第十一話
「――ご協力ありがとうございました。自宅まで送りますか?」
「まだ日も落ちてない。結構だ」
「僕も適当に馬車を拾う」
エヴァンからの申し出をシャルロットとフロワは固辞した。距離こそ若干あるが一度近くの通りに出てしまえば裏路地に入ることも無くシャルロット達の自宅に着く。フロワの寮については方面が逆でひと気も少ないが、学者街と呼ばれる特区のため辻馬車を捉まえれば細かい道案内をせずとも送り届けられる。
「イネスさんは……」
「トワイライト家にお世話になっています」
「一度レディオルの家に寄りますが、街灯が点く前には帰ります」
「なら安心ですね」
最後にゼストがイネスの帰路の確認をし、三人が帰路に就こうとしたところレディオルが待ったをかけた。
「ロットの言う通りまだ日も落ちてないし、もう少し話していかないかい?」
反射的に眉をゆがめたシャルロットはゼストを見た。表情は欠片も変わっていないにも関わらず翡翠の色が深まって孔雀石を思わせる瞳に変化していた。
(相変わらず感情が目に出ること)
ゼストは嘘が得意ではない。隠し事は多いがそのものを悟らせないことで秘密を守っているにすぎないのだ。
「手短に頼みたいな。パン屋の見切り品が流石に無くなる」
地下室の窓が面する通りのパン屋は夕方になると安売りをしだす。翌朝になれば新しいパンが焼き上がるので、その日の内に売り切るためだ。
眉尻を下げるゼストにレディオルが役者じみた微笑みを返す。あまりにも絵になりすぎていて作為すら感じられる程だった。
「俺は思うんだ。親しくなるには食事が一番だと」
実際はただ単に笑みを作っただけなのだが所作のひとつひとつが完璧であるため、瞬きのひとつですら意味を勘ぐられるのがレディオルという人間だった。
「一理ありますが、そもそも親しくなる必要性を感じないのだが」
エヴァンの言葉は最もでこの六人の集まりは捜査のための一時的なものだ。事件の解決、もしくは迷宮入りでの解散が目に見えている。
「円滑な捜査のためにはコミュニケーションが必要だと思うな。今のままだといざという時に君たちが分かれるだろう?」
言葉と共に赤の瞳がゼスト達を写す。
「なにか問題があるか」
いざという時に身内を優先させることは当然だ。ゼストとシャルロットはお互いをこの上なく大事に思っていたし、フロワだけは自分達の持つ厄介事に巻き込みたくないと思っている。
人が有事の際守り切れるものは少なく、かけがえのないものは容易く両手から零れ落ちる。二人が半生で学んだことだった。
「君たちがお互いを大切にしているのはとても美しいことだと思う。だからこそ危険な目に遭った時は迷わず俺とエヴァンに頼ってほしいって話さ」
赤い瞳を細めて笑むレディオルはどこまでも純粋で、以前語っていた粉挽きの息子の出自を思い出させた。
「エヴァンには公人としての義務。俺は自らの願いとして君たち市民を守ることを誓おう」
レディオルが語るのは綺麗ごとだ。しかし、彼にはそれを現実にするだけの度量がある。
「仰々しいのは結構だけど、結局この六人で食事を摂りたいってことか?」
「その通り! ロットも俺のことが分かってきたね」
言葉と共に急に右手を引かれたシャルロットはその勢いのままレディオルの胸に飛び込んだ。左手を背中に回してくるので無理に離れるわけにもいかなかった。
「存外鍛えてるな」
「ああ、見た目に騙されますが中々の怪力ですよ。……レディオル、そろそろロットさんを放せ。親しくなる以前の問題だ」
「おっと失礼」
右手は一瞬の内に組み変えられ、シャルロットの小さな手をすくいとるように握り直される。手の大きさの違いに一瞬眉をひそめそうになるシャルロットだったが、不機嫌顔を作って素知らぬ振りをした。性別を曖昧にした格好をしようと、手だけはどうにもできなかった。
恭しく彼女をゼストのもとにエスコートする姿はどこまでも芝居がかっている。
「気を取り直して、この六人で食事をしたい。捜査の話もあるからできれば誰かの家が好ましいかな」
「ああ、打ち合わせも兼ねているんですね」
相槌を打ちながら少女の白い喉を撫でるゼストの手にシャルロットは人知れず息を吐いた。薄い皮膚の下の血管、命をなぞられているようでどうにも落ち着かないのだが、ここで手を払い除けると夜中に半身を起こして虚空を見つめる様子がありありと想像できたので好きにさせている。
(薄闇の中でも光っていたり、真昼の空の下でも濁っていたり器用な目だこと)
仕草や声音はいくらでも偽れたが、目だけは不可能だった。最も二人の感情の揺らぎを察知できるのもお互いだけだったが。
