■■県■■市黄泉之崎喫煙所【短編連作】
朝桐
とある殺人鬼の一服
黄ばんだ誘蛾灯がジジ、ジジ、と点滅する。
誘われた虫たちが、電灯に衝突しては跳ねる。夜半過ぎのこのあたりは人気がなく、通る車もない。雑木林が連なる先、弱々しい外灯に照らされたそこに、ぽつねんと喫煙所がある。
喫煙所といっても灰皿と簡易的な雨よけの屋根があるだけの、粗末な造りだ。屋根を支える柱には落書きがされ、雨風に晒されて色褪せている。
そんな辺鄙な場所に、ひとりの男が向かっている。鋭い目つきの男は背丈が高く、筋肉で引き締まった身体をしている。まだ二十代だというのに纏う雰囲気は、戦場を駆けた老兵士のように研ぎ澄まされていた。そんな男の頬を、夜の底で冷えた春風が撫でていく。
「……ここが黄泉之崎か」
喫煙所を目前にした男は、誰にともなく呟く。噂では聞いていた、黄泉の国と繋がる、もう誰も使っていない喫煙所。いつから、また、どうしてこの喫煙所にそんな曰わくがついたのか。男は知らなければ、興味もさしてなかった。ただ、煙草を一本、吸っている間だけは会いたい死者に逢える──それだけが男を、ここまで突き動かしていた。
灰皿を前にした男は、ポケットから煙草を取り出すと、一本、唇に咥えた。安い百円ライターで火を起こし、ジリ、と先端を灼いた。赤い光がぽう、と灯り、男は慣れた様子で煙草を肺に取り込み、吐き出した。紫煙が夜の闇へとたなびくように消えていく。
「よう」
男は忽然と隣に現れた、亡者の男へと話しかける。相手が死者だというのに、久しぶりに会ったかのような軽快さで。男の隣に現れた、くたびれたスーツを着た男もまた、亡者であるというのに煙草を咥えて気さくに挨拶してくる。
「おう、久しぶりだな。紫藤」
紫藤と呼ばれた男は、煙を吐き出して笑う。
「オマエは死んでも変わらねぇな。八津先」
「まぁ、そうかも? お前にこうやって呼ばれるのは意外だったけどな」
八津先は無精髭をさすって苦笑する。ふう、と煙を吐き出した紫藤が言う。
「意外か?」
「ああ。お前は誰かに頓着するようなタチじゃないだろ?」
「そうだな。俺も、意外だ。オマエがこうして現れるなんて」
「ま、普通は化けて出るだろうからな」
なにせ、と八津先は言う。
「俺を殺したの、お前なんだからさ」
一拍の、静寂。
だがその沈黙は風にのって、闇に吸い込まれていく。
紫藤の表情は変わらなかった。
「そうだな」
「おいおい、悪かったとか、そういう謝罪の一言もねーのかよ」
「悪いとは思っていない」
煙草の煙を吐き出して紫藤は言い切る。残りの煙草は半分。残された時間も半分だ。
「ふうん。じゃ、何で俺のことを殺した?」
「殺さずにはいられなかった」
ハッ、と八津先が笑う。
「お前は友人を殺す趣味があるのか?」
友人、と呼ばれて微かに紫藤の瞳が陰る。友人。そうだ。紫藤と八津先は確かに友人だった。だが、紫藤はそれ以上に、殺したくてたまらなかった。幼少期からそういう性質の人間だった。人間として壊れていると言われても、これはどうしようもなかった。
紫藤はこれまで何人もの人間を殺してきた。家族も焼き殺した。恋人も刺し殺した。恋人や友人といった、ある種特別な存在を作る度に、紫藤は殺してきた。
その破壊衝動は抑えられなかった。紫藤は思う。自分は誤って人間として生まれてきた化け物なのだ、と。
例外はなかった。だから、八津先と友人になった時、紫藤は八津先を殺した。
「オマエを殺したのは、俺がそうしたかった。ただそれだけだ」
「ほう。殺人が趣味ね。いい趣味してるな」
殺されたにも関わらず、八津先はからからと景気よく笑った。生前と変わらない笑い方だった。
「……俺がオマエを呼んだのは、ひとつだけ、聞いておきたい事があったからだ」
静かに紫藤が切り出せば、八津先は煙草を吸う動きを一旦止めた。
紫藤はそれを横目に、煙草の灰を灰皿に落とすと続けた。
「八津先。何で、オマエは俺に殺される時、笑ってた?」
何度も紫藤は八津先にナイフを突き立てた。泥酔していた八津先の抵抗は、ほとんどなかった。それどころか、最期には笑っていた。その理由が分からなかった。
これまで何人も殺してきた。皆、絶望と悲哀で塗りたくられたような顔をしていた。
けれど八津先は違った。その理由が、紫藤には分からなかった。八津先を殺してからずっと、胸の奧に引っかかっていた。
問われた八津先は暗い宙を見上げた。それから煙草を吸って、煙を吐き出した。
「お前は特別な存在を作るのが怖いんだろうな、って思ったからかな」
「……怖い?」
初めて言われた言葉に、紫藤は眉根を寄せる。それを見た八津先が、可笑しそうに笑った。
「なんだ。気付いていなかったのか? 紫藤。お前は大事なモンが、自分の与り知らぬ所で喪われるのが怖いから、自ら手を下してるんだよ」
そうしたらさぁ、と紫煙を吐き出して八津先が言う。
「なんだかお前が憐れになって。笑っちまったんだと思う」
とんとん、と灰を落とす八津先は笑っていた。最期に見た時と同じように。
紫藤の持っていた煙草の先から、ほろりと、灰が落ちた。
自分はそんな生き物ではない、と言いたかった。言いたかったのに、紫藤の声帯は動かなかった。その間にも煙草は根元へと向けて焼けていく。時間が、ない。
「まぁ、死人の俺から言えることはそんくらいだ。参考程度に、今後の人生に生かせよ」
そう言うと八津先は最期の一服をした。
煙を吸って、吐き出す。その紫煙と一緒に八津先の身体も風にさらわれて消えて行った。
残された紫藤は極限まで短くなた煙草をもみけすと、灰皿に捨てた。一本の煙草の残骸が、暗い昏い穴のなかへと落ちていく。まるで冥府へ落ちるように。
紫藤は短く舌打ちした。
「……死人ならもっと恨んで出てこいよ」
最後まで笑っていた八津先の姿を思い出して、紫藤は空を見上げる。雲の流れも見えそうな、煌々と輝く月が夜空には浮かんでいた。奇妙なくらい、心は凪いでいた。忌々しいくらいに、心のつかえは取れていた。
八津先が言った事が、本当のことなのかは、紫藤にも分からない。
ただ、喪う度に心に訪れる安堵は、否定できなかった。
──ああ、畜生。
呟き、紫藤は喫煙所を後にする。
その足が向かう先は、誰も知らない。
■■県■■市黄泉之崎喫煙所【短編連作】 朝桐 @U_asagiri
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