第4話 銀色の英雄は戦場に舞う 4

 ―――す、すごい……


 ヴォルフは傷の痛みも忘れ、戦車兵として、そしてそれ以上に男の本能としての感動に震えていた。


 噂には聞いていた。我が軍には選び抜かれた精鋭のみが搭乗を許される重戦車が存在し、それを運用する専門部隊―――特務重戦車大隊は凄腕ぞろいであると。その戦闘力は、圧倒的不利な状況であっても、たった1両いるだけで恐るべき戦果を残すことがあると。


 それでも噂は噂だと思っていた。多少大げさに宣伝しているだけだと。


 だが、実際に見たこの光景はなんだ? 正に文字通り、圧倒的ではないか。


 味方戦車全滅の憂き目にあったことで、武器も何もかも放り出し、死に物狂いで悲鳴をあげながら逃げ出していく連邦兵を追い立てるようにしながら、狩りを終えたティーガーがこちらへと走ってくる。


 やがてヴォルフのすぐ近くに停止し、逃げていく敵に対し機銃をばらまき始めたところを見ると、どうやら初めから自分の存在に気づいていてくれたらしい。敵兵が近付いて来ないようにヴォルフを守り、牽制してくれているのだ。


 危機は脱したとはいえ、所詮は戦車一両が齎した一時の混乱に過ぎない。この戦場にいる帝国軍は完膚なきまでに敗北し、すぐにここから逃げなければ危険なのは変わらないのだ。


 その間に、怪物の主が車長用ハッチから顔を出す。周囲の安全を確認すると、慣れた手つきで戦車から降りてこちらに歩み寄ってくる。


 礼を言わなければと思っていたヴォルフは、すっかりあっけにとられた。


———この人が、この最強の戦車を?


 夕陽に照らされた、戦車兵しか着ることを許されない漆黒の軍服を纏う、あまりに美しい白銀の髪持つ若き娘。


 快晴の蒼穹もしくは透き通った湖を思わせる青い瞳が、傷ついた”狼”を見下ろしていた。


 先ほどまでの熾烈な戦闘を演出したのが、この美貌の娘だという事実があまりに乖離しすぎていて、ヴォルフは言葉を失う。


「ご無事ですか?」


 かわいらしくはあれど、どこか人形めいた美しい外見に違わぬ静かな声。冷たさすら感じる無表情、しかし不思議な安心感を感じさせられる声だった。


 手袋に覆われた手が差し出される。絶景の夕日と、砲塔番号として412の数字を砲塔側面に刻まれた戦車を背にした白銀の髪を持つ娘の姿は、ある種の幻想的な雰囲気すら感じさせた。


 穏やかな風が銀髪を靡かせ、夕陽の輝きを反射する。ここが戦場であることすら忘れさせるかのような彼女の美しさが、ヴォルフの目に焼き付いていく。


 自分は助かったのだ。この女性指揮官と———わが身を犠牲にして助けてくれた先輩によって。


 その安心感が、どうにもならない喪失感と無力感を想起させ、そして今さらになってぶり返してきた傷の痛みと合わせて生き残った事実を自身に伝える。

 

 奇跡的に生き残れた安堵と、それ以上の悲しさと悔しさがない交ぜになりなりながら、右手で目元を覆い隠し、”狼”は泣いた。


 それとともに、緊張の糸が切れてしまって意識が遠のいていく。人形のような無表情の美貌が少し驚いたように目を見張ったのが、この時ヴォルフ・クラナッハが最後に見た光景だった。



 12月。帝国本国から東部戦線へと向かって、雪景色の中を前進する汽車の座席に、ヴォルフ・クラナッハ少尉の姿があった。


 あの後に目が覚めたのは野戦病院だった。幸いにして肩に銃撃を受けた以外に大した傷はなく、その肩の傷だって弾が掠めただけ。軽く縫うだけで済む程度のものだった。


 しかし命の恩人の姿はそこにはなく、礼を言うこともかなわなかった。


 同じ戦車隊の仲間に生き残りは無し。全員が乗車を破壊されて戦死した。ヴォルフの拙い指揮では、結局のところ誰一人として生き延びることができなかったのだ。


 そのかわり、歩兵は30人前後ながらも生き延びることができたのを報われたとみるべきか。


 いや、違う。もっと自分がうまくやっていれば———あの銀色の英雄の様に自分にも力があれば、あるいは仲間たちも助かったのではないか?


 夕陽に輝く銀色と吸い込まれそうな青の情景が、ヴォルフ・クラナッハという戦車兵の心に刻み込まれて離さない。


 野戦病院から退院した彼を待っていたのは、ティーガー戦車搭乗員課程への選抜だった。


 どうやら、あの戦いで滅茶苦茶ながらも指揮を執って味方を逃がすために奮戦した事実が誰かしらから伝わり、見込みがあると評価されたらしい。


 養成課程で過ごすこと5ヵ月。わずか一年どころか数日レベルでしかない小隊長経験と足りない頭を必死に動かした努力の末、各部隊から選抜されて経験豊富な同期たちに比べればずば抜けてよい成績ではないながらも、ちゃんと卒業には成功した。


 今、彼が頭の上にクラッシュキャップを被っているのは、あの日見た銀色の英雄に対するリスペクトだった。


———彼女のようになりたい。彼女のように、今度こそ自分も誰かを守れるように。


 その思いを胸に、彼は再び東部戦線へと赴く。


 行先は、帝国国防軍第502特務戦車大隊第4中隊。

 ティーガー戦車を集中配備された精鋭部隊の一つだ。


 それは、美しき銀色の英雄と同じ力を———戦場に君臨する最強の猛虎を手懐ける資格をヴォルフが得たということ。まずは第一歩、彼女に近づくことができた。


 しかしこれはまだ始まりの第一歩。あの日の彼女に、まだまだ自分は何一つ追いついていない。


 若き少尉はいつの日か、あの美しい銀髪の戦乙女と再会し、あの日のお礼を述べることのできる日が―――もし叶うなら、同じ戦場に立てる日が来ることを祈りながら、まだまだしばらくは続く電車の旅路で眠りにつくのだった。




序章 銀髪の戦乙女 了

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