第3話

 ***


 賑やかな繁華街と化す夜とは異なって、昼間の駅前は落ち着いた雰囲気を放っていた。イルミネーションを灯すためのライトは、今は業務時間外だと言わんばかりに光を失って、木々に纏わりついている。当然、それぞれのやるべきことに専念している人々の目を惹きつける力は持っておらず、何事もないように通り過ぎていく。


 そんな人々の往来を、ぼんやりとベンチに座って眺めていた。


 新規営業を獲得するために、単身で知らない会社に飛び込んで、見事に撃沈してしまった。ただ断わられるだけならまだしも、先方から容赦のない一言を放たれ、暫く立ち直れそうになかった。

 そして、駅前のベンチに座るや否や、過去の記憶が脳内にフラッシュバックしてしまっていた。


「……何やってるんだろ」


 自分がこれ以上傷つかないために、俺は前の会社から逃げた。


 なのに、今は今で、誰かに媚びを売りながら自分を取り繕って生活している。しかも、前の会社と同じように、やる気のないまま、言われた通りに何となく仕事をしてしまっているのだ。


 歴史は繰り返す――。なんて大袈裟なことは言わない。

 だけど、どこかで頑張らないと、同じことの繰り返しなんだろうなとは思う。


「はぁ」


 何度目になるか分からない溜め息。

 俺は、その頑張るためのキッカケも気力も分からず、何となく生きている。


 この後、会社に戻らなければいけないことは知っている。先輩と色々話して、確認すべきことがあるのも知っている。今回の失敗を活かして、次はどうするかも考えなければいけないだろう。


 だけど、腰が上がらないのだ。俺の腰はまるでベンチと同化してしまったように、持ち上げることが出来なかった。周りが、暗くなっていく。いつしかあの感覚が襲い掛かっていた。なんで働いているんだっけ。どこに行こうとしているんだっけ。ひとつ言えることは、動くのが億劫だということだ。吸う息は冷たく、吐く息はやけに重い。


 このまま会社の人から連絡が来るまで、座っていよう。

 俺は更にベンチに深く腰かける。


 どれくらいベンチと一体化していただろう。影が見える位置は、二十度は変わっていたと思う。まぁいいか。どうせ俺が戻ったところで、誰かの仕事に影響があるわけでもない。


 そう思っていたところ、座り込む俺の影が、大きな影に覆われたのが目に入った。誰かが俺の前に立っている。けど、誰が?


「――おじさん、大丈夫?」


 顔をあげれば、そこにはギターを背負った女の子がいた。首元には赤いチェックのマフラーを、全身はダッフルコートに覆われながら、ぶっきらぼうな顔を浮かべている。けれど、俺へと注ぐ視線と差し出された右手には、迷いがない。


 一瞬、その声が俺に向けられたものだと理解することが出来なかった。

 そっか。俺はもうおじさんと言われるくらいの年齢なんだな、と客観的に思い知らされた。


 全身を早く強く叩く鼓動をなんとか落ち着かせるように、深めに息を吐き出すと、


「ありがとう。大丈夫だよ」


 口角に笑みを貼り付けて、彼女の手を取らずに椅子から立ち上がってみせた。


 立ち上がると、彼女を見下ろす形になった。俺の頭一つ分くらいは小さいだろうか。そして、彼女を見ていくうちにその正体が分かった。この子はよく夜の町で歌を歌っている女の子だ。地面に直置きされているクロッキー帳には、確か「エンドー」と記載されていた。俺が一方的に見かけるだけで、詳しい情報は知らないし、向こうからしたら俺が名前を知っていることすらも知らないだろう。


 夜にしか見たことのなかったエンドーさんと、まだ陽が落ちない内に出会うことになるとは、思いもしなかった。


「ふーん」


 ずっと俺のことを見上げていたエンドーさんだったが、視線をふいと逸らすと、終わったと言わんばかりに背を向けて去っていった。

 彼女が去っていくのを見届けると、スイッチの切れた玩具のように、再びベンチに座る。


 エンドーさんを夜の繁華街で何度か見たことがあるが、歌を歌う前の前説はいつも、少しだけ物騒だった。


 彼女はよく「私が退屈な世界を終わらせる」などと、まるで破滅を求めるような声を上げている。エンドーというアーティスト名も、終わりという意味を持つENDという英単語から来ているのかもしれない。


