第13話
迎える本番の日。
すっかり舞台として整えられた舞台の上。あたし達の高校の文化祭はかなり大規模に開催され、生徒の縁者の他にも進学を考えている中学生も沢山来る。銀河鉄道の夜は有名なタイトルだから、客はそこそこ来ていた。
クラスの人数分しかない椅子はすぐに保護者などで埋まり、教室の後方に立って見ている観客もいた。その姿を隠れ見ながら、あたしはそろそろと息を吐く。
もうすぐ、劇が始まる。
あたしとあの子、二人の銀河鉄道の夜が、始まるのだ。
あたし、ジョバンニは孤独な少年だ。母は病気にかかっていて、所謂ヤングケアラー。クラスメイトのザネリにいじめられている。
質素な服に身を包んだあたしの肩が、ザネリ役の男子に軽く押される。少し大仰に倒れて見せると、ザネリは笑って、取り巻きを連れて去っていった。今日開催されるお祭りの話をしているが、あたしは蚊帳の外だ。彼らを冷めた目で見ながら、あたしは天を仰ぎ見た。
どこかから聞こえるアナウンス。『銀河ステーション、銀河ステーション』。舞台の背景が変わって、汽車の中になる。あたしは舞台の真ん中で佇んでいた。どうやら、銀河ステーションに着いたようだった。
パッと電気がついて、光があたしを照らし出す。それと同時に、声が聞こえた。あの子の声だ。
『みんなはね、ずいぶん走ったけど遅れてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追いつかなった』
舞台上にいないカムパネルラのセリフに、少し観客がどよめいた。けれどもすぐにそれは収まる。多分、観客をカムパネルラと見做した没入型の劇だと思われたのだろう。
「ああ、そうだ。僕達は一緒に遊びに行く途中だったね、カムパネルラ。ザネリも、他のみんなも、一緒だったっけ」
『ザネリはお父さんに迎えられて、帰ったよ。ああ、しまった。忘れ物をしてしまった。けど大丈夫、もうじき白鳥の停車場だから』
あの子の手によって少しわかりやすく再編されたセリフをあたしは言う。同じように、あの子の声が答える。
銀河の地図を眺めながら、あたしは観客に向かって語りかける。正確には、そこにはいないカムパネルラに。
『お母さんは、僕を赦してくださるだろうか』
カムパネルラが言う。
『僕はお母さんが本当に幸いになるなら、どんなことでもする。けれども、一体どんなことがお母さんの一番の幸いなんだろう』
原作では、ここではカムパネルラは涙を堪えるような声だった。けれどもあたしのカムパネルラはひどく棒読みで、感情の籠っていないカムパネルラだ。
舞台照明がチカチカと光り、白鳥の停車場に着いたというアナウンス。
いかにも安そうな外套を着た人物と出会った。鳥捕りだ。
彼と少し言葉を交わし、もらったお菓子を咀嚼する。
白鳥の停車場を抜けて、南十字へと。
その道中の鷲の停車場では、男性一人と、女の子が一人、男児一人の家族と出会う。
彼らは船に乗って事故に巻き込まれ、故人となった人達だった。彼女達は子供を助けようとして、死に際に伸ばされた救いの手を掴み損ね、無惨にもその命を散らした清廉な人間だった。
「何が幸せかわからないです。本当にどんな辛いことでも、それが正しい道を進む中でのことなら、本当の幸福に近づく一歩ですから」
「ああそうです。ただ一番の幸いに至るためならば、様々な悲しみも思し召しです」
突き刺さる、モブの声。
そんな訳があるか、とあたしは歯噛みをした。
本当にそうなら、どうしてあの女の子はあんなに泣いているのだ。自分がいいことをした。それで死んだ。それで悔いがないのなら、どうしてあの子は泣いているのだ。男の子は泣いているのだ。
海難事故もまた神の与えた試練で思し召しだと言うのなら、どうして人を救おうとした女の子の手からライフブイがすり抜けていったのだ。救おうとした善人がそのまま死ぬだなんて、道理に合わない。
かおる、という名の哀れな少女が、窓の外を見てはしゃぐ。その弟の男の子も同様に。
窓の外から見える光景は美しい。暗い教室の中で、プラネタリウムのように光が跳ねている。
自分達とは全く違う人種の人達を見た。
空を泳ぐように飛び回る鳥を見た。
満面に咲き誇る花畑を見た。
