第2話
静かな夜、私の心は冷たく張り詰めた空気の中で、小さく軋む音を立てている。
「紗希、どっか行きたくない?」
放課後、またしても秀一がさりげなく話しかけてくる声に、私は少しだけ息を飲む。
悠真と付き合い始めてから、こんな風に他の男の子と話すこと自体が気まずかった。
でも、秀一のそんなことを気にしないで済むような柔らかい口調とその奥の真剣な瞳に、そういうことを気にすることはもう無くなった。
「どっかって……どこに?」
「この前行ったカフェとか。ほらあれ、楽しかっただろ?」
「そりゃあ、楽しかったけどさ」
曖昧に答える私に秀一は笑った。
「君ってさ、そういうとこ正直で……本当に可愛いよ」
その一言に、思わず心臓が速くなった気がする。
顔が赤くなった私はすぐに顔を背けたけど、秀一の視線は変わらず私を捉えていた。
(もう、急にドキドキさせること言わないでよ)
夕方。あの駅前のカフェで、私たちは向かい合って座っていた。
悠真には「友達の相談」と伝えてしまった。
それが嘘なのはわかってるけど……罪悪感は勿論ある。
でも、ちょっぴり背徳感も感じて胸を高鳴らせてくれる。
そんな感覚が妙にこそばゆくて嫌いじゃなかった。
「紗希って、普段どんなこと考えてるの?」
「えっ、急にどうしたの?」
「いや、なんか妙な感じだよね。俺にはわからない目で世の中が見えてそうでさ」
そんなことない。ただの普通だ。
でも、秀一にそう言われると、少しだけ自分が特別になったような気がしてしまう。
「そんなことないよ。私、普通だよ」
「普通なわけない。だってこんなに可愛いのに……普通の子同じな訳ないじゃん。君は誰より特別だ」
「……ぁ」
まただ。またその言葉だ。
悠真だって私を可愛いって言ってくれるけど、秀一の言葉はどこか違う。
それが何なのかわからないけど、聞くたびに胸の奥が熱くなる。
夜、家に帰ってから悠真からメッセージが届いた。
「紗希、明日こそ一緒に帰ろう」
それを読んだ瞬間、胸が痛んだ。
悠真は何も疑っていないんだ。私のことをどこまでも信じてくれている。
なのに、私は――。
「明日はちょっと用事があるから、また今度ね!」
送信ボタンを押した瞬間、なんだか息が苦しくなる。それでも、すぐに苦しさがいつしかスリルに変わっていく感覚があった。
(私、本当はもっとイタズラな子なんだよ? 特別な女の子なんだから。彼氏なら、もっと可愛く扱ってくれてもいいんだよ)
「紗希、そろそろ本音言ってくれないかな?」
次の日、秀一に静かな場所に誘われて、ふいに言われた。
「本音って、何のこと?」
「今の彼氏が、本当に好きなのかなって」
その言葉に、頭が真っ白になった。
「そ、そんなこと、急に言われても……」
「ずっと一緒にいたから、なんとなく特別に見えてただけなんじゃないか? 俺にはわかるよ。本当はもっと違う自分でいたいんだろ? そしてそれは、彼氏には無理なこと。あいつはさ、結局、今までの紗季を縛り付けてるだけなんだ」
違う、自分……?
