第28話 六章 人の想い、鉄の答え パート3

 パチパチと、小さな暖炉が燃える部屋で。

 鉱山での反乱の報を受けたユグドリカは、やや唇を引き締めた。


「反乱の規模は、具体的にどのぐらいですか」

「はい。第一から第四までの全ての鉱山内部と、外接の製鉄場にまで拡大しました。恐らく例の反乱軍が手引きしたものと思われます。便乗した逃亡者は、既にかなりの数になっているかと」

「まあ、そうでしょうけど。ふーむ、……これは、ちょっと困りましたね」


 ユグドリカは珍しく思案した。

 反乱自体は想定していたが、ここまで大規模になるとは思っていなかったのだ。

 しかし、慌てるほどの事ではないのもまた事実。


「鎮圧だけなら時間の問題でしょうが、あまり多く逃げられても嫌ですね。後で集め直すのも面倒ですから。……良いでしょう、王都周辺の鉄血騎士も回して包囲網を形成しなさい。ただし余り殺し過ぎないように、まだ労働力は必要――」


 言いかけて、ユグドリカは言葉を止めた。

 人間は、鉄血騎士には勝てない。

 どれだけ数の利、地の利を得ようがそれは揺るがない。完全と不完全を隔てる性能差は、そんなことで埋まりはしないのだ。

 だから鉱山に立てこもっても、逃げだしても、遠からず包囲されて敗北する。

 だから、気が付かないものだろうか? 