天の川が爆発し、波を起こす星々を見た。
みんなみんな、死んでいた。だって、ここは銀河鉄道だから、みんな死んでる以外にない。あたし以外、僕以外、みんな死んだ。
蠍の火を、みんなで見た。
蠍のもの悲しい物語を聞いた。弱肉強食の世で生きてきて、いざ自分が喰われそうになった時に恐ろしさ故に逃げて、結果誰かの腹を満たすでもなく無意味に死んでいく。己の愚かさを後悔し、神に祈った蠍の話。
その蠍が、今もあたし達を照らしている。
サウザンクロスに着いた。別名、南十字星。そしてそれを構成する一つの星に、死兆星がある。
「まだみんなと一緒にいたい」と駄々をこねるジョバンニを置いて、みんな汽車を降りる。だってあたしが持ってるのはどこへだって行ける特別な切符だけど、みんなが持ってるのは違う。カムパネルラや、かおるや、その弟。家庭教師の男。彼らが持ってるのは、南十字行きの切符だ。
「私達、ここで降りなきゃいけないのよ。ここは天上へ行くとこなんだから」
「天上へなんか行かなくたっていいじゃないか。僕達、ここで天上なんかよりももっと良いところを作らなきゃいけないって先生に教わったよ」
そうだ。あの世が極楽だなんて嘘っぱちだ。例え本当にそうだとしても、現世を最上の場所にしてしまえば良いじゃないか。
「だってお母さんも行ってらっしゃるし、それに神様が仰ってるの」
「そんな神様、嘘の神様だよ!」
「なら、あなたの神様ってどんな神様ですか?」
かおるの家庭教師の青年に問われて、ジョバンニは答えに窮した。
「僕の神様は」
セリフが詰まる。
ジョバンニとあたしの境界線がなくなっていく。あたしはジョバンニで、ジョバンニがあたし? もう、何にもわかんない。けど、驚くくらいにするりと、答えはあたしの喉から出た。
「あたしの神様は……あたしは、死後の安寧なんか欲しくない」
死後に救いが与えられるなら、その救いは生きているうちに欲しかった。
それで、あの子を、救って欲しかった。
あたし以外の舞台上の役者が、台本にない台詞にたじろぐ。狼狽えていなかったのはあたしと、カムパネルラだけだった。
かおるも、その弟も、家庭教師も、手を繋いで去っていく。さよなら、と言い残して。ひどくあっさりとした挨拶だった。ひどくあっさりとした死だった。
「カムパネルラ、僕達二人っきりになったね。どこまで行こうか。どこまでも一緒に行こうよ。僕は、みんなのために体を何度焼いても構わない。あの蠍のように」
後で後悔するくらいなら、死ぬような思いをしたって構わない。あの蠍のように体を焼かれても構わない。
半端な努力を後悔して身を千々に引き裂かれるような思いは、もう経験した。千度この身を焦がされようと、それに比べれば痛くなんてない。あたしは本気でそう思う。
けどやっぱり、後悔は後悔だ。蠍はその実をイタチにくれてやって、その胃を満たした訳でも弱肉強食の摂理に従った訳でもない。
あたしがどれだけ悔恨に身をやつしても、あたしがどこか軽んじていた命が戻ってくる訳でもない。
どうしようもないのだ。
泣きそうな声音で、祈るように手を組む。そして、あたしのカムパネルラを見上げた。
『本当の幸いは一体なんだろう』
「あたし、わからない」
これは会話じゃない。会話のフリをしただけの、独白だ。
「あたし、どんな闇の中だって怖くない。きっと皆の本当の幸いを探しにいく。だから、だからさ……どこまでも、一緒に進んで行こうよ」
『きっと行くよ。ああ、あそこの野原は何て綺麗なんだろう。みんな集まってるねぇ。あそこが本当の天上なんだ。あそこに、僕のお母さんもいるんだよ』
カムパネルラが、どこか安堵したように言う。そこにあなたのお母さんはいないよ。
あなたのお母さんは、あなたがいなくなった家の中できっと泣いてる。今も。あたし達を見世物として観ている人間の中に、あの窶れて泣き腫らした顔はない。
「カムパネルラ、あたし達、一緒にいようね」
音声は何も返さない。
カムパネルラは何も返さない。
あの子は、何も返さない。
あたしの声が虚しく落ちる。
もういなかった。
誰ももう、いなかったのだ。
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