第30話 終章 いのちの物語 パート2
「無事か、ソフィア」
庇うように抱きしめられた銀の少女は、その声によって数秒の気絶から目を覚ました。
見回す周囲は尽く、一木一草残らぬ焼け野原になっていた。
そして、焦土と化した雪原の中央に、悠然とたたずんでいたのは。
「はじめましてだね。ユーゼルハイネの娘」
「――っ⁉」
それはレオンハルト、ではなかった。
長い金色の髪をなびかせた、芸術的なまでに美しい八頭身の男。
赤いマントに、白く典雅な礼服を着た人間離れして優雅な貴公子は、しかし、真実として人間ではありえない。
ソフィアは、その姿を目撃するのは初めてだった。
しかし、分かる。
空気の密度が何十倍にもなったように呼吸が苦しい。目を合わせるだけで眼球が裏返りそうな、圧倒的な存在感は、彼がその場にいるだけで世界を塗りつぶすかのようだった。
だから、ソフィアは知らずとも直感した。
奴は、あれは、アレこそが――。
「鉄血騎士団十二帝剣、アリエスだ。レオンハルトでなくて悪いね。彼には帰ってもらった」
ガタガタと、ソフィアは小刻みに震えた。
理性ではなく本能から、逃げて、と声にしようとした時。
レヴィスはそっと、少女を地面に下した。
そして、剣を構える。
「そこにいてくれ、ソフィア。
大丈夫だ、相手が何であろうがなにも変わりは無い」
平坦な声音はまるで安心させるように、どことなく優し気に響いた。
そしてすぐさま、少年は殺意と決意で武装する。
「ここで殺す。そして、君を守る」
ぱちぱち、とアリエスの白手袋から乾いた拍手が響いた。
「私を前にして、いい度胸だ。君は……鉄血騎士か。いやしかし、私たちとは異なる製造過程を踏んだようだな。なるほどお嬢さん、それが君の切り札ということか」
期待に興奮したように、金の美男子は猛獣じみて微笑んだ。
「改めて、度胸は素晴らしい、意欲と態度は合格点だ。
――では実技といこうか」
アリエスが、金の瞳を輝かせて、動く。
その前に、レヴィスはもう踏み込んでいた。
真正面から敵の機先を制する、教科書通りの先の先を奪取して、型破りもはなはだしい、馬鹿げた脚力が大地を震わせ間合いを詰める。
そして風と音すら置き去りに、上段の長剣がアリエスの顔面を強襲した。
しかし、ゆるりとかざされた片腕がそれを防ぎ。
鋼と鋼のぶつかる、悲鳴のような音が響き渡った。
レヴィスの剣は、折れていた。
アリエスの腕は、無傷。
「ふむ……まあ、その、強いな。少なくとも
「
「む?」
徒手空拳となったレヴィスは、両腕を即座に解禁した。
出し惜しみはしない。ここで殺す。極限まで研ぎ澄まされた青い瞳がそう告げているのを、金の瞳は淡々と観察して。
直後、音の壁をぶち破って放たれたアリエスの蹴りを、レヴィスはその場で回避した。
「‼ いい反応だ……いや直感か?
「そうか。悪いが、褒められても――殺してやることしかできない」
そして白衣の腹に、レヴィスは破壊的な左腕を添えた。
「
放たれた蒸気鉄血の高速流体が、至近距離での爆発とともにアリエスを吹き飛ばした。
間合いを稼ぐ、そして。
破滅的な右腕が、すべてを滅ぼす絶対真空の刃を創造する。
「
無音にして不可視、ゆえに回避不能防御不能な虚空の刃が、服を払って立ち上がったアリエスの眼前に迫る。
本命のこの一撃は、十二帝剣と言えど直撃すればただでは済まない。
だから――。
ソフィアは目を見張って、その結末だけを全身全霊で願った。
どうか、お願い。頼むから、これで死んで終わってくださいと、魂の全てをかけた祈りは果たして。
「なるほど」
アリエスは、そっと目の前の虚空に片腕を伸ばした。
そして、受け止める。
その瞬間、接触とともに物理的に許容されざる絶対の真空がはじけ、周囲の全てを巻き込んで圧縮崩壊を引き起こす。
はずだった。
しかし、めきめきと、まるで空間そのものを握り潰すかのような、奇怪な音が数秒、目を見開いた少年と少女の前に木霊して。
どういうわけか、アリエスはその手のひらで、絶対真空そのものをもみ消した。
「――――」
ソフィアは、言葉を失った。
レヴィスは冷静に、両足に展開した鉄血刃を構えた。
そして。
「期待外れだ」
いつの間にか、間合いを瞬間的に詰めていたアリエスの右腕が、レヴィスの胸を貫いていた。
「……え」
我が目を疑う暇すら、ソフィアにはなかった。
それは、ほんとうに、あっさりと。
まるで今まで彼が斬り殺してきた鉄血騎士たちのように。
レヴィスは、致命的な損傷を刻まれていた。
「が、ふっ……」
「レヴィスッッッッ‼‼」