 これほど周到な連中が、自分たちの反乱の先に未来が無い事に。

 しばらく考えて、そして彼女は気が付いた。


「……ああ成程、鉱山これは囮ですか。中々大胆な手口ですね。確かに、あなたとは出来が違うようだ」


 暖炉の側のイメリヤへ振り返って、ユグドリカは嘲った。

 鉱山は陽動。敵の本命は王都だろう。

 恐らく、何かしら勝算をもって、少数精鋭でレオンハルトの首を取ろうとするつもりかとユグドリカは推測した。

 であるならば、王都周辺の鉄血騎士を鉱山の鎮圧に回すのは危険だ。

 だから当然、打つべき手は決まっていた。


「王都周辺にいる全鉄血騎士へ通達。私の命令です。直ちに北部鉱山の鎮圧へ向かい、一匹も逃がさず封じ込めなさい」

「了解しました」


 鉄血騎士は退室した。そしてユグドリカは、その男へ命を下す。


「面白い。何を当てにしているのかは知りませんが、実に面白いです。良いでしょう乗ってあげますよ……レオンハルト!」


 何も変更はない。ユグドリカは笑った。

 鉱山が陽動だとしても、ああ、だから何なのだ。

 せせこましく、見抜いた罠を回避するなど鉄血騎士の、無敵の超越者の戦い方ではない。

 人間どもの罠にかかった上で、策にはまったその上で、正面からまとめて圧し潰す。それでこそ、鉄血騎士が真に完全な存在である証明となるのだから。


「あなたに抜剣許可を認めます。ここに来るであろう反乱軍、つけ上がった人間どもを消し炭にしなさい」

「ああ。任されてやるよ。一切合切焼いて払って、どいつもこいつも灰に還してやればいいんだろ」


 緋色の髪を逆立たせ、レオンハルトが立ち上がる。

 地獄の窯が開いたように、灼熱の戦意が室内の空気を物理的に急変させる。

 室内に充満した殺意と熱気に、イメリヤは思わず胸を詰まらせた。


 ―――運命というものが、もしも歯車で動いてるのならば。

 この瞬間まで、それは間違いなく、ここにはいないアルフヒルドの目論見通りに回っていた。

 もし仮に、このまま何事も起き無ければ、全てが彼女の目論見通りだったのかもしれない。

 しかしこの瞬間。たとえるなら、見えない歯車はぴたりと動きを止めて、それから粉々に砕かれたのだ。

 たった一つの、穏やかな声の訪れとともに。


「――いや、君はもう帰っていいぞ。レオンハルト」


 扉が開き、こつこつと規則正しい足音が絨毯を踏む。

 その途端、部屋を満たしていた灼熱の殺気が打ち消された。

 現れたのは、一人の男だった。

 黒い帝国軍装を着こなす長身の、彫像の如き金髪の美丈夫。まるで天使のようなその容貌が、場の気配を瞬く間に塗り替え支配する。

 部屋の隅で震えるイメリヤすらも、思わず掠れた感嘆を吐いてしまうほど、その男は美しかった。

 すると、その男の金色の瞳が、彼女を見て言った。


「貴女がこの国の姫君かな。お初にお目にかかる。私は――」

「てめえ……アリエス」


 差し込まれた敵意をさらりと流して、アリエス、と呼ばれた男は挨拶を続けた。


「そう、アリエスだ。突然の来訪、大変失礼ながら、どうかご容赦願いたい」


 それは、洗練されていない部分が一粍いちみりたりとて存在しない一礼だった。

 アリエスは静かに、春風のようにイメリヤへ歩み寄り、その手を取ってキスを捧げた。

 完璧な貴公子の振る舞いに、しかしイメリヤは畏怖を覚えた。

 眼前の男には、レオンハルトのような獰猛さや殺気の欠片もない。

 だというのに、それを上回るこの圧迫感は何? 

 その優美な流し目を見上げるだけで、大海の如き存在感に脳天を叩き割られそうになるのは、一体どうして――。

 そこで思い出したように、ふとアリエスは背後のレオンハルトへ振り返った。


「久しぶりだな、レオンハルト。悪いが君の仕事はもう終わりだ。帝国に帰りたまえ。後は万事、私が引き継ごう」

「ざけんな」


 レオンハルトはにべもなく、滾る敵意を吐き捨てた。


「ぽっと出てきて舐めたこと言ってんじゃねえぞ、アリエス。たとえてめえが相手でも、そんな真似を俺が許すと思うか」


 レオンハルトの内側で、業炎が滾り渦を巻いた。王都をたやすく蒸発させるだけの熱量が彼の内部で臨界していく。


「俺は別に、ここでお前とやり合ったっていいんだぜ」

「止めといた方が良いですよ、レオン」

「黙ってろ、ユーリ。俺の抜剣許可、取り消すなよ」


 そこでアリエスは何気なく、再びイメリヤへと顔を向けた。


「姫君。恥ずかしながら私はまだこの城に着いたばかりでね。少々方角の見当がつかないのだ。南の方角はどちらだったか、教えてくれないか」


 どうしてそんな事を聞かれるのか、イメリヤは理解できないまま、しかし万物を統べる絶対神に命じられたかのように、震える指が部屋の南を指し示した。


「ありがとう」

「おい。何を余裕こいてやが――」


 瞬間。二人の姿がかき消えた。少なくとも、イメリヤの眼にはそう映った。

 轟音と衝撃は後追いで響く。咄嗟に閉じたまぶたを開いた時、一瞬前までの部屋の様相は一変していた。

 先程、イメリヤ自身が指で示した部屋の南が、なくなっていた。


「…………え?」


 本来在るはずの壁も床も消えた先には、荒々とした寒空が広がっていた。

 そして、その灰色の空の遥か先で、何かが流れ星のようにきらりと光った。


「失敬」


 アリエスは突き上げた右足の裾を払い、姿勢を正した。

 レオンハルトの姿は、熱も殺気も、その痕跡さえ、もうどこにもない。

 冷たい外気に頬を撫でられて、イメリヤは一つの馬鹿げた事実を直感した。

 南。帝国の方角へと、レオンハルトは文字通り、蹴り帰されたのだ。


「では……ああ、ユグドリカだったか。現状を聞かせてもらおうか」


 愕然がくぜんを通り越し、悄然しょうぜんとへたり込むイメリヤを余所に、残った二人は何事も無かったように会話を始めた。


「それより何しに来たんですか、アリエス。呼んだ覚えはないんですけど」

「興味が湧いた。それだけさ」

「興味? 何に対して?」

「この国に、どうも我々の製造者の血族、ユーゼルハイネの娘が逃亡したらしいことを知っているかい?」

「いえ、初耳ですが。別に興味無かったので……」


 アリエスはやれやれとあきれたように微笑み、そっとマントを外して、火の消えた暖炉の側で震えるイメリヤの肩にかけた。


「ともかく、私は興味が湧いたんだ。かの少女の抵抗が、どのようなものを見せてくれるのか……君のせいにするつもりはないが、完全無欠というのはひどく退屈なものなのだよ」

「趣味が悪いですね。そんな戯れ心を、あなたたちに許した覚えは無いのですが」

「どの口が言うのかな。しかし喜ぶべきではないかな。だからこそ、君の正しさは証明されるのだから」


 果てなく広がる冬空を背に、両手を広げてアリエスは言った。


「完全とは、常に想像を超えたところにある。違うかな?」


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