第12話 包丁授与式

 教科書を持ち帰ったその日から、私は勉強を始めた。

 一学期が始まるまであと10日ほど。一年生の教科書のすべてに目を通して覚えていきたかった。

 公衆衛生、食品衛生、調理理論、栄養、調理用語集などなど。

 安堂先生からテストの問題集と答えのプリントをもらっていて、何度も問題を解いた。

 わからないところがあると、クラスのグループラインに質問すると、教えてもらえた。


 新しい知識が増えると楽しい。看護の勉強をしていたお陰か、栄養や衛生が体に与える影響に興味が沸いた。


 勉強をしていくうちに、頭の中の麻帆が身じろぎを繰り返すようになった。

 料理の勉強が、麻帆に刺激を与えているんじゃないか。

 目覚めが近いのかもしれない。

 希望が期待に替わると、私のモチベーションがアップして、もっと頑張れた。


 家での料理の回数も増やしている。

 お正月に親子丼を作って以来、動画を見ながらいろいろ作ってみた。工程が多いものはまだ作れない。簡単であまり時間のかからないものばかりを選んでいる。

 レシピ通りにきちんと計って作っているので、失敗はほとんどない。でも、麻帆が作ってくれた美味しい料理ほどではない。


「ねえ、麻帆、何が違うんだろう」

 私自身が味音痴なんだろうか。でもこの体は麻帆の物だしな。

 自分が作った物に満足がいかないのは悔しかった。



 始業式の日がきた。

 いつものように登校するけど、今日からはクラスが違う。二年A組の教室を通り過ぎて、B組の教室に入る。

 教室にはまだ誰もいない。今日は早くに家を出てきたから。

 みんなが話をしているところに入って注目を浴びるより、最初からクラスにいた方が、早く馴染めるかもしれないと考えた。

 

 教室に来る前に職員室に寄って、安堂先生に挨拶をしてから、自分の席を確認してきた。

 席は出席番号順だけど、私の番号は最後43番目だった。海野だから五十音がひっくり返らない限り、何をするのも始めの方だった。だから最後は嬉しい。名前あ行あるあるだと思う。


 扉側の一番後ろで座って待っていると、順にやってくるクラスメイトたちが、すぐに私が転入生だと気づいてくれた。

「あ、海野さん? よろしく」

「海野さんだよね。調理科にようこそ」

 と声をかけて行ってくれた。


 始業式が始まる前から交流ができたことで、辺な緊張をしなくてすんだ。SNSバンザイだ。


 講堂で終業式を終えてから、教室に戻ると、安堂先生に呼ばれた。

 教卓に向かうと、

「海野さんの包丁が届いたので、簡易ではありますが、包丁授与式を行います」

 と先生が言い、教卓に置いていた黒いハードケースを差し出した。

「一年の遅れをものともせず精進し、立派な料理人になってください」


 みんなの前で私一人だけの包丁授与式なんて、少し恥ずかしい。

 ハードケースを両手で受け取って、席に戻ろうとすると、

「せっかくだから写真を撮りませんか」と、一人の女子生徒から提案された。


 拍手が沸き上がり、教卓にクラスメイトたちがわらわらと集まってきた。

 私は中央に招かれて、胸の前でハードケースを持ってて、と言われた。

 安堂先生が写真を撮ってくれて、すぐにグループラインに写真がアップされた。


「あたしたちも入学式後にしてもらったんだよ。校長先生から包丁を受け取って、最後にみんなで写真を撮ったの。これ、去年の」

 隣の席の女子生徒が、スマホを見せてくれた。コックコート姿でハードケースを抱えた生徒たちが、さっきみたいに集まっていた。


「包丁式っていうのが、平安時代から伝わってるらしいよ」

「平安時代から?」

「手を使わないで、お魚を捌さばくの。YouTubeで見たんだ。雅だったよ」

「え? 手を使わないの? 後で私も見てみる。教えてくれてありがとう」


 ホームルームが終わって、みんなが帰って行く中、私はまた安堂先生に呼ばれた。

「教科書には目を通しましたか」

「はい。一年生の教科書はすべて読んで、テストも解きました」


「頑張っていますね。明日の午後から補講を行います。コックコートを準備しておいてください」

「はい」


「それと、包丁は実習室で鍵付きの棚に保管しています。早く包丁に慣れたいでしょうが、基本自宅には持ち帰らないようにしてください。危ないですからね」

「ダメなんですね。わかりました」


「今渡した包丁を、実習室に置きに行きましょう」

 先生についていって、実習室に入る。実習室の鍵は職員室で保管していると聞かされる。

「収納する前に、一度見てもいいですか」


「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」


 どきどきと胸を高鳴らせながら、鍵を回し、留め金を外してゆっくりと蓋を開ける。

 カバーのかかった三本の包丁が、刃を下にして、仕切りの中に納まっていた。

 一本を取り上げて、カバーを外す。使うのが惜しく感じるほど、きらきらと輝いている。うっすらと麻帆の姿が写っていた。


「名前が入ってる!」

 上部に『海野』と彫られている。麻帆の物なのに、心が浮き立った。


「手入れの仕方も覚えてくださいね」

「自分で研ぐんですね」

「あなたの商売道具になるかもしれないものですからね。大切にしてあげてください」

「わかりました」


 しばらく包丁を眺めたあと、ケースに収めて、しっかりと鍵をかけた。

 みんなと同じように棚に収納して、先生が棚の鍵をかける。


「では明日から頑張ってください。遅れを取り戻しましょう」

「よろしくお願いします」


 明日からの補講に、緊張感と期待感で全身がうずうずしていた。

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