『壊れそうな君と、あの約束をもう一度』SS集

九条蓮@MF文庫J『#壊れ君』発売中!

クリスマスイブSS《少しだけ伸びた、クリスマスイブ》

 十二月二十四日──クリスマスイブ。

 ホワイトクリスマスには程遠く、透き通った空が印象的な夕暮れだった。そんなクリスマスイブに、廉司れんじは幼馴染の祈織いのりと一緒にケーキ屋さんに向かっていた。

 今朝いきなり『……ケーキ、買って帰らない?』と言われた時は、心臓が飛び出るかと思ったが──何ということはない。珍しく父親が予約したクリスマスケーキを、代わりに買ってきてほしいというだけの話だったのだ。

 ただ、それでも廉司からすれば嬉しい申し出だった。

 まさか、クリスマスイブにこうしてふたりで過ごせるとは思ってもいなかったわけで。高校生男子にとっては、好きな子とこの日を過ごせるだけでも意味があるのだ。

 ふたりで終業式終わりに待ち合わせをして、それから商店街にあるケーキ屋へと向かうはずだったのだけれど……どうしてか、廉司達は海辺の遊歩道を歩いていた。

 正直に言うと、この遊歩道を使う必要はなかった。でも、どちらともなくこの遊歩道に入って……少し、遠回りをしよう。そんな空気になったのだと思う。


(まさか、こうしてイブを過ごせるなんてな……)


 そう心の中で思いつつ、廉司は隣の幼馴染をちらりと盗み見た。

 その刹那、相模湾から吹き付ける冷たい海風が、その長い黒髪と白いリボンを揺らす。祈織は寒そうに顔を強張らせて、ぎゅっと身体を縮めた。

 そんな何気ない仕草と表情を見ているだけなのに、この寒空に反比例するかのように、どうしてか廉司の心はぽかぽかと暖まる。

 小さい頃から何度も見ていたはずの、整ったその横顔。見慣れているはずなのに、どうしてか見惚れてしまっていた。

 考えなくても、その理由は明白だった。

 こうしてまた、当たり前に隣を歩けるとは思っていなかったから。こうして彼女とクリスマスイブを過ごせるなんて思っていなかったから。それが全てだと思う。

 廉司と祈織は……中学と高校という所謂青春のメインコンテンツともいえる期間の半分以上を、他人として過ごしていた。色々あって同じ家に住むことになっていたにも関わらず、だ。

 もったいない時間を過ごしてしまった。その自覚は十分にある。

 本来なら、この横顔も、こうして彼女の隣を歩くことも、もっと当たり前だったはずなのに。


「……どうしたの?」


 幼馴染の彼女──祈織は廉司の視線に気付いて、不思議そうに小首を傾げた。


「え? あ、えっと……海、綺麗だなって」


 いきなり訊かれて、廉司は慌てて視線を少しずらした。

 あたかも最初から彼女の向こう側にあった相模湾を見ていたかのような口ぶりだが、もちろん相模湾なんて見飽きたものは見ていない。


「ああ……うん。今日、晴れてるもんね」


 祈織も廉司の目線を追って海を見やり、納得したように顔を綻ばせた。

 ちゃんと海が綺麗でよかった。これで海水が濁ってて空模様も最悪だったら、「どこが?」と返されて答えに窮していたところだ。


「それにしても、珍しいね。おじさんがケーキだなんて」


 祈織はどこかはにかんだ様子で言った。


「まあ、さすがに今年はって思ったんじゃないかな。去年、何もしなかったし」


 昨年のクリスマスを思い浮かべて、思わず溜め息が漏れた。

 昨年の今頃、祈織がうちで暮らし始めて数か月だったが、家の中にはまだぎこちない空気が漂っていた。結局、クリスマスらしいこともせず正月を迎えてしまったのだ。

 おそらく、それは父親にとってもどこか心残りだったのだろう。ケーキを予約したのは、彼なりの精一杯の贖罪だったのかもしれない。


「おじさん、去年も何か欲しいものがあればって言ってくれてたんだけどね。あの時は欲しいものなんて浮かばなかったし」


 祈織は視線を地面に落として、どこか力ない笑みを浮かべた。

 それもそうだろうな、と思う。

 両親、夢、家……一瞬のうちに全てを失くしてしまった彼女にとって、欲しいものと言われても何も浮かばなくても無理はない。

 いや、そうでなくても祈織にはもともと欲がない。春頃、即ち再びふたりの時間が動き出した頃に願い事について訊いてみたところ、素で『廉司くんの願い事が叶うのが私の願い事』と答える始末だ。本当にないのか、それとも自分の中に隠しているだけなのかの判断もつかなかった。