 だけど、そんな彼女は。


「実は優しい子なのかもな」


 そうでなければ、わざわざ座り込んでいる俺に声を掛けるようなことはしないだろう。


 そう彼女に対して評価を下した時――、


「っ!」


 頬に冷たい感触が伝わり、肩を跳ねらせた。


「水。嘘つくの下手だね、おじさん。ばればれだよ」


 いつの間に後ろに回り込んでいたのだろう、ペットボトルを手にしたエンドーさんがいた。悪戯に成功したかのように、エンドーさんは僅かに微笑んでいる。


「……そんなに分かりやすい?」

「うん」


 初対面の女の子にも一目で気付かれてしまうということは、きっと周りの同僚達にはずっと前から勘づいていたのだろうな。


 俺は自嘲交じりに、「ありがとう」とエンドーさんから水を受け取った。

 口に含み、喉を通過した瞬間、全身に巡っていくのが分かった。身も心も、少しだけ楽になる。


「なんかあったの?」


 言いながら、エンドーさんが俺の隣に腰かける。その瞬間、あれだけ冷たかったはずのベンチに、熱が灯った気がした。


「こんな時間からサボり……ってことでもないでしょ。おじさん、真面目そうな雰囲気してるし。てか、顔色が相当ヤバいし」

「あー、ははっ。実は――」


 そう前置きしてから、今日の午前中に営業先で失敗したことを話していた。


 なんで初めて話すようなエンドーさんにこんなことを話しているのだろう、と思う。けど、エンドーさんの放つ空気感が、どんどんと思うよりも先に言葉が出てくるようにさせる。つっけんどんな態度とは裏腹に、しっかりと相槌を打ってくれて、久々に誰かと話しているというような思いが湧いて来る。

 気付けば、誰にも打ち明けたことのなかった過去についても、軽く触れるようになっていた。


「……」


 一通り話し終えると、エンドーさんはマフラーに顔を埋めていた。会って間もないというのに、重い話をしすぎてしまったようだ。


「いきなりごめん。こんな話を……」

「あ、いや。それは全然大丈夫」


 エンドーさんはあっさりと言う。


「自分も、周りの意見に流されて過ごしたこともあるから、おじさんの気持ちも少しは分かるよ」


 呆けた顔をしながら、「え、そうなの?」と言葉を漏らしていた。路上で見るエンドーさんは、常識から外れているようなパフォーマンスをしている。きっと人と合わせることは苦手な子なのだろうなと思っていたのに、意外な発言だった。


「うん。高校時代に、自分の気持ちに正直にいないとって思うことがあって、それから色々あって、自分の思いを伝えられるようなパフォーマンスを人前でしようという考えになった。本当は高校卒業したら、すぐ人前に立ちたかったけど、自分の考えだけに凝り固まらないためにも高卒から三年間は会社勤めをしたかなぁ。人の前に勝手に立ってパフォーマンスしてる立場だから、経験もしてない奴が何を言ったって、説得力ないじゃん」

「確かに、その通りだね」

「それで、最初は社会人をしながら、仕事終わりに道端でパフォーマンスをしていたんだけどね。三年経って、色々考えた結果、一本に絞ってみることにしたの。いつまで続けられるかは分かんないけど、表現することはやめたくない」


 そう言い切ったエンドーさんの眼差しは、とても力強いものだった。誰の意見を聞いても、自分が信じる道は曲げないといったような意志が伝わって来る。


「……俺、エンドーさんのこと、インディーズのシンガーソングライターかと思ってたよ」

「あー、確かに最近は、ギターを持って歌ってることも多かったかも」


 エンドーさんは屈託なく笑う。


「でも、ギターとか何でもそうだけど、目的を達成するための手段だよ」

「エンドーさんの目的って?」


 純粋に気になったから、俺は何も考えずに問いかけていた。待っていましたと言わんばかりに、エンドーさんは不敵な笑みを浮かべる。


「見かけたことあるなら知ってるでしょ。終焉をもたらすんだって」


 そうだった。思ったよりも柔和なエンドーさんの雰囲気で頭から離れてしまっていたが、エンドーさんのパフォーマンスでは終焉という言葉がよく使われている。


 終焉をもたらすために、夜遅くに大道芸みたいなことをしている?


 なんだか矛盾が生じている気もする。パフォーマンスをしながら、この世界の終わりを願ったって、はいそうですかと変わるほど単純な仕組みじゃない。


 もしそんなに簡単に世界が変わるなら、俺はこんなにも生き方を拗らせていない。


「終焉……、ってどういう意味?」


 エンドーさんのパフォーマンスを、最初から最後まで見届けたことがないから、何を伝えようとしているのかは分からないのだ。


 久し振りに人に本音を打ち明けたことで、分かりあったような感覚に陥ってしまったが、俺とエンドーさんの関係性を表す的確な言葉はない。


 優しくて、けど終焉を願っている――、そんなエンドーという隣にいる人間を、俺はまだ何も知らない。


「うん、それはね――」


 エンドーさんは、その小さな体で何を終わらせようとしているんだろう。エンドーさんは唇を動かしたが、その続きの言葉を発することはなく、口角を上げた。


「ねぇ、今時間ある?」


<――④へ続く>

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