第8話

『ゆと、ここの演技ってどうやればいい?』


『知らん』『適当に哀愁漂わせときなよ』


『哀愁ってどう漂わせるの?』


『自分で考えなよ』


『自分で考えても分からなかったから訊いてるんだよ』


 あたしは少し考えながら、打ちかけていた文字を消して新たな文字列を書き込む。思い切って距離を詰めてみようと思った。


『ゆとの家とか行かせてよ』『普通に会って確認したいし』『台本もみたい』


 困惑するかのような一分の間を置いて、変わらず素っ気ない文章が返ってきた。


『普通に嫌だけど』


 拒絶されるのは想定内。問題はどう粘って、向こうを折れさせるかだ。


『えー、いいじゃん』『減るものでもないんだし』


『嫌』


『いいよって言ってくれなきゃ、次会った時に床に転げ回るよー』


 半分冗談だが、半分本気だった。逡巡するような間が開き、返事が返ってきた。


『明日は無理。明後日の午後なら』


 それは、許可の返事だった。あたしは思わずベッドから体を起こして目を擦り、画面を凝視する。


『いいの⁉︎』


『あんたの駄々がこれからずっと続く方が楽か、さっさと入れた方が楽か、天秤にかけた』『これから先、私の家に来たいだなんて言わないことが条件』


 つらつらと並べられた長い条件に少し辟易とする。けど、何よりも淵神が譲歩してくれたのが嬉しかった。今まで許されなかったことが許される。少し距離が縮まったような、そんな気がした。


『明後日の午後ね。わかった』


 卓上カレンダーに記入する。明後日は土曜日、藤ちゃんとの夏祭りの約束と同じ日だ。

 まあ、藤ちゃんとの約束までには間に合うだろう。

 あたしはそう考えながら、ワクワクとカレンダーを眺めた。



 土曜日はすぐに訪れた。お昼ご飯を食べてから数時間を適当に潰し、少しおしゃれをして家を出る。電車に乗り込み移動すること数十分。

 ラインで送られてきた住所に着くと、あたしは大きく息を吸い込んだ。なんの変哲もないマンションの扉だが、インターホンの上に取り付けられた『淵神』という表札に少し緊張を覚えた。

 インターホンを押すと、数秒してゆっくりとした足音が聞こえる。扉が開いて、顔を出したのは淵神だった。


「こんにちは」

「ん。さっさと入って」


 あたしがお土産のお菓子を入った袋を差し出そうとすると、「いらない」と突き返される。淵神は相も変わらず素っ気ない。

 先導されて廊下を進むと、リビングに入った。何かのバラエティ番組を見ていた女性が驚いたようにこちらを見ている。


「……お、お友達?」

「違う」


 おそらくは母親なのであろう女性の問いに、淵神は少し眉を寄せて答えた。


「先に言ってくれればいいのに。部屋の片付けとか……」

「無理矢理あげろって言われたの。そんなののために片付けの労力使いたくない」


 いかにも淵神らしい受け答えだ。そう思いながら、あたしは淵神のお母さんに頭を下げた。


「娘さんのクラスメイトで、友人の天瀬です」


 友人、という言葉に淵神が眉を思いっきり顰めた。あたしは素知らぬふりをして、愛想よく微笑む。


「あらあら、狭いところだけどゆっくりしていってね」


 淵神のお母さんは朗らかに笑う。顔立ちは淵神と似ているけど、表情は全く違った。

 淵神に「こっち」と案内された部屋の中に入って、あたしは「いいお母さんだね」と淵神の顔を覗き込む。淵神はあたしを軽く睨んだけど、あたしの発言自体は否定しなかった。


 淵神の部屋は、雑然としている。あたしが一番最初に抱いていた真面目そうな印象と正反対だ。床にも物が散らばっていて部屋の端に雑に置かれているし、少し埃っぽい匂いがする。

 本やらスケッチブックやらノートやらが積んである机に、ポツンとパソコンのモニターが一台。あまり新しい型ではないようだ。繋がっているキーボードやマウスも、年季を感じさせる。


「これが作家先生のデスク……」

「んな大したもんじゃないんだけど」


 おどけて見せたあたし、淵神は冷ややかな目をしていた。


「んで、わかんないところは?」

「あ、そうそう。ここなんだけど……」


 指差した台本の箇所に、淵神は少し考え込む素振りを見せた。

 軽く演技指導を受け、この時のキャラクターの心情をメモし、試しに台詞を朗読してみる。

 少し無理を言ってカムパネルラ役をやってもらい、カムパネルラが登場するシーンを一通り二人で演じた。録音もしたのは、家でも練習しやすくするためだ。


「素人に毛が生えた程度だけど、最初よりかは良いんじゃない」


 淵神は無関心にそう言った。


「じゃあ、ゆとの言うプロの演技ってなんなのさ」


 あたしはついムキになって言い返した。俳優さんの演技は当然見たことはあるけれど、舞台での演技は全く知らないあたしだ。舞台俳優のプロの演技なんて知らない。


「観る?」


 淵神はそう言って唐突に立ち上がる。漫画と文庫本が雑多に収められている本棚から、ブルーレイのケースを取り出した。

 それは、何かのアニメか漫画の舞台化をした作品らしい。タイトルも知らないし、正直興味もない。けれど淵神の自信ありげな珍しい顔に、首を縦に振っていた。


 それから、淵神のパソコンで舞台の映像を見た。やはりドラマや映画と違って、舞台という広い場所を使うからか、大ぶりな動きが多かった。ストーリーは、まあ、面白かったと思う。


 ただ、その映像は結構長くて、三時間はあった。藤ちゃんとの約束の時間が迫っていて、あたしは映像を見終わったら一言お礼を言ってすぐに淵神宅を出た。

 約束の時間は、二十分ほど遅れてしまった。待ち合わせ場所では藤ちゃんがうろうろとしていて、遠くから「ごめーん!」と叫びながら手を振って走り寄る。


「遅いよぉ、あまちゃん」

「ごめんね、ゆとの家に行ってたら結構時間が過ぎちゃって」


 ゆと、という名前に藤ちゃんがぴくりと反応を見せる。


「……淵神さんの家、行ってたんだ?」

「? うん」

「……最近、仲、良いよね」

「え、そう? えへへ、そう見えてるなら嬉しい」


 ほら行こ、そう言って俯いている藤ちゃんの手を握って、歩き出す。藤ちゃんは少しの間あたしに身を任せていたが、少しするといつも通りに顔を上げて、あたしと一緒に笑った。

 けれどもその笑顔にほんの少しの影が差していて、それがまだ彼女と仲良くなる前に見えていたものであると、あたしは気付きながらも、夕暮れ薄暗さのせいだと自分を誤魔化した。


 そのツケは、すぐにやってきた。


 翌週、演劇の練習のために登校してきた藤ちゃんの頭上に、「友達が欲しい」という文字列を見た時、あたしはどうしようもなく己の間違いを見せつけられたのだ。

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