 今一度、改めてあの質問をしてみた方がいいのかもしれない。


「祈織」


 廉司は彼女の名前を呼び、足を止めた。その声に誘われるようにして、彼女もそっと足を止める。


「今も、何も浮かばない?」

「え?」

「願い事。欲しいものでもしたいことでも、何でもいいよ。今日、イブだし。言うだけならタダだろ」


 その言葉に、祈織はその青み掛かった瞳を大きく見開いた。

 それからはっとしたように俯き、迷いながら左右の手を重ね合わせる。

「言うだけなら、タダ……」と自分を鼓舞するように呟くと、小さな声で続けた。


「て、手袋」

「はい? 手袋?」


 全然想像もしてなかったワードが出てきて、廉司は戸惑ったように首を傾げた。


「手袋がほしいのか?」

「ち、違うってば」


 両手をぶんぶん振って否定してから、


「今日、手袋忘れちゃったから」


 と慌てて付け加えた。

 どういうことだろうか。いまいち何が言いたいのか読めない。


「うん? それで?」

「それで……ちょっと寒いなって、思ってたりして」


 もじもじと左右の手を重ねたり指を組んだりしながら、祈織が伏目がちに訊いてくる。

 寒さからか、或いは別の理由からなのかわからないが、頬がさっきより赤く染まっていた。


(あー……そういうこと?)


 そこで何となく彼女の願い事がわかった気がした。

 相変わらずわかりにくい。連想ゲームにしても、もうちょっとわかりやすいように言ってくれないとわからない。

 廉司は一度小さく深呼吸をしてから──そっと、胸元で重ね合わされた彼女の手を取った。

 繋がれた彼女の手があまりに儚くて、壊れそうで。でも、とても温かかった。


「……これでいい、っすか」


 自分の行動がとてつもなく恥ずかしく思えて、顔から火が噴き出た。恥ずかし過ぎて、なんだか突然敬語になってしまっているし。こんなことくらいにここまで勇気を要する自分が情けなくて仕方ない。


「え、っと……はい。あったかい、です」


 祈織の方も同じようで、さっきよりも顔を赤くして片言の敬語で返してきた。


「じゃあ、えっと……行くか。ケーキ屋」

「……うん」


 そうした気まずくもむず痒い気持ちのまま、遊歩道を歩いてケーキ屋を目指す。

 ふたりの間に、ほとんど会話はなかった。ただ海岸沿いの遊歩道を、幼馴染と手を繋いで歩くだけ。きっとそれが、今の廉司と祈織の精一杯のクリスマスなのだろう。

 誰かに見られるんじゃないかという不安や焦り、でもこの小さなあたたかさだけは手放したくないという祈りが胸中で錯綜し、ほんの少しだけ、彼女の手を強く握る。すると、それに応えるようにして、彼女もほんの少し強く握り返してくれた。

 もしかすると、同じような気持ちなんじゃないか。そんな期待と喜びが胸の中を満たしていって、ほんのりと身体に熱を齎す。

 でも、この時間はもう長くは続かない。それもわかっていた。

 遊歩道を抜ければ、商店街は目の前だ。目的地のケーキ屋さんは商店街に入ってすぐだし、この時間帯は当然人通りも多くなる。きっと、こうして手を繋いでいられるのは、あと数分間だけだろう。

 そして、それはあと数分のうちに、終わってしまう。

 普段は何とも思わないこの遊歩道。それなのに、今はこの退屈な道が永遠に続けばいいとさえ思ってしまっていた。

 程なくして……視界に遊歩道の出口が入ってくる。

 あそこに辿り着けば、この幸せな時間は終わる。

 永遠に続けとは言わない。せめて、あともう少し。もう少しだけ、この時間が続いてくれればいいのに。

 無意識のうちに、そう誰かに願っていた。

 すると──


「あっ……」


 視界の隅が明るくなったと同時に、祈織が小さな感嘆の声を漏らした。

 彼女は真横を向いていて、自然と廉司の視線もそちらに続く。


「おっ」


 そこにはあったのは、海辺に飾られたクリスマスツリーと光るサンタの大きな人形だった。

 夕暮れ時だったこともあり、ちょうどイルミネーションが点灯されたようだ。


「イルミネーション、見ていこっか……?」


 祈織は上目遣いでこちらを見上げ、遠慮がちに訊いてきた。


「そう、だな。せっかくのクリスマスイブだし」

「うん……せっかくだし。イブだし」


 相変わらずどこかどぎまぎした様子で。繋がれた手のあたたかさに、慣れていなくて。

 でも、ふたりだけのクリスマスイブは、ほんの少しだけ伸びていた。


(クリスマスSS 了)


※2024年12月24日Xにて投稿。

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