第3話 夜闇と火竜
アルウィンは今までにゴットフリード領の内部の場所にしか行ったことがない。
そんな彼を乗せた既に馬車はゴットフリード領を過ぎて、ホッファート公爵領に入っていた。
彼にとっては道沿いの森や畑でさえ、見るもの全てが新鮮な景色である。
街道沿いは一定の距離で光る魔灯がつけられているために、暗くとも遠くまで見渡すことは困難ではなかった。
そのため、彼は初めて見るゴットフリード領の外世界に興奮して一睡もしていなかった。
そんな中で、彼はあるものを見た。
「なんだ、アレは?」
道の所々に死骸が見える。
吹き抜ける風に血の匂いは若干漂うけれども、腐敗の匂いはしてこない。形から見て亡骸の正体は
「レオンさん、見てよ!あれは……!」
「ふぇぇぇぇ……あれはぁ……先行する人達が倒したんだろうねぇ……」
気だるげで眠そうに返事をするレオン。
瞼の動きは重く、話しかけないでくれ、寝かせてくれと言わんばかりの表情でアルウィンを眺めている。
街道沿いに数匹出現した魔物は、全て前を往くほかのヴィーゼル流剣士たちの隊列に討伐されていたようだ。
「この辺りの
オレの村の近所の森の個体は、みんな揃って2回りくらい大きいんだよ」
「ふぇぇぇぇぇ……そうだったんだぁぁ」
欠伸混じりのレオンがそう発言したとき、南西の空が突如、臙脂の色に染まったのだった。
途端に月光が遮られ、轟くのはガルルル…と地の底から響くかのような唸り声。
レオンはその声にハッと眠い目を見開き、ガバッと窓に身を乗り出して外の襲撃者を仰ぎ見た。
月を覆い隠す巨大で力強い翼は、身体の倍以上の大きさである。鉄を溶かすときの灼熱の炎ような色の甲殻に、トゲのある強靭な尾。
50フィートはありそうな火竜の姿に、ウトウトしていたはずのレオンはカッと目を見開いて───馬車の座席から剣を引き抜いたのだった。
「5時の方角に火竜ティラニリオン!総員、戦闘用意!」
身を乗り出したレオンが、後ろの馬車にそう命令し、闇夜に飛び出す。
その姿は、訓練された軍人のものだった。
後ろにいたヴィーゼル流剣士の馬車からも次々と剣士が飛び出ていくのを見て、遅れていられないとアルウィンも剣を片手に夜闇に身を投げた。
火竜は、
火竜は空中で優雅に羽ばたき、燃え上がった石炭のような目で剣士たちを鬱陶しそうに睨んでいた。
魔法使いがいれば、容易に穴を開けて撃ち落とすことは出来そうなほど大きな翼。
しかし、魔法が使えるアルウィンも確実に撃ち落とせると言える程の技量を持ち合わせていなかった。
たとえ脚力を魔力で強化して飛び上がったとしても剣が届かぬ位置にいる火竜。
剣の届く距離に火竜を入れなければ、上からの火炎放射で焼かれてしまう。
アルウィンの頬に、一筋の冷たい汗が垂れた。
火竜は空中で首を後ろに反らし、大きく息を吸った。
この動作は、
この動作が来たということは、次に来るのは口から繰り出される咆哮、火球ないしは火炎放射なのだということを意味している。
隣のレオンは、落ち着いた動作で息を深く吸い込んで剣を構えた。
ほかの剣士もそれぞれ構え、火竜を睨みつける。
アルウィンは初めて見る火竜に胸が高揚し、好奇に満ちた眼差しで剣を構えていた。
火竜は勢いよく頭部を前に振り下ろした。
途端、漆黒の夜の帳が眩しい光に包まれる。
火竜が行った攻撃は、5連続の火球の発射だった。
発射した途端に火竜は急降下して、地上にいる剣士たちに向かって突撃をかける。
「「「ヴィーゼル流!〝
まず、先手を切るように駆け抜けたのはレオンだった。剣に魔力を纏わせて、炎に向かって勇ましく突っ込んでいく。
レオンに続き、他の剣士たちも放たれた火球のもとへ駆け抜けていった。
一人残されたアルウィンも、ワンテンポ遅れたものの、剣士たちを追うように駆けていく。
一番乗りのレオンは火球が迫ってきた途端に、その火球を上段に振り上げた剣で真二つに斬り裂いていた。
〝
斬り裂かれた火球は黒煙を撒き散らしながら爆散。
残りもレオンの対応したものとほぼ同時に消滅していた。
一番後ろで彼らを追いかけていたアルウィンは、急降下した巨大な影をしっかりと目に焼き付けていた。
加えて、その影が黒炎に遮られているレオン目掛けて低空飛行で襲ってくる最悪な未来を、彼のみが見通していた。
───レオンさん達は火球ばっかりで火竜のことを注視してなかったんじゃないか?
