第二部 海野 汐里

第1話  助かったけれど

 ここは、どこ?

 まぶしくて、何度か瞬きをする。明るさに慣れた頃、目を凝らした。

 白い天井。カーテンレールが見える。

 かすかに消毒液の匂いが鼻に届いた。

 病院だと、すぐに気がついた。

 助かったんだ。


「麻帆、気がついたんだな」

「良かった。良かったあ」


 視界にパパとママが入った。

 二人とも目が真っ赤。泣き腫らし、鼻をすすりあげている。


「ごめ‥‥‥なさ‥‥‥」

 喉がうまく動かない。

「話さなくて、いいのよ」

 ママが優しく頭を撫でてくれる。


「麻帆、すまなかった。ここまで追い詰められているのに気づいてやれなくて。厳しいことを言ったな」

 パパだけのせいじゃないのに、謝ってくれることが申し訳なくて、でも声が出なくて、首を横に振ることしかできなかった。


 自転車を追いかけてきた両親によって、海から救助された。

 意識はあったものの、救急搬送されて処置を受けた。

 病室に運ばれて眠りにつき、目が覚めたのは、翌日の夕方。


 五日間入院して、後遺症もなく退院できたものの、両親は過剰と思えるほどの気を遣っていた。

 わからないでもない。私がいたら、きっと両親以上に麻帆にくっついて離れなかっただろうから。


 今、麻帆は眠っている。体ではなく、意識が。

 頭の片隅で、胎児のように丸くなって眠っている姿をイメージしている。


 麻帆の肉体を動かしているのは、汐里しおりである私。


 海に入っていこうとする麻帆を、なんとかして止めようと何度も何度も手を伸ばした。

「お姉ちゃんが、麻帆として生きなよ」と麻帆が叫んだ。

 麻帆の目に映った自分の姿が見えた瞬間、視界が反転した。


 軽いめまいがして、気持ちが悪くなった。

 全身が鉛を着たように重くなった。

 頭から波をかぶり、水中に引きずり込まれそうになり、慌ててはダメと自分に言い聞かせて、顔を水面に出した。


 海で溺れた時は浮いて、救助が来るのを待つ。

 学校で習ったことが役に立った。

 人は、水の中では98%沈んでしまう。しかし2%は浮く事ができる。

 その2%を腕に使ってはいけない。


 体の力を抜いて、手足を広げて仰向けになる。

 夜の海だから、救助は来ないかもしれない。けれど、可能性はある。

 両親が麻帆の外出に気づいていた。私たちの自転車には、父がGPSをつけているから、追いかけているかもしれない。


 麻帆の体を生かす。海の藻屑になんてさせない。絶対に。

 幸い沖には流されていなかった。

 去年、私が麻帆を助けに行った時は、離岸流に乗ってしまったから、それを危惧していたのだけれど。

 まもなくやってきた両親に見つけられた。


 両親は当然ながら、汐里の意識が入っているとは思いもしていない。

 私が幽霊になって帰ってきていることにも、気づいていなかったから。

 気づいてもらえないことは寂しかったけれど、それも仕方のないこととすぐに諦めた。


 どうして麻帆にだけ視えていたのかは、私にもわからない。

 麻帆が生み出した、イマジナリーな存在なのかもと思いもしたけれど、それでも構わないと思っていた。麻帆の助けになるのなら、ずっと側にいて見守ろうと思っていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る