私は何も言えないまま視線を落とした。
「俺のこと、どう思ってる?」
どう思ってるか――そんなのわからない。
でも、言葉にしなくちゃいけない気がした。
「……秀一のこと、嫌いじゃないよ」
それだけで、秀一は満足そうに笑った。そして、私の手をそっと握った。
「もっと正直になってもいいんだよ? ほら、もっと俺に賭けて。好き……そうだろ?」
その言葉に、心臓が大きく跳ねる。
「す……き……。でもそんな」
「わかるよ。戸惑ってるんだろ? でも、今では言葉が本当の紗季だって。それは俺にしかわからないことだ。だって、紗季が本当に好きな相手なんだから」
「私の、本当に好きな相手……」
その後のことは、ボーっとしてよく覚えてない。けど、今までにない幸せな感じに包まれていた気がする。
「ん? あれって紗季ちゃん……? それに隣に居るのって……。あれ? 今あの二人どこから……っ!?」
夜、布団の中で私は考える。悠真の優しい笑顔。秀一の熱い眼差し。
どっちが本当の「私」に必要なのか。
次第に、悠真に対する「隠し事」がただの不安ではなく、どこか心地よい刺激に変わっていくのを感じていた。
「悠真、ごめんね。でも、もう少しだけ。きっと好きなのは”同じ”だから」
独り言が暗い部屋の中で響いた。
◇◇◇
ある日、ぼくは目を疑うものを見てしまった。
放課後の教室に残ったのは、ぼくと悠真だけ。
窓の外では雪が降り積もり、灰色の空が重くのしかかっているみたいだった。
(どうしよう……。でも、言わないと――)
言葉を切り出すのが、こんなに難しいなんて思わなかった。
「悠真、ちょっと話せる?」
「ん? なんだよ、改まって」
笑顔を向けてくる悠真に、ぼくは胸が痛くなる思いだった。
ずっと応援していた二人――悠真と紗希ちゃん。付き合い始めた時は本当に嬉しかった。
でも、その幸せが今ぼくの手の中で崩れそうになっている。
「いや、その……紗希ちゃんのことなんだけどさ」
「紗希? なんかあったのか?」
悠真の顔が少し真剣になる。
ぼくは言葉を飲み込んで、窓の外を見つめた。
やっぱり止め……いや、だめだ! こればっかりちゃんと言わないと。
「悠真。紗希のこと本当に好きだよね?」
「何だよ? いきなり。もちろんだろ。紗希は可愛いし、一緒にいると楽しいし」
その笑顔が、今は痛い。
ぼくは小さく息を吸い込んだ。
「でもさ……もし、彼女がとんでもない隠し事をしてたら……君ならどうする?」
「隠し事?」
悠真の眉が少しだけ寄る。
「ぼく、最近ちょっと変だなって思ってたんだ。紗希ちゃんがさ、学校以外で佐藤くんと一緒にいるところを見たんだ」
その瞬間、悠真の目が真剣になる。
「佐藤と? それ、どういうことだよ」
「正直言うと、最初は何でもないと思ってたんだ。二人で話してるだけだし、たまたまかもって。でも……昨日の夕方、駅前で二人が一緒に歩いてるのを見たんだ」
悠真はじっとぼくを見つめる。その視線が重くて、ぼくは耐えられず視線を落とした。
「駅前で……何してたんだよ。」
「駅前っていうか、その……」
「おい、なんだよ? 何を見たっていうんだ」
言い淀むぼくに、当然問い詰める悠真。こんな切り出し方じゃ不安を覚えるのもしょうがないよ。
やっぱり、という思いと、それでも、という思いが交互に変わって。
でも、伝える方がずっと大事だって思って、決心することにしたんだ。
罪悪感が喉を締め付ける。
「二人がその――駅前のトイレから出てきたんだ」
「紗希がそんなことするわけないだろ!」
ぼくたち以外誰もいない教室に悠真の声が響く。
その怒りはぼくにではなく、自分の中の不安に向けられているようだった。
「ぼくだって、信じたくないよ。でも、見たんだ。紗希ちゃんが佐藤くんと一緒にい出て来るところ。びっくりして、急いで写真も撮っちゃった」
スマホを取り出して、その証拠写真を見せつける。流石に出て来る瞬間を撮影出来無かったけど、位置関係から二人がどこから出て来たは簡単に想像できる。
なにより、二人は楽しそうに手を繋いでいた。
悠真はしばらく黙ったままだった。
そして、ポケットからスマホを取り出すと、何かを打ち込み始めた。
「何してるの?」
「紗希に聞いてみる」
「落ち着きなよ! それは……」
ぼくは言葉を飲み込んだ。
悠真は画面を見つめたまま、指を止めた。
「そうだな……やっぱり、直接会って話す」
その声は、どこか震えていた。
悠真はスマホをしまい、ぼくに向かって小さく笑う。
でも、その笑顔は明らかに無理をしているようだった。
「……悪い、言いにくかっただろ。でも、これでよくわかったよ。馬鹿なのは俺の方だった」
ぼくは何も言えなかった。
ただ、悠真が教室を出ていく背中を見送ることしかできなかった。
窓を叩きつける風だけが、教室の静けさの中でやけに響いていた。
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