Ⅴ.ネームタグ


 あれはオーロラじゃない。雲だ。

 ぶ厚い雲が空を覆い、それが赤や緑の光を放つくらいに放電している。電気が反射したり屈折したりして、本来雲よりも高い場所にできるオーロラが地表近くにまで発生している。だから昼間にオーロラが見えていて、太陽が異常放射していても雪が降っている。

 けれど、緯度がはっきりしていて、時計が正確なら、太陽の向きはわかる。


 結論から言えば、太陽に向かってまっすぐ進むのが想像できる最善策。磁気嵐を抜けるまでの距離は、太陽の角度に近いほど短く済む。

 川の中で丸い果物を冷やしているイメージだ。水流が太陽フレア。果物が地球。水流はぶつかった衝撃でそこに磁気嵐を生む。磁気嵐は地球の表面をなでながら川下へ流れていく。地球と果物の違いは、強い引力の有無。流れながらも引力に引かれた磁気嵐は、太陽の反対側へと集まっていく。

 つまり、夜。放電する雲が最も厚くなり、磁気嵐も激しさのピークを迎える時間に、サンタクロースは飛び立ってきたのではないか。


 ピンクのオーロラに触れた瞬間、ドンダーの頭が大きく揺れた。

 一頭立てとは思えない力強さでそりが滑りだし、丘をぐんぐんと登るように浮きあがったことに胸が打ち震えた直後だった。急ブレーキがかかり、ドンダーの背に向かって投げ出されそうになる。ニッセといっしょになんとか風防にしがみついて、帽子もとっさに押さえつけた。

 光のカーテンに稲妻が走り、ドンダーの立派なツノに集まっている。彼はフゥフゥと息を荒げながらも立ち止まってはいなかった。帯電したツノを振り乱し、カーテンを突き破るように磁気嵐に飛びこんだ。


 異物が入りこんだ瞬間、オーロラたちは一斉に輝きを増して放電を始めた。一切意思などないはずなのに、招かれざる者を撃ち落とさんとするように無数の稲妻が襲いかかってくる。

 目もくらむ閃光と激しい揺れ。そりは上昇を続けながらもほとんどせんを描いていた。飛び立つ前に「うしろにかまわないで」と言い含めておいたドンダーは稲妻をはねのけながら猛然と進んでいく。彼を信じて目をつむり、必死で体を伏せていた。


 バン、と音を聞いたのはそのとき。

 驚いて目をあけたとき、そりは雲の中にいた。赤く光る不気味なもやの中で、あいかわらず稲妻たちが暴れている。しがみつきすぎた腕にしびれを覚えながらも、私は音のしたほうを見た。

 後方。そりの荷台。

 あんなにしっかりと張られていた黒い幌がめくれあがっている。ロープを介して端を預かっていた金具のひとつが根元から折れてしまっていた。稲妻がそこを直撃したのか。


 そりが大きく揺れて、積み荷の白い袋が浮きあがる。

 閉まっていない袋の口からこぼれ出たのは、カラフルなリボンのついた四角い箱。


「え……」


 ぼんやりしてしまう。その間にも袋の口からは同じような箱が次々と空に逃げていく。

 それから、小さなネームタグ。


「なんで……」

「なに!? どうしたの!?」


 私の異変に気づいたらしくニッセが叫んだ。隣りで同じように座席にすがりついて目を閉じていたらしい。金具の割れた音は、絶えない雷鳴にかき消されたのか。


「プレゼントが……」

「えっ!?」


 朦朧とつぶやく私の声も聞こえなかったかもしれない。けれど視線を追ってニッセも荷台の袋を見た。「あぁ……」と、期待していたより冷淡な声がする。


「そっか。ここに乗せるといえばそうよね。降ろす意味はないし」

「ニッセ……?」

「安心して。言ったじゃない。人類最後の三百年、サンタはプレゼントを届けられなかった。あれは一番最後の子どもたちの分よ。二千年後の今、もう関係――」


 最後まで聞こえなかった。

 自分がそりを蹴る音の向こうに消えたから。

 袋がまるごと転がり出る。追いかけて、私は赤い雲の中に飛び出した。


 途端、目の前が暗くなる。意識が遠のきかけたのを自覚して、稲妻に頭を殴られたと気がつく。

 ニッセの声がする。目の焦点が合う頃、そりがもうずっと遠くにある。

 背中が焼けるように熱い。落ちていく私に稲妻が追いすがり好きなだけ肌を焼いていく。

 ケープが外れてどこかへ飛んでいった。帽子は?


 かすんでいく視界の中で、青くて四角いものを見た気がした。

 一も二もなく、力の限り手を伸ばす。


 まだ間に合う。届け。届け。


 届け。届け。届け。届け。届け。




     ◇◆◆◇◆◇




 赤色の三点セット。

 最初の魔法は、屋根渡り。

 屋根から目に見える屋根までならひとっ飛び。その力で少しだけ空も飛べて、高いところからの着地も平気。

 ボロボロに引き裂かれたマントじゃ、ギリギリだったけど。


 雪に埋まっていたところを、ニッセに掘り出してもらえた。

 よかった。磁気嵐を抜けられたんだね。

 小さな手で、ぽかぽかと何度も叩かれた。全然痛くない。パタパタと暖かい雨もたくさん降ってきた。

 私は叩かれながら、さすがにかじかんだ手で、手の中のものを何度も数え直す。


 一、二、三……みっつ。

 三つだけ。何度数えたって、一、二、三。


 ごめんなさい。

 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。


 胸の内側は空っぽなのに、ニッセが火照った手で何度もぽかぽかと叩くから、私は泣くに泣けなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る