竜が突っ込んでくるぞ!まずい!
駆けるアルウィンは魔力の流れを知覚するために心を落ち着かせた。
十数ヤード先の煙幕の中には魔力の残穢。火球を斬り裂いた剣士たちのものだろう。
そして、その残穢から30ヤードほど先に、加速してくる巨大な魔力。
火竜だ。
───オレが何とかしないと……!
アルウィンは魔力で脚力を強化し、縮地をしながら大きく跳んだ。
火竜の魔力は18ヤード前方まで迫っている。
「レオンさん、背中借りるぞ!」
跳んでいたアルウィンは、煙幕に突入し、一番奥にいたレオンの肩に狙いをつけて降下。
着地と同時に再度縮地を発動させ、前方に大きく跳躍した。
「痛ッ!」
レオンの悲痛な叫びは、アルウィンに届かない。アルウィンの踏み切りの衝撃は凄まじく、レオンはその場で尻もちをついてしまったのである。
しかしレオンは、瞬時にアルウィンの行動の意図を理解しのだった。
「アルウィンさん……行け!」
アルウィンの視界から黒煙がふっと消えた。
彼が黒煙の煙幕から脱出したのである。
視界のやや下に映るのは、火竜の赤い巨体だ。
彼と竜は互いに目を合わせた。
竜は勢い尻尾を振り子のように勢いよく振り、勢いそのまま脚部を前方に体重を移動させる。
スライディングするようなその姿勢で、後脚の鋭い爪をアルウィンに向けていた竜。
その爪はナイフのように鋭く、防具のないアルウィンが裂かれれば大量出血は免れない。
しかし、アルウィンには勝算があった。
互いの目線が交錯する。
アルウィンは右に持った剣を強く握り、ゆっくりと息を吸った。
「シュネル流……〝
右後方に構えた剣を左肩の方向へ振り、そして手首を切り返して右上へ振り抜く二振り目の斬撃、計2つの斬撃を振り抜いたアルウィン。
彼の斬撃は一撃目で火竜の左脚の鋭い爪に突き刺さり、全て綺麗な切断面を形成させていた。
飛散した鋭利な爪が、落下して地表に突き刺さる。
彼の二撃目は左膝を捉えていた。
下から振り抜かれた鋭い斬撃は、火竜の膝の皿を割りながら深く肉を抉っていく。
グルアアアアアアアアアアアアッ!!!
憤怒の形相を浮かべた火竜は、左膝からアルウィンを引き剥がそうと腿を激しく動かした。
未だ斬り終わっていないアルウィンの肺に、勢いよく黒煙が入り込む。
───このままでは、レオンさんが危険だ!
アルウィンは今にも咳き込みたい衝動を必死に抑え込むと、歯を食いしばり、歯に力を込めて勢いよく振り切った。
アルウィンの斬撃は後脚の後側まで貫通しており、迸る鮮血が月光に照らされて夜闇を鮮やかに彩っていた。
かつて竜種の堅牢な甲殻に遮られて思い通りに斬れなかった彼の斬撃は、数年の時を経て甲殻を断ち斬れるほど強力なものへと成長していた。
彼が上位冒険者として討伐した竜は合わせて40ほど。火竜との戦いは初であったが、竜種との戦闘経験は相当積んでいる。
振り抜いたアルウィンは、そのまま重力に導かれるまま落下していく。
アルウィンの前髪は強風に襲われ、ぶはっと広がっていた。
勢いはある程度削げたものの、依然として煙幕を利用してレオンたちを襲おうとしていた巨体がグワッと口を開ける。
その時。
「ヴィーゼル流!〝
レオンの声が、空に響いた。
途端、アルウィンが斬りつけていた火竜の左脚側ではなく反対の右側に衝撃が走る。
そして。
僅かな血液を空に撒いて、翼膜が大きく裂けるのだった。
「今だ!」
膝を軽く曲げて、衝撃を分散させながら綺麗に着地したアルウィンを横目に見て、頭から落ちた火竜にレオンを筆頭としたヴィーゼル流剣士たちが襲いかかる。
火竜はどうにか立ち上がろうとするが、左脚の筋肉はアルウィンに裂かれているために上手く身体を起こせない。
左脚で無理やり踏ん張ろうとすればするほど滝のような勢いで飛び出る竜の血潮。
ドグルァァァァァァァァァァッ!!
四方八方から襲いかかる剣の猛者たちに、怒りの咆哮をあげる火竜。しかし、それは最後の悪足掻きである。
二足歩行の火竜にとって、地に堕とされて片脚を失ったことは即ち死を意味するのだ。
「「うぉぉぉぉぉぉぉ!!」」
ヴィーゼル流剣士たちはアルウィンが加勢する間もなく、頭部、腹部など火竜の肉質の柔らかい場所を積極的に狙いながら矢継ぎ早に斬撃を放っていた。
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