エペランシア

むっしゅたそ

第1話【赤の狼】

 騎士が三人、一人の男を相手取り、白く光る剣を抜いている。

 騎士の一人が口を開く。

「聖戦〝カタストロフィ〟の生き残りである我々を前に、たかが一介の流浪者が、剣を抜いた」

 更にもう一人の騎士が続ける。

「罪深い、我ら〝騎士〟に対する冒涜行為である」

 三人目の騎士が、

「己が臓物を撒き散らしながら後悔するが良い」

 と口にし、流浪者との距離を詰める。

対して、流浪者も彼らとは形状の異なる〝光物〟を抜いた。

「後悔するのはどちらになるか……、尤も、うぬらには後悔する暇も与えぬが」

 三人の騎士は、流浪者を取り囲み、その円を少しずつ縮小させてゆく。

「薬物中毒者だな」

 正面に立つ中背の騎士がそう口にした。

「ああ、眼光の動き、この匂い……」

 彼の右手側に陣取った大柄な騎士がそう続く。

「剣を抜かずとも、この男は我々が斬り捨てる定めであったか」

 左手側の最も小柄な騎士がそう言った。

 言い終えると同時に、小柄な騎士が流浪者の喉に剣を突いた。流浪者はそれを拳闘の潜り込みのように顔を潜らせて避けた。

 流浪者は小柄な騎士の細身の剣に目をやり、

「……斬るための武具ではないな」

 と呟いた。

 小柄な騎士は、たった一刀のやり取りでその本質を見抜いた流浪者に若干の敬意を覚えた。

「……いかにも、イスパニア剣術のレイピアは、斬るものに非ず。我が小柄で非力な肉体を補って余りある玩具! 冥途の土産に覚えておくが良い」

 小柄な騎士は再び流浪者に向かい半身の構えを作る。本来騎士は重装だが、この騎士は実に軽装であるのは、イスパニア剣術の速力を最大限に活用するための〝備え〟だと理解できる。受けたり押したりつば迫りすることは最初はなから想定していない。斬らせずに突き斃すための所作。

「……なるほど、なるほど。あらゆる流儀は心得ていたつもりであったが、これだから剣術てぇ奴は、つくづく……」

 流浪者は、黒い長髪で表情が伺えないが、他流との立ち合いに、嬉しさを隠しきれていない声音を発した。

「では」

 小柄な騎士は斜の構えを崩さずに、左後ろ足で地面を蹴り、右前足を前方に送る。

 刹那、花瓶にヒビが入るようなかすかな金属音と共に、敵を串刺しにするはずだったレイピアの胴が両断された。

 馬鹿な、この速度で、しかもたった二太刀目で、躱すどころか迎撃などと……。そういった内容の驚嘆の念を、騎士が言語化する直前に、彼の首は飛んだ。

 異形だった。人型の首なし死体。それは敵を射抜くレイピアを一突きした姿勢のまま固まっている。なによりも異様なのが、彼の傷口からは、血の一滴も零れ落ちていないことだった。それほど美しく、自然で機能的な傷口だったのだ。

 流浪者は小気味よい金属音を鳴らして、鞘に剣を収めた。

「挨拶代わりだ」

 だが残された二人の騎士には、動揺する様子はなかった。

 巨躯の騎士が口を開いた。

「……素人では、ないようだな。とりあえずは」

 言い終えると同時に、彼の体格に見合った立派な長剣を上段に構えた。頂点に達したとき、巨体に搭載された圧倒的な筋肉たちが、剣を振り下ろすブレーキにならない部位を残して、鋼のように硬直した。

 衝撃音が響いた。もしもこれが、面打ちを受けた音だったならば、その防御うけを押し切って受け技の上から尚、流浪者を〝撲殺〟していたであろう。そんな音だった。

 しかしこれはその音ではなかった。大柄な騎士が絶命し、肉体が握力を失い、大剣が、己が主の下を離れ、地面に激突する音だった。胴体が大根のように、心臓のある中心部を含み、一太刀が〝通り抜け〟ても、また血の一滴も垂れてこない。

 大柄な騎士は面打ちの姿勢のまま倒れることもなく絶命した。

「馬鹿な……我々は騎士だぞ」

 残る中背の騎士は流石に動揺したのか、薬品臭を放つ流浪者から距離を取った。その後ろから、騎士は肩を何者かに掴まれた。

「あれは、妖刀村雨という」

 騎士が背後に目をやると、そこには紅の重装甲に身を包んだ騎士が佇んでいた。

騎士は驚嘆の声を上げた。

「騎士団〝赤の狼〟‼」

 騎士は、仲間が呆気なく斬り殺されたときよりも、なお驚嘆した。

紅の騎士は淡々とこう続ける。

「覚えておけ。あれは形状こそ似ているが、我々の振るう一般的な〝剣〟ではない。トウヨウという異国の〝刀〟という武器だ。トウヨウでは我々には想像もつかない執念とこだわりを持って武具を打つと言われている。その〝達人級〟の使い手となれば、お前らが束になっても敵う相手ではないということだ……。だが、騎士に後退はない! 任務を放棄し、国家の盾にならず、ただ下がるものには死のペナルティを」

 刹那、騎士の首を、赤い重装の騎士がはねた。これも見事な一太刀だった。頭が地面に転がると共に、今回は血が流れ出す。

 一連のやり取りを見ていた流浪者の口元がほころんだ。

「ようやくおでましか……。騎士団〝赤の狼〟」

 ぞろぞろと紅い武装に身を包んだ騎士達が、流浪者を囲むように現れ、剣を抜いた。そして、その中の一人が口を開いた。

「トウヨウの妖刀は、人の血を吸うたびに、その切れ味を増していくという。そして使い手はカタナの虜になり、いずれはカタナに自我を乗っ取られるという。放っておけばますます被害者を出すだろう。しかもこやつは麻薬中毒者、名はムサシ。ここで始末しておかなければ、より多数の無辜の民が犠牲になるだろう」

「……良く、理解しているじゃないか。俺はかつてない宿主に巡り合えたわけだ。筋量・筋力も申し分なく、なにより腰が強い。この俺〝村雨〟を振るにはかつてない人材」

 ムサシがそう言い終わるや否や、すかさず最前列の紅い騎士に抜刀した。空気を切り裂く高い音が聞こえた。

 紅い騎士は身をかわし、当たれば絶命は免れられないだろうその一撃を、空振りに終わらせた。

「既に妖刀に自我を乗っ取られていたか、薬物中毒者の自我の弱さに付け込んだと見える」

 流浪者はさも愉快げに、くくくと笑う。

「……乗っ取る? ムサシも喜んでいるがな。闘いが好きな者同士、一つの器の中に二人の人格が存在しても狭くならんのだよ。つまり、俺はムサシであり妖刀村雨だ。もっとも、それが経験できぬうぬ等には、なにを言っているか腑に落ちぬだろう」

 前衛の紅の騎士は首を左右に振った。

「どちらにせよ、この一件は〝我々のライン〟でカタをつけねばならぬようだ」

 紅い武装に身を包んだ騎士が増援としてぞろぞろと集まってきた。騎士団〝赤の狼〟の本隊である。

「……たかが一人に対して、随分な歓迎じゃないか」

「三百八十九。これがなんの数か分かるか?」

「さて……」

「お前の手によって斬り殺された市民、騎士、貴族、魔術士の数だ」

 流浪者はそれを聞いてさぞつまらなそうな口ぶりで、

「さぞ時間を持て余しているようだな、騎士団〝紅の狼〟は。しらけたぞ、幻滅したぞ」

 と呟いた。そして、

「しかし、しかしだ、その幻滅、失望を補って余りある男が居る……俺の後ろに立つ男、うぬが頭か!」

 ムサシは鞘に納めた刀の柄に手をかけたまま後ろを向いた。

「ほう、我が闘気を見切るとは!」

 そこには、銀髪の巨漢が大剣を抜いていた。顎からもみあげにかけて銀色の髭を生やし、ているが、老いている印象はまったく抱かせない。そのギラギラとした眼光は、むしろ途方もない生命力を連想させる。