「前も言ったが僕の家は駄目だ。そもそもあそこは寮だ」
いち早く自宅を候補から外したフロワだったが文句は出なかった。人を招くことは許可されているが、単身者用の住居ということもあって部屋の面積は狭く建付けの天井まで届く本棚が圧迫感を強く感じさせる部屋だった。
「あの冒涜的なキッチンでご飯を用意できるとでも?」
「ままごと用のシートの方が充実してる」
友人であるはずのゼストとシャルロットが眉根を寄せながらフロワの家のキッチンを酷評した。
「シンクにまな板を渡してバゲットを切り出したときはどうしようかと思ったよ」
「あの孤独なコンロはお湯を沸かす以外に何が出来るんだ?」
「食い道楽共が……」
ドガにおいて異様なほど二人は食事に凝っていた。庶民であればパンとスープ、それさえあれば充分上等な食卓だがゼストとフロワにしてみれば粗食この上ないものだ。食にこだわりすぎることは貪食として捉えられ、財の余りある貴族でさえ褒められたことではないが彼らは気にも留めなかった。
「一生のうち何度飯が食えると思ってるんだ。同じ店の同じパンを食い続けたら情報を圧縮すれば塵だ」
「食事は日々を彩る最も大切なことだから」
シャルロットは前世の感覚が未だに抜けていないため、ゼストに関しては元からの素質もあったがこの数年で一気に開花した。元の姿では外出するにも気を遣うので必然的に家での時間は増える。手をかけた分だけ上等な食事にありつけるとあって彼女らに妥協はない。
「じゃあ二人に任せてもいい? 話し合いに使った店の奥のスペースにお邪魔する感じで」
「ベットを寄せれば大丈夫さ。……ロット、本は片付けておきなよ?」
「やっぱりこうなるか」
元よりこの面子の中で場所を提供できるのはレディオルかゼスト達だけだった。イネスは犯人による放火で家を失っており、エヴァンの実家トワイライト家に招かれてもレディオルが望むような親睦を深められる食事会は行えそうにない。
「食事の用意はするけど、食べられないものとかあるかい?」
「生魚」
「市場の魚は調理用しか置いてないから刺身にはしないよ……。買い物したことあるのかい、フロワ」
そもそもドガに魚の生食の文化は無い。
「お前たちが前話してただろ。聞いているだけで鳥肌が立った」
「南の国ではそういう食べ方があるって話だよ」
太陽の下、平べったい升の上に山盛りにされ氷も無しに売られている魚を生で食す度胸は流石の二人にも無かった。魔石を使えば冷やすことも容易いはずだがその発想もドガにはないようだった。
「所変わればってやつかな。俺は甘いもの。人参くらいなら大丈夫だけどカボチャからはあやしいかな」
「その代わり加薬を目を疑うほど入れますよ。あのスープは元は何色だったんだ」
「人が作った料理にはしないよ。自分の家で食べるときだけさ」
「うちのゼストとは逆だ。甘党で辛いのが無理なんだよ」
「ロットは何でも食べるからね」
「味の良いものだけ、な」
呆れた風を保っているフロワだが、彼自身は何度も二人の作る食事の相伴に預かっていた。
「イネスは?」
「……あまり、食事の経験がなくて分かりません」
「ああ、これまで一人で暮らしてたんだっけ」
「で、トワイライトの家に世話になってるんだったか」
シャルロットの確認にイネスはこくりと頷いた。
イネスは物語の開始時に犯人による放火で家を失っている。その事件を担当したエヴァンの兄の計らいによってどのルートでもトワイライト家の離れに保護されていた。
「好きなものを好きなだけ食べればいいんじゃないかな。余れば俺とロットの朝食になるだけだし」
「それで好物が分かればそれでいいしね」
料理を多く作る口実ができることは二人にとっても有り難かった。尤も人を自宅に招くというイベントに関しては歓迎する気持ちが欠片も湧いてこなかったが。
「ひとまず、再来週の礼拝日の前日はどうだろう」
捜査の他に憲兵としての業務があるエヴァンや自警団を自称するレディオルは平日働きに出ている。他の四人は個人の采配で予定を動かせるので必然的に彼らに合わせることになった。
「うん。それだとありがたいな。何か持っていこうか」
「では、木杯をお願いしてもいいですか? 酒類とそれ以外を分けたいのですが、うちはグラスとティーカップしかないので」
「我が家にあるので用意します」
「じゃあ、頼んだ」
軽い会釈を最後に今度こそシャルロットたちは帰路に就いた。食事会を終えるまで不安定になるであろうゼストの心情を思い、少女はひとつため息を落とした。
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