その叫びは、心底からの拒絶だった。
あまりにも理不尽で唐突な、目の前の出来事に対する悲鳴だった。
驚きより怒りより、も何よりも先に、ただ嫌だという思いがソフィアの脳天を割らんばかりに荒れ狂う。
そもそも、なんで、どうして。
レオンハルトじゃなくて、こいつが――。
そんな絹を裂くような悲痛な叫びに、ひどく涼しげな顔が寄越したのは、ひどく平素な一言だった。
「感想を述べよう」
金色の瞳がソフィアを見た。
その視線から、威圧の枠を遥かに超えた圧倒的な気配が叩きつけられ、不意に少女の叫びが止められる。
「率直に言おうか。弱い、脆い、程度が低い、つまり脆弱の一言に尽きる。多少戦闘には場慣れしているようだが、言ってしまえばそれだけだ。
……本当に、君はこんなものでレオンハルトに挑むつもりだったのかな? だとすれば無謀という他にない。こんな玩具ごときでは、この私は言うまでもなく」
続けて、不吉な音がソフィアの鼓膜を震わせた。
五指が食い込み、レヴィスの背中から突き出たアリエスの手の中で、摘出された〈
「やめて……やめなさいっ! お願い、だからぁ……」
ソフィアは錬金術を、手持ちの術式を滅茶苦茶に放った。
それぞれがバラバラの形に再構成された地面がアリエスにぶつかる前に、しかし、その威圧による衝撃波だけですべて吹き飛ばされてしまう。
そして、そんな抵抗もむなしく。
「我々十二帝剣の、誰にも勝てはしないよ」
「――――‼」
響き渡ったのは、あっけないほど空しい金属音。
それが、レヴィスの命が砕け散る音だった。
それきり興味を失くしたように、アリエスはその体を投げ捨てた。
鈍い衝撃音。仰向けに四肢を投げ出した体が、ソフィアの目の前に落とされる。
「レヴィ、ス」
――嘘。
その目は、何も見ていない。
「いや」
――嫌だ。
その瞳は、何も映していない。
「ねえ……」
――こんなの。
胸に開いた大穴から、その下の地面が覗いていた。
そして、少女の喉から、何もかもが崩れ去ったような絶叫がほとばしった。
「あ、あああ、ぅ、ぁぁ……う、ああああああアアアアっっ‼」
あらん限りの叫びと、止めどない涙で。
ソフィアは、己の心が壊れていくのを感じた。
「おや、灰化が始まらないとは。単に時間がかかるだけか、それとも死体が残るのか。少々興味深い。製作者の意見を聞かせてもらえるかな?」
アリエスの声が、やけに遠くから響く。
レヴィスの体は、確かに灰化は始まっていなかった。けれど、だからと言って生きている筈も無い。あの時のような異常な復活の兆候もない。
当然だ、彼にはもう、何の動力の源も残っていないのだから。
「どうした? ……ああ、それ程まで、その不出来な玩具を気に入っていたのかね」
乾いた苦笑に、少女は呟いた。
滅茶苦茶になった心から、血のようにあふれ出す怒りを乗せて。
「……笑う、な」
最強の鉄血騎士をにらみつけて、ただ一人の少女は怒りのままに罵倒した。
「お前なんかが! 人を殺していなければ自我すら保てない、壊れ切った鉄の化け物なんかが! この人を笑うんじゃないッッ‼」
「心外だね」
やれやれと、アリエスは首を振った。
「それを言うなら、君たち人間の不完全性こそが全ての原因ではないかな。自分達が汚物だという自覚はあるかい? 我々鉄血騎士が掃除をしたいと思うのも当然だろう。君たちは不細工で、その上酷く鼻につく」
アリエスは一層爽やかですらある微笑を浮かべて、人間を汚物だと断じた。
「だが、私は少々違う。むしろ、君らの不完全さにこそ興を引かれる。言うなれば、醜さゆえの美というのかな。
完全なる私に及ばないことは明々白々だが、それは承知の上。不出来なりの意地と足掻きで、私を楽しませてほしい――この冷たい心臓を、高鳴らせてほしいのだよ」
この世の全ては下等存在、だからこそ、精々私の興味を引けと、天井知らずの不遜さがのたまった。
「そう言う意味では、彼は見所があったが、それだけだ。そもそも根本的に貧弱過ぎる。私に何かを届かせようとするなら、最低限その千倍の
「――――」
少女の中で、煮えたぎっていた怒りが、冷たい絶望に変わっていく。
最初から無駄だった。鉄血騎士には、十二帝剣には、自分が何をしたところで通じなかった。
そして、それすらももう、何もかもが、どうでもよく思えてくる。
だって、レヴィスは。
世界で何よりも大事な人はもう――。
「おや?」
ふと、呟いたアリエスが空を見上げた。
同時に、色濃い影が辺りに落ちた。
それは何か、巨大な物体が空を覆ったせいだと悟る前に、凄まじい風圧が巻き起こった。
「‼」
