おかしな家族

板倉恭司

息子

 僕は困っていた。

 こんな時は、どうすればいいのだろうか。




 本日、僕は所用のため午後八時頃に帰宅することになっていた。ところが直前に予定が変わり、いつもと同じ時間帯に帰宅したのだ。

 扉を開けた瞬間、僕は愕然となる。リビングの方からは、悩ましげな声が聞こえるのだ。何が起きているかは、バカでもわかるだろう。しかも、声は二種類ある。

 片方は、僕の母・大東恵子オオヒガシ ケイコのものに間違いない。息子としては、母親のこんな声は聞きたくなかったね。

 そして、もう片方の声にも聞き覚えがある。こちらも、僕の知っている人間のようだ。 

 聞かなかったことにして引き上げよう、という思いが頭を掠めた。だが、もう片方の人物が僕の予想通りなのか、それだけは確かめなくてはならない。

 音を立てずに歩き、そっと覗いてみる。

 飛び込んできたのは、大柄な男が母さんを抱きしめている光景である。しかも、その大柄な男は……僕の同級生であり友人でもある鈴本龍平スズモト リュウヘイなのだ。

 さて、これで確認は出来た。あとは明日、学校にて龍平を問い詰めるだけだ。とりあえず、今は消えるとしよう……と思った瞬間、龍平と目が合ってしまった。

 その瞬間、彼の動きが止まる。


「けけ健一ケンイチ!?」


 言ったきり、口をポカンと開けて呆然と突っ立っている。母さんはというと、龍平からパッと離れた。

 僕はというと、どうすればいいのかわからなかった。とりあえず、頭をポリポリ掻いてみる。

 三人とも、無言のまま見つめあっていた。とてつもなく重苦しい空気が、リビングを包む。

 が、数秒後に二人が動いた。同時に、床に正座したのだ。

 その状態から、二人が同時に頭を下げる──


「すまん!」


「黙っていてごめん!」


 いや、謝られても困るんだけど。そんなことより、息ピッタリじゃん。もう、そんな深い仲なのかい。




 てなわけで、僕の前で母さんと龍平が並んで正座していた。どちらも、叱られている子供のように下を向いている。

 ただ、僕も困っていた。聞きたいことは山ほどあるが、それ以上に妙な居心地の悪さを感じていた。

 ややあって、母が媚びるような上目遣いで僕を見上げた。


「あのう、健ちゃんは怒ってるのかな?」


 言った後、首を傾げた。さらに、はにかむような笑顔を見せた。息子の僕がいうのもなんだが、可愛い。この笑顔なら、まだ二十代でも通じるだろう。もっとも、実際の年齢は三十二歳だったりする。