「うぬが〝伝説の騎士〟フェルグスか……ならば、その大剣は〝カラドボルグ〟だろう。くくく、ようやく、おいでなすったか。死合うに値する相手が!」

 それを聞き終えると同時に、フェルグスは無言で大剣を上段に構えた。

〝聖戦カタストロフィ〟で最も成果を上げた、百戦錬磨のフェルグスのとる構えは、それを見ただけで、一個小隊をゆうに超えるだろう戦力を姿勢だけで分からせる。

 対するムサシは刀を鞘に納めたまま、フェルグスの初動を待っている。

 フェルグスは三白眼で暫く正対したあと、

「なるほど、〝居合い〟だな」

 と言った。

「ほう、うぬはトウヨウの剣術も修めるか」

 ムサシは刀の柄に手をかけて、更に姿勢を落とす。

「お前らは下がっていろ」

 フェルグスは部下たちに後退を命じる。

「御意」

 精鋭達はフェルグスとムサシからすぐさま距離を取った。

 事実上、師団長のフェルグスと、剣豪ムサシとの〝一騎打ち〟となった。

 誰もフェルグスの一騎打ちの提案に、異を唱えないところを見るに、彼の強さに対する部下の信頼は、揺るぎないものであることが推察される。

 フェルグスはムサシに問う。

「居合い術とはとどのつまり〝後の先〟を制するもの、だが俺が〝先〟を取らなければ……要するに、攻めなければ、どうするかね?」

「ならば、攻めさせるのみ」

 ムサシはじわりと半歩間合いを詰めた。これで両者必殺の間合いに入ったことになる。

 フェルグスは少し驚いた顔をしたが、嬉しそうに、

「ほう、我が〝上段の構え〟を見ても臆せず前に出る人類が存在するか」

 と言った。

「朝まで睨めっこという訳にもいくまい」

 ムサシは口角を吊り上げ、嗤う。

「おもしろい。では攻めさせてもらおう」

 フェルグスの巨体により振り下ろされる〝面打ち〟は、現代格闘術でいうところの〝ノーモーション〟の属性を強く帯びたものだった。一般的に強力な一撃は、足、脚、腰、肩、腕、武器の順に力が循環するものだが、フェルグスのそれは、剣が先だった。――まず剣を己が重さと小手先の小さな力で(といってもフェルグスの怪力の前では実に速い)降ろしてから、太刀を浴びせる瞬間に全身を駆動させる。実に本能的に〝見えにくく〟しかもそんな初動の消えた一撃が、ムサシの予想を遥かに上回った速度で頭上に迫った。流石にトウヨウ武術の達人も成すすべがないように見えた、が、それでもムサシは抜刀した。

 強烈な金属同士の激突音が響いた。

 フェルグスの大剣〝カラドボルグ〟とムサシの妖刀〝村雨〟が接触する金属音。火花が飛んだ。

 フェルグスは弾き返された大剣を周辺視野で捉えながら、頭上に抜刀したムサシの姿勢を観察する。

「ほう、受けのみのため抜刀したか」

「――これはこれは、想像以上の代物だな、〝カラドボルグ〟とは。そしてその使い手フェルグス……」

 ムサシは右手をぶらりと下げた。いや、下がったのだ。

「肩が脱臼の様相を呈しているようだが」

 フェルグスは淡々とそう告げるが、表情からは油断の欠片も感じられなかった。

「〝村雨〟と打ち合って刃こぼれせぬ剣、初めてお目にかかる」

 ムサシは自らの脱臼よりも寧ろ、カラドボルグに興味を示している。

「うぬは余程、その刀に魅入られているようだな。しかし、今の抜刀で、肉体を断つのではなく、我が一撃を受けた。貴様にとってそれは正解だったのかね」

 フェルグスは、ゆっくりと再び上段構えを作りながら、ムサシに問う。

「初弾でうぬを切り捨てる気ははなからない。勿体ないからな。まずは、〝カラドボルグ〟と、〝村雨〟のどちらが上。それを確認しておきたかっただけのこと」

「で、その結果は?」

 ムサシは左腕だけでまた刀を鞘に納めた。

「〝村雨〟のほうが優れている。肉体の力は、うぬのほうが上。しかし、剣撃は互角。そういうことだ」

 フェルグスは首を横に振った。

「……ほう、今の一撃が、俺の全力だと思ったのかね」

「その通り。鎧で目視は不可能だが、迎撃に依り感じ取れた。筋力を総動員した、理想的な一撃であった」

 言い終えると、ムサシは〝村雨〟を左手だけで握って異形の構えを創る。

「なるほど、その〝鞘〟なるものが、刃の加速を生むわけか。そして、その力を利用するならば、片腕での抜刀も可能」

「その通り。そして我が肉体は左利き。〝カラドボルグ〟の力は分かった。もう用はない。次で首を飛ばして、楽に屠ってやろう」

 ムサシは静かなるすり足で、再び間合いを詰めに行った。

「――見誤ったな」

 フェルグスはカラドボルグを、更なる高位置に突き上げた。その瞬間、大剣は紅く発熱し、火花を散らす。

「なにっ、剣が発火しただと? しかし〝その類の道具〟と死合うのは初めてではない。だが、その強度、サイズ、重さに加え、火まで纏うという見境なき贅沢さは賞賛に値する!」