そして突如現れた巨大な爪先が、アリエスを横から蹴り飛ばした。
近距離を通過した大質量。ソフィアは体が吹き飛ばされそうになるのを、揺らぐ地面に手をついてどうにか耐えた。
衝撃が過ぎ去った後、少女が薄目を開くと、視界に叩き込まれたのはその威容だった。
「……これ、が」
アルフヒルドの言っていた、巨人。
そこには、幽遠な蒼い輝きを胸に宿す巨大な氷の五体が、雪山の如く聳え立っていた。
そこから迸る冷気の何と激烈なことだろう。肌に霜が降り、体の芯から熱が失せていく。
それを見て、ソフィアは悟った。
……自分たちの仕事は、終わった。
だからもう、どうでもいい。
そう思って、涙の枯れた視界を、下に向けて。
「ソフィア」
聞こえる筈の無い声に、銀の少女は名前を呼ばれた。
そして、慣れ親しんだ腕の感触に、横から体を持ち上げられる。
「逃げるぞ。ここは危険だ」
「‼ レヴィ――」
そして、高くなった視界が急速に流れ去った。
――余力の全てを振り絞り、レヴィスは雪原をひた駆けた。
一直線に、起動した巨人から距離を取る。
ごく単純な、思考とも言えない衝動が彼を動かしていた。
少しでも遠くへ、 ソフィアを、脅威から遠ざける。それだけのために走る。
「レヴィス‼ 止まって! だめ、それ以上動いたら――」
「舌を、噛むぞ」
悲痛な叫びを無視して、二本の足が駆動する。
何故動けるのか、レヴィスは自分でも分からなかった。けれど、動かなければならないから動く。それだけだった。
地を蹴った脚に亀裂が生じ、致命的な崩壊が始まる。しかし、だから何だというように、レヴィスはむしろ速度を上げた。
そして間もなく、限界にぶち当たった。
両脚の膝から下が、灰と化して砕け散る。
転倒は避けられない。レヴィスは咄嗟に自らを下側にしてソフィアを守った。
背中と後頭部を強打した事で、全身にヒビが入る。
「レヴィスッ‼」
穴の開いた胸の上から、ソフィアは慌てて自身の体重を引き剥がした。
ひび割れた顔が、ぎこちなく少女の方を向いた。
「早く……逃げろ、ソフィア」
果たして、十分な距離を稼げたのだろうか。
動かない背中に大地の震えを感じながら、レヴィスは己がアルフヒルドの命令を果たしたことを確認した。
「僕は、ここまでだ」
しかし、約束は果たせなかった。
申し訳ないという気持ちとともに、けれど最後に、何よりも守りたかった彼女の助けになれた。
それだけを空になった胸に抱いて、少年は微笑した。
「……ありがとう」
「やめて! 感謝なんて、しないで! そんな事、しなくていいからっ……!」
ソフィアの前で、黒い瞳は再び光を失った。
そして――ゆっくりと灰に還りゆく体の上に、熱い涙がはらはらと落ちる。
「なんで……わたし、まだ、なんにも、あなたに……」
横たわる首元で、赤いマフラーが風に揺られていた。
少女は思う。これは、罰なのだろうかと。
父が死んで、鉄血騎士が生まれて、立ち向かう決意をした時から、けれどずっと辛かった、苦しかった、恐かった。
でも、あなたに出会えて、一緒に戦って。たくさん助けられて、いっぱい支えられて。
それが、本当に嬉しくて。
だから、ずっと一緒にいたいと思ってしまったから。
「……いや、いや……いやよ、お願い……」
手探りで、周りを探す。持ち物をひっくり返す。
なんでもいい、心臓を。
レヴィスの心臓を、作らなければ。
彼が、完全に灰になる前に。
そんなこと、無理だと分かっているのに、止められない。
父も、同じ気持ちに動かされていたのかと、少女はこの時、痛いほどに実感した。
この気持ちが、一人残された胸を焦がすから。
この想いが、支えのなくなった体を揺らすから。
この心が、あなたで満たされたはずの、大きすぎる空っぽに耐えきれないから。
「わた、し……あなた、が……あなた、を、ぅ、ぅぅ、ぁああああ……」
しかし声にならない嗚咽では、それを言葉にすることさえできなくて。
その時だった。
「お久しぶりですね。ユーゼルハイネの娘」
「っ‼」
ソフィアは弾かれたように、背後に振り向いた。
その先にいたのは、黒紫色の髪と、あらゆるものを軽々しく弄する悪辣な笑み。
彼女は帝国派遣総督、ユグドリカ。
改め。
「お前、は……」
「あなたの父君が私を生み出し、そして私に殺された時以来ですかね」
ソフィアは、あらん限りの憎しみと怒りでその名を紡いだ。
その正体を。
「トバルカイン……」
そして頷くように、邪悪な笑みがソフィアを見下ろした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます