『永遠氷(とわごおり)-The Eternal Ice-』雪と氷の物語

ソコニ

第1話 白昼ノ檻



第1章:異変


極夜のアイスランドで、日が沈まなくなった日のことを、私は決して忘れない。


ヴァトナヨークトル氷河観測施設の主任研究員として、私はその日もいつも通りデータの確認をしていた。マイナス37度を記録する外気温、積雪量の変化、風速の記録。全て、極夜期間としては平均的な数値を示していた。


「ミサキさん、これ...おかしくないですか?」


新人研究員の山田が、不安げな声で呼びかけてきた。彼が指さす窓の外には、どこまでも広がる白い雪原。そこには、極夜なのにもかかわらず、不自然な白昼の光が満ちていた。


私は即座に全てのセンサーを確認した。太陽光量、大気中の光の屈折率、オーロラの影響...しかし、異常値は検出されない。ただ、「昼」が続いているだけだった。


「山田君、記録はいつからおかしいの?」


「それが...データ上は何の異常も出ていないんです。でも、私の体感では、もう36時間以上、光の強さが変わっていません」


彼の言葉に、私は背筋が凍る思いがした。時計は正常に時を刻んでいるのに、自然の摂理だけが狂っているかのようだった。



第2章:地下室の発見


その日の夜...と呼ぶべきなのかもわからない時間帯に、施設の地下で電源系統の点検を行っていた際、古い扉を見つけた。


「これは...」


扉には「Project Eternal Day - Top Secret」という文字が、かすかに読み取れた。錆びついた取っ手は、長年誰にも触れられていない様子だった。


しかし、不思議なことに、中から微かな振動が伝わってくる。まるで、何かが今も稼働しているかのようだった。


地下室の奥には、想像を絶する光景が広がっていた。


巨大な装置が、今も静かに稼働を続けている。壁一面に並んだモニターには、30年前の日付から止まったままの時計。そして、装置の中心には、青白く輝く結晶体が浮かんでいた。


「時間制御実験記録 - 1994年2月15日」


古びたノートには、驚くべき記録が残されていた。



第3章:実験記録


実験記録は、驚くべき内容を明かしていた:


「被験体T-7は予想以上の安定性を示している。光子の凝固により、局所的な時間停止に成功。しかし、制御は困難を極める。装置の出力を0.001%上げただけで、実験室全体が時間の歪みに包まれた。


今日、新たな発見があった。時間停止領域内で形成された氷の結晶には、特異な性質がある。通常の氷と異なり、これらは決して溶けることがない。永遠に凍りついた時間の断片とでも言うべきか。


しかし、この発見には代償が伴った。先週の事故で、三名の研究員が時間停止領域に巻き込まれた。彼らの姿は今も実験室に残っている。永遠に動かぬ彫像のように...」


記録の最後には、緊急の警告が記されていた:


「装置の完全な停止は不可能と判明。エネルギー供給を最小限に抑え、地下施設ごと封鎖する他ない。もし将来、この記録を読む者がいるなら警告する。装置に触れてはならない。時間の氷はもう、溶け始めているのだから」



第4章:溶ける時間


研究記録を読み終えた時、施設全体が微かに震動し始めた。


「ミサキさん!地上からの連絡です。施設の周囲で、異常な現象が...」


山田の声が途切れた。通信機器から聞こえてくるのは、不規則なノイズだけ。


モニターに映る外の景色は、まるで歪んだ万華鏡のようだった。雪原の上で、過去と現在が重なり合い、溶け出している。


30年前の時間が、再び流れ始めたのだ。



第5章:氷の結晶


地下室のモニターが突如として明滅を始めた。青白い光を放つ結晶体が、まるで目覚めたかのように輝きを増している。


私は古い実験データを急いで確認した。この現象は、30年前の実験の最終段階と酷似していた。


「山田君、この装置を見て」


中央の実験槽に浮かぶ結晶体は、明らかに通常の氷とは異なる構造をしていた。六角形の結晶が幾何学的に連なり、その中心には渦を巻くような模様が見える。


「これが...時間を閉じ込めた氷?」


山田の問いかけに、私は答えられなかった。なぜなら、結晶の中に「動き」を見つけたからだ。


微細な氷の構造の中に、過去の映像が封じ込められているように見える。30年前の研究員たち、彼らの実験の様子、そして...私たちの姿も。


「まるで、鏡のようです」


山田の言葉は的確だった。この結晶は、時間という鏡。過去と現在が交錯する場所で、私たちは自分たち自身の未来を見ているのかもしれない。



第6章:選択


施設全体の振動が強まってきた。地上階からは、建物のあちこちで氷の結晶が成長しているという報告が入る。


「このままでは施設全体が、時間の氷に飲み込まれる」


選択肢は二つ。装置の出力を最大まで上げ、結晶化のプロセスを強制的に停止させるか。あるいは...


「私たちも、時間の標本になるしかない」


山田の声が、妙に冷静に響いた。


モニターに映る外の景色は、既に現実とは思えないものに変わっていた。永遠の白昼の中で、雪が逆さまに舞い上がり、オーロラが螺旋を描く。


私は決断を下した。


「装置の出力を上げて」


「でも、それは...」


「ええ、30年前の轍を踏むことになる。でも、それしか方法がない」


私たちは装置のレバーに手をかけた。その瞬間、青白い光が部屋中を満たし...



エピローグ:氷の標本


その後、ヴァトナヨークトル氷河観測施設は「消失」したとされる。


しかし、地元の言い伝えによれば、特定の条件が重なった時にだけ、氷河の端に奇妙な建物が見えるという。永遠の白昼に包まれたその建物では、今も若い研究員たちが実験を続けているという噂だ。


真実は誰にもわからない。ただ、確かなのは、時折氷河から不思議な青い氷の結晶が見つかることだ。その中には、まるで人影のようなものが封じ込められているという。


永遠の時を求めた人類の、小さな記録として。

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2024年12月25日 21:00
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