 正解なんてないし、自分が思った答えがおのずと正解になっていくから心配ご無用!」

「ありがとうございます! 僕、来月の受診で、先生を安心させてきます!」

「それはよかった。また不安なときは話を聞けるし、相談でなくても亀川殿のお力になりたいので、もしよければ、拙者たちも連絡先を交換してみてはどうでござるか?」

 牛丼を食べ終え、スマホを手に取る宇佐美さん。ふたりはLINEを交換した。


 翌月の受診。玄は宇佐美先生の診察室に入ると、前回、急に逃げ出してしまったことを謝った。すると、先生のほうからも「こちらこそ、助けてあげられなくて申し訳ありませんでした」と謝ってくれた。

「それと、今日はこれまでの感謝として、先生にお渡ししたいものがあるんです」

 玄は自分のカバンからA4サイズの大きなサイン色紙を取り出した。色紙には宇佐美先生の笑顔の似顔絵が、水彩画チックに描かれている。先生は驚きと嬉しさが混じったような声で「ありがとう」と言った。

「宇佐美先生、今までありがとうございました。僕、これからは先生の手助けなしでも頑張るので、安心してください」

「亀川くんは成長しました。昔は私しか心の支えがありませんでしたが、今は周りを適度に頼れるようになりました。私にも学べるものがあったので、亀川くんには感謝しています。初めて会った日、手が空いていたので相談に乗れましたが、本来の私の仕事はそういうものかもしれません。これからも私は、いろんな人の力になれるように頑張るので、お互いうまくやっていきましょうね!」

 眼鏡の位置を直しながら話す先生。玄はそれを聞きながら、色紙に似顔絵を描いた自分の左手が、ようやく誇らしく思えてきた。玄は最後に「今まで大変お世話になりました」と、深々と頭を下げた。

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