怖くない、くだらない、ちょっとクスっとする、そんな怪異の日常集
加藤伊織
第1話 テレビさん
「ただいまー」
誰もいない家だとわかっていながら、俺はいつもの癖で家のドアを開けたときにそう言ってしまう。
上京してからかれこれ6年住み続けているワンルームマンションは、玄関から部屋の奥までが見えてしまう。その俺の視界の中、ジジッという音と共にテレビに砂嵐が走った。
……この砂嵐、デジタル化で起きなくなったそうなのだが、うちでは起きるのだ。怪奇現象とセットで。
”お”
テレビ画面に、掠れた文字が浮かび上がる。
”か”
一文字一文字、まるで誰かが手書きしているかのように
”え”
みっつ目の文字が並べば、その先に続く最後の文字は大体の人が想像できるだろう。
”り”
――そう、俺が帰ってくると、うちのテレビはいつも「おかえり」と字を写し出して迎えてくれる。
砂嵐と共に出てくるおどろおどろしい文字など、可愛げがあるどころかホラーでしかないのに、もうすっかり慣れてしまった。
”手を洗って、うがいして”
「わかったよ、テレビさん」
この謎の怪異を、俺は「テレビさん」と呼んでいる。
テレビさんはオカンっぽい。俺が適当な返事を返すと、一度消えた文字が再び浮かび上がった。
”手を洗って、うがいして”
「やる、やります。なんで2回言った」
”大事なことなので2回言いました”
ネットに繋がってるせいか、SNSでよく見かける言葉まで使う。ここで俺がちゃんと手洗いうがいをしないと3回4回と繰り返されるので、廊下にバッグを置いて洗面所で念入りに手を洗い、うがい薬も使ってガラガラとうがいをする。
テレビさんの管理のおかげで、俺はここ数年風邪を引いたことがない。コロナやインフルが蔓延していたときも、無事に乗り切った。
”今日のニュースは激安スーパー特集”
「あ、それ別にいいや。録画見たいからテレビ付けていい?」
この状態のテレビさん、実は電源が入っていないのだ。電源を入れれば文字が浮かび上がることもない、普通のテレビに戻る。
「さて、寝るか……」
適当にカップ麺を食べながら1週間ためた録画を全て見終わる頃には、こたつの上にチューハイの缶が3本ほど空になっていた。500mlのロング缶なのは、明日が休日だからだ。
「あー……このまま寝てえなあ」
テレビを消して俺は呟いた。冬のこたつは最高だ。ごろりと寝っ転がると出られなくなる。これから風呂にはいって、冷たいベッドに潜り込むのは面倒くさい。
”こたつで寝ると風邪引くぞ”
「……わかったよ、テレビさん。まったく、オカンか」
テレビさんの中の人(中の人がいるかどうかは謎だけど)は、手洗いうがいもせずこたつで寝て風邪をこじらせて死んだのだろうか。
思わずそんな邪推をしたくなる。
”オカンじゃない。オトンだ”
「まだ生きとるわ」
ひとり暮らしなのに怪異と漫才を繰り広げつつ、俺はよっこらしょと気合いを入れてこたつから出た。
テレビさんの言うとおり、ちゃんとベッドで寝るために。
うちにはおかしな怪異が起きる。
名前は「テレビさん」という。
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