 そう、僕は母さんが十六歳の時の子なのだ。


「怒ってるよ。あーあ、知らなかったのは僕だけなのか。悲しい話だね」


 厭味たらしく言うと、母さんは笑顔でごまかそうとする。だが、僕はわざと目を逸らした。

 すると、今度は龍平が顔を上げ口を開いた。


「俺は、お前に何度も打ち明けようとした。だが、その度に心がくじけた。俺は臆病で情けない男だ」


 言われてみれば、龍平が僕に対し何かを言いかける……みたいな動きが、何回かあった気はする。だが、気にも留めていなかった。


「本当だよ。僕のいない時にこっそり来るなんて、確かに情けないよね」


 厭味たっぷりに言った途端、龍平が立ち上がった。

 まずい、キレさせてしまったのだろうか。この男は百八十センチ百キロのマッチョな体で、空手の黒帯も持っている。僕など、素手で殺せるのだ。

 しかし、その心配は杞憂に終わる。龍平は僕の前で仁王立ちになり、目をつぶる。

 そして吠えた──


「さあ、殴ってくれ! 情けない俺を、気が済むまで殴ってくれ!」


「ま、待ってよ。今のは冗談だから。ちょっと落ち着こうか」


 言いながら、思わず後ずさりする。だが、龍平は止まらない。目をつぶり胸を張った状態で、ずんずん接近して来る。

 想像して欲しい。ゴリラみたいな大男が、目をつぶったまま迫って来るのだ。下手なヤンキーに絡まれるより怖い。


「いや、それでは俺の気が済まない! さあ、心の友であるお前を裏切った俺を、たっぷり痛め付けてくれ!」


 龍平は吠えた。いや、君を殴ったら、こっちの手を痛めるだけだから……などと思っていたら、母さんが動いた。すっと立ち上がり、龍平の頭をパチンと叩く。


「いい加減にしなさい。健一が困ってるでしょ」


 その声に、龍平は目を開ける。慌てた表情で、母さんの方を向いた。


「す、すいません」


 ペコペコ頭を下げる龍平と、呆れた目で見ている母さん。

 もっとも、母さんの目の奥には優しさがあった。同時に、深い愛情も。龍平の天然ぶりに呆れつつも、愛情を持って優しく見守る母さん……二人とも、ラブラブじゃないか。息子の前で、恥ずかしくないのかい。

 とはいえ、幸せそうな二人を見ていたら、自然と笑みがこぼれてきた。もういいや、そろそろ二人だけにしてあげよう。僕は、軽い気持ちで口を開いた。


「ところで龍平、母さんの昔の写真を──」


 言った直後、しまったと思った。母さんの過去を、龍平はまだ知らないかもしれないのだ。いつかは、知らなくてはならないことである。だが、僕の口から言うべきことではない。

 それは、母さんが直接告げることだ──


「はあ? 昔の写真? いったい何のことだ?」


 龍平は、きょとんとしている。やはり、この男はまだ知らないのだ。

 脂汗が流れるのを感じた。謝らなくてはならないのは、僕だ。震えながら、母さんの方を向く。


「か、母さんごめん……まだ、言ってなかったんだね──」


「言ったよ! とっくの昔に!」


 やや食い気味に、母さんが怒鳴った。直後、龍平の方を向く。


「あたしが昔、男だったって言ったでしょ! あんた、まさか忘れたとか言わないよね!?」




 実は、母さんの昔の名は大東恵司ケイジなのである。

 あまり多くは語らないし、僕も聞かないけど……幼い頃から、自身の性に違和感を抱いていたらしい。成長するにつれ、違和感はどんどん大きくなる。その気持ちをごまかすため、喧嘩やバイクの暴走に明け暮れていたみたいなんだよね。

 絵に描いたような不良少年だった母さん……いや、恵司。しかし、当時つきあっていた彼女の妊娠を知り、生活態度を一変させた。高校を中退し、叔父さんの経営する解体屋で真面目に働き始める。

 やがて僕が産まれ、家族三人のつましい生活が始まった。が、長くは続かない。数年後、僕を産んだ女は蒸発してしまったのだ。何が理由かは知らないし、知りたいとも思わない。さらに言うと、今さら顔も見たくない。

 と同時に、男を演じることに限界を感じた恵司は、大東恵子へと生まれ変わる。ゲイバーで働き始め、手術も受けた。

 それは、僕にとって苦難の日々の幕開けでもあったのだが──




「えっ? ああ、はいはい、そのことですか。もちろん覚えてますよ。忘れるわけないじゃないですかあ、はっはっは!」


 事もなげに答えた後、胸を張って豪快に笑う龍平。いやいや、騙されてはいけない。本当に忘れていた可能性もあるのだ。

 とはいえ、改めて龍平の大物ぶりには感心してしまった。母さんが昔は男だったという事実は、気に留めるほどのことではないらしい。

 まあ、いい。いい加減、二人だけにしてあげよう。母さんも、今日は店が休みなのだ。せっかくの休みくらい、若い彼氏と水入らずで過ごしたいだろう。


「そろそろ邪魔者は消えるよ。だけど、八時になったら帰ってくるからね」


「じゃ、邪魔者だなんて──」


「いいから。でも八時には、ちゃんと帰って来るからね。だから、あんまり変なことしてないでよ」


 母さんの言葉を遮り、僕は言った。直後、玄関にて靴を履き扉を開ける。

 さて、八時まで何をしようか……などと思いつつ、僕は歩き出した。





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