 ムサシの声を高揚させてそう言った。

 フェルグスの眼光の鋭さをそのままに、だが瞳孔を見開いた。

「我がカラドボルグを、そこらの油剣と同じだと思わぬことだ――いでよ! 聖なる業火よ、そして知れ! 彼の聖戦を〝カタストロフィ〟と言わしめた所以を!」

 大剣は、溶鉱炉の製鉄のように真っ赤に光り、その身を灼熱の業火に包まれた。

「……それが、カラドボルグの〝真なる姿〟か‼」

 ムサシは初めて平静を装いきれなくなっていた。それが未知の恐怖によるものなのか、強敵を見た高揚なのかは、本人にも分からなかった。

「正面から、決着をつけるとするぞ。村雨、そしてムサシ‼」

 フェルグスは体躯を最大限に活かした高さから、大剣を、地面を割かんばかりに、叩きつけるように振り下ろした。

 だが達人ムサシの反射神経と動体視力はその高速の動作を辛うじて見切り、左腕の抜刀で迎え打った。利き腕による乾坤一擲だった。

 再び、大剣と刀が衝突し火花が舞う。しかし一太刀前と違う点は、カラドボルグの業火がムサシの身体を一瞬にして包み込んだことだった。

 火を払いのける暇すら与えず、長髪と身に纏ったボロ衣は燃え尽き、皮膚も焼け爛れて行く。

「馬鹿な……馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な! 俺は村雨! 最強の刀なり。このようなことが、ある筈がない‼」

 ムサシの肉体がダメージを受けたからか、主人格が村雨に切り替わったのか、そう言った。

「死ぬ前に言うことはあるか?」

 フェルグスは瀕死のムサシに歩み寄る。それは圧倒的強者による、死の行進だった。

 ムサシは、これを見て遂に、自らのフェルグスへの敗北、そして、村雨のカラドボルグへの敗北を受け入れた。

 しかし、それはこの場限りの敗北であり、永劫なる敗北ではないはずだと考えて辛うじて自我を保った。

 焼かれ、見るに耐えない風体のムサシは、人生の終わりを覚悟したのか、最期の一言を口にする。

「くく、教えておいてやろう……エペランシアは滅んでは居ない……。エペランシアは不滅だ!」

「戯言を!」

 断ずるや否やフェルグスはムサシの首を刎ねた。彼にとって敗北者はいたぶりや可愛がりの対象ではなく、命を賭しあった強敵ともだからだ。

「これで終わりだ。妖刀村雨は封印させて貰おう」

 焦げた異臭を放ちながら、ムサシの頭部は胴体から切断され地面に落ちた。間髪いれずにフェルグスがそれを踏み潰す。豪脚によって踏み潰されたムサシの頭蓋は砕け、脳梁が地面に撒き散らされた。

「〝マタ フウイン サレテ タマルカ‼〟」

 脳に直接流れ込んでくるような不快な声音だった。

「なにっ! 頭蓋は確かに潰した……。カタナが喋っているとでもいうのか⁉」

 妖刀の鞘は液体のように溶け、まるで蜘蛛のように、ムサシの腕に絡みつき、異形を晒す。

「〝モット ツヨイ ボディヲ モット ガンジョウナ ツカイテヲ ムサシ オマエデサエ オレヲ ツカイコナセナカッタ……〟

〝エペランシア ヨ コノオレニ サイキョウノ カラダヲ クレ‼ ムサシ ヨリモ ツヨイ カラダヲ‼〟」

 異形の刀と、頭より下だけの人間の融合体が、フェルグス、そして赤の狼達の上を、凄まじい跳躍力で飛び越え、走り去っていく。

 フェルグスは、だが追うことはせず、眉間に皺を寄せた。

「やはりな。またエペランシア……。このことが〝王〟の耳に入ることは断じて避けねばなるまい」

 ――この一介の事件を見ているものは、騎士団〝紅の狼〟だけのはずだった。なぜならそこには、ムサシによって切り殺された二人の死体と。後退して首をはねられた騎士の死体と、赤の狼しか居ないはずだからだ。―――例外二人を除いて……。

「馬鹿な……。カタストロフィで前線に出たお前なら、〝あれ〟を知っているだろう。ミン」

 魔術師装束の長身の男が呟く。

「今の炎、フェルグスさんですね。アルベルト様」

 小柄な魔術士が口を開く。

「おかしい、〝赤の狼〟が動くとは、このファモリア帝国で一体、何が起きているのだ」

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