四つの季節

辻岡しんぺい

冬 聖夜のできごと

 十二月の二十四ともなると街中も妙にせわしなくなる。Christmas Eveというのが本来はどのような意味を持っていて、この日には本当はこんなことをしなければならない。というのは仏教徒の私は全く知らぬことであるが、近頃は専ら異性と過ごすのが習慣のようだ。あまり関心のできることではないが、当人たちが満足なら私には至極、興味の及ばぬことだ。栄するも、滅ぶも、好きにするがよい。

 夜も更け、お偉い様の嫌味からも開放され、ようやく野に放たれると聖夜は夜とも思えぬような明るみにつつまれていた。人々が息を白くさせて行きかい、その上ではいかにもけだるい様子で、薄汚いneonが短い生命を散らしている。私はその中に分け入った。心なしか行きかう人の姿も浮き足立っている。親子連れ――こんな時間に子供をつれて外出するべきではない――仕事仲間の寄り合い――彼らの上げる笑い声は懐かぬ犬の如く不愉快である――仲の良い男女――一撃を見舞うに値する。

 人の中にいるのがいたたまれなくなって、私は小路に入った。本当ならもう、我が家で冷や飯をお納めする時間だ。寝ている家族を恨めしげに眺める時間だ。ただ一人自室で遊んでいる長男を睨みつける時間だ。

 小路から再び公衆の面前に出でた。そうして眼前にあるbarを気取った嫌味な居酒屋に入った。私はcounterに座り、色の悪そうな麦酒を頼んだ。奥の座敷からchampagneを開ける景気の良い音がする。座敷にchampagneとは何と歪な空間なのだろう。見ると真っ白な障子に影法師のように、ぼうっと腹の出た男達が群れを成しているのが見える。見るも醜悪な連中だ。彼らの笑う声は店中を殴ってまわった挙句に勘定もせずに出て行った。そんな声である。ついで近くの机に座った男女が目に付いたので見てみると二人して小さな声で妙なことを囁き合い、ときおり笑っている。

 私にもあんなころがあったのかも知れない。いや、私にはそんなことはできなかった。

妻の手も握れなかった。妻の顔も見ることができなかった。今の人は何故、そんなに無愛想なの? と聞きそうだが、それは違う。この質問を投げつける人間は恐らくは、本当の、一等賞の恋をしたことがないのだろう。それは何故か? とお次は詰問する人間が現れることだろう。私はその質問をする前に「恋をしなさい」と言って捨ててしまうより他にない。

 二つ隣の女が眼に入った。西洋の探偵のような出で立ちで、琥珀色の酒に氷を浮かべ、煙草を呑んでいる。その目は鋭く虚空を睨み、時折氷のからんからんという音がする。それ以外には何者をも感じなかったが、全くの他人にそれだけのものを与えたのだから、全く凄まじい女であると思う。

 そのとき、身なりのよい男が、かの女の隣(すなわち私の隣)に座った。そしてそのほうを注視しながら、女と全く同じ酒を注文した。彼の整髪剤で固められた光り輝く髪、臭い立つような背広に、鼻の下に添えられた、ささやかな髭は彼にすこしばかり華を添えている。といったところか。だが、実際私はこの手の男が隣に座っていると思うと、背筋が凍るような思いがする。

 男は女に声をかけた。何を言ったのかはよくわからないが、「一人ですか?」とかそういう下賎な質問に違いない。男の声は空を切って飛んでいった。男はもう一度、その質問を投げかけた。が、その声が何者かを得ることはなかった。男が絶望的な表情でさらなる質問をなげかけようとした時、かの女は苦虫を噛み潰したような顔で席を立ち細長い財布から金をたたき出すと、そのまま無愛想な様子で店を出た。

 私はその様子が愉快でたまらなかった。男の方はといえば、顔を左右に振り、「わがままな女だ」と言わんばかりの皮肉を持った微笑をして、こちらに同意を試みた。私は気付かぬ風を装い、天井から吊り下げられたtelevisionに目をやった。

薄汚い男の悲哀を称えた顔が見えた。どうやら「ホーム・アローン」を放映しているらしい。私はマコーレ・カルキンの顔をも見ないうちに、店員を呼びつけ金を渡した。店を出て、家路についた。相も変わらず人の波は引くことを知らない。私は彼らに別れを告げた。

 死んだような玄関に靴を放置すると、長男の部屋に明かりが灯っているのが見えた。

中からびゅんびゅんと言う電子音と「殺すぞ」だのと物騒な声が聞こえてくる。本人が楽しいなら特に言うこともないのかもしれないが、あまり関心できることではない。しかし、私は彼の部屋に踏み込む力はなかった。

 私は食卓までいくと、冷えた夕食があることを確認し、寝室で妻と長女の寝ているのを確認した。少し前までは私が長女の代わりにあそこで寝ていた。

 胃に年貢をお納めする前に私は、懐から煙草を出した。部屋の中で煙草を吸うと皆が怒るので硝子を開けてverandaに出た。冷たい風が頬を何度も叩いた。火をつけるまでに時間がかかった。

 思えば今の暮らしにたどり着くまでにもまた、随分と時間がかかった。自分は幸福であるといつも思っていた。ところが今になると、私の心には「食欲のない」妙な感覚が渦巻いている。さりとて「腹が減った」わけでもなく。またその対極でもない。言うにいえぬ喪失感のような空虚な感情である。

 全てが行き着くところは恐らくは空虚な満たされぬ孤独であろう。どれだけ多くを得たとしても、人は心のうちでは、結果として、あくまでも結果としては何者をも得てはいないのではないのか。と、それはあくまでも被害妄想なのかもしれぬが。そうでなければ、このような感情が起こりえるわけがない。ということは、全ての人の行き着く先は、空虚な情の上に成る虚無なのだろうか。

 しかし私はそれを認めようとは思わない。せめてもの、せめてもの報いとして、私は昔、妻と歌った歌を聖夜に投げつけた。


Wem der große Wurf gelungen,

Eines Freundes Freund zu sein,

Wer ein holdes Weib errungen,

Mische seinen Jubel ein!

Ja, wer auch nur eine Seele

Sein nennt auf dem Erdenrund!

Und wer's nie gekonnt, der stehle

Weinend sich aus diesem Bund!


 冷たい風が頬を撫でていった。

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