聖者と呼ばれた男
星河語
第1話
ある国の国境の村で一人の男が死んだ。
彼は親しみを込めて、村の人から「聖者さん」と呼ばれていた。彼は八十年ほどの生涯を閉じたが、村に彼ほどの年寄りがいなかったので、彼がいつから、この村に住んでいたのか詳しく知るものは一人もいなかった。
ただ、村の人々はこう伝え聞いている。この聖者さんはいつの間にか住み着いていたと。
聖者さんは、村はずれの掘っ立て小屋に住んでいた。聖者さんの財産はそれだけで、他に何も持っていなかった。その掘っ立て小屋も、雨の中、ずぶ濡れになって立っているのを見かね、憐れに思った村人が一晩の雨宿りができるだろうと、そのつもりで貸したところ、生涯、その小屋に住み着いた。
その小屋も、村人が何回か立て直してやった。聖者さんは何にもできない人だった。おっとりしていて、のこぎりを持っても満足に引くことすらできず、板の妙な所でのこぎりがつっかえて、前にも後にも進めなくなるという、絶妙な技ができるお人であった。
彼はその生涯を物乞いで過ごした。村人からの施しがなければ、とっくに餓死していただろう。
なぜか村人は、聖者さんを無視できなかった。若い頃から、彼は世捨て人のような暮らしを求めた。当時の村の長老はその姿から、自分に罰を与えているようだと思い、深く追求しなかった。
彼はどこからか掃除道具を手に入れてくると、村の道の掃除を始めた。
毎日、毎日、毎日、毎日。
掃除を続けた。あまり、道路を掃除しているものだから、とうとう村人はここの掃除をしてくれ、とか側溝の掃除をしてくれとか、家畜小屋の掃除をしてくれ、とか頼むようになった。
最初のうちは下手くそだったが、だんだん上手くなり、掃除だけは上手にできるようになった。それ以外のことは、結局、生涯、とんと駄目だった。
掃除をして、彼は代わりにその日を生きる食を得ていた。
彼が村に住み着くようになってから、もう一人おかしな者が住み着いた。猟師である。一日中、何もせず村をよく見渡せる高台に座り込んでいる。しかも、猟師のわりに猟に出かける素振りがなかった。
それなのに、彼はいずこからか食料を得、いつの間にか、それなりの生活をして暮らしていた。村人は訝しんだが、何にもしないので何にも言えないでいた。
そんなある日のことだった。
猟師はいつものように、高台に寝転んでいた。だが、その日は
彼はいつも寝そべっている様子からは想像できないほど俊敏に起き上がると、出かけていった。そして、戻ってくると村人に避難を呼びかけた。
「早く逃げろ…!盗賊団が来るぞ!馬賊だ。早く逃げろ…!」
人々は困り果てた。逃げようにも、逃げるところがなかった。
仕方なく猟師は人々を家の中に入れ、戸締まりをしっかりして隠れているように言いつけた。
そして、馬賊がやってきた。人々は震えながら、しかし、こっそり窓から様子をうかがった。
馬賊の割には、立派な
人々は聖者さんを思い浮かべた。考えてみれば、聖者さんは妙におっとりしたお方だ。もしかしたら、身分の高い方なのかもしれない、と思ったのだ。
だが、人々がそれに応じる前にことが起こった。
普段、寝そべっているだけの猟師が馬に乗って駆けてきたかと思うと、いきなり剣を抜いて振り回し、馬賊達を斬った。
馬賊達は
だが、誰も何も言わなかった。剣士は強かった。たった一人で、馬賊の半分を斬り倒し、怖れた馬賊達は、ほうほうの丁で逃げ去った。死ななかった者も、多くが斬られて怪我をしたのだ。
そこに、いつものように聖者さんが、村はずれの掘っ立て小屋から掃除をしながらやってきた。そして、斬られて死んだ馬賊達を見て、悲しそうな顔をした。猟師をしている剣士が殺した経緯を説明しても、悲しそうな顔をしたままだった。
そして、聖者さんは彼らを埋葬するので、手伝って欲しいと村人に頼んだ。死体をそのままにしておくのは気持ち悪いので、村人達も賛成して死んだ者達を葬った。
聖者さんは、毎日、村を掃除することの他に、死んだ者達の墓に花を手向けるのも習慣になった。
それ以降、たびたび村には“馬賊”がやってきて、猟師をしている剣士が斬り殺し、聖者さんは埋葬し、墓参りをした。
だが、時が過ぎれば、それもなくなった。五年もしないうちに馬賊は姿を現さなくなり、村は穏やかになった。
聖者と呼ばれた男 星河語 @suzurann3
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