第9話 おかえりなさい




「……私はいったい何を見せられているのかしら」

「言わないでよ沙夜ちゃん。僕が一番の被害者なんだから」


そう、僕はただの被害者なんだ。

ちなみに加害者はついさっき、僕の隣がいい、なんて言ってた人である。


「お兄ちゃんのお腹、あったかいね!」

「さいですか」


僕の後に車内に乗り込んだ遙香が急に『やっぱり上がいい!』なんて言い出し、例によって許可を得ずにそのまま僕の膝と膝の間に収まり、『面白いからいいや』の一言でアクセルを踏む込む恭子さん。


これがカオスってやつだ。


「……遙香、あなたはもうすぐ最上級生よ? 年齢的にもいい加減お兄ちゃん離れしたら?」


いいぞ沙夜ちゃん、もっと言ってやってください。


「えー……でもお兄ちゃんはずっとお兄ちゃんだから……」

「誰だっていつかはお兄ちゃんと離れて生活するものなのよ」

「沙夜ちゃん、ちょっと……」

「そうなの、お兄ちゃん……? またどこか遠いところに行っちゃうの……?」

「うっ……」


沙夜ちゃんが秒で言葉のチョイスをミスったせいで、矛先が僕に向いてしまう。


ただでさえ5月からイギリスへ発とうとしているのだ。

もちろん恭子さんには先に伝えたけれど、遙香はまだそのことを知らない。恭子さんが僕の口から直接本人に言いなさい、と電話口で真面目なトーンで諭されたから。


しかし僕の中ではまだ遙香に説明して、軟着陸させる自信がない。

遙香が少しでも精神的に成長し、そして今のような状況でなければ会話の一端に添えるくらいの感じで明かそうと思っていたのに、その目論みが完全に外れた形だ。


「お兄ちゃん……」

「遙香、僕は……」

「お兄ちゃん……?」


そんな穢れのない潤んだ瞳でこっちを見ないでほしい。


並列思考をフル回転させても、やはりこの状況に最適な言葉が見つからず、僕は途方にくれてしまう。


そんなとき、ハンドルを握る恭子さんが視線を前方に向けたまま、口を開いた。


「遙香、千明くんを困らせないの」

「おかーさん……うん、わたし良い子だから、お兄ちゃんを困らせたくない……」

「別に良い子じゃなくてもいいのよ。ただ、他の人よりもちょっとだけ誰かを思いやる子になりなさい。遙香も、千明くんも、そして沙夜ちゃんも、ね?」

「おかーさん……」

「恭子さん……」

「恭子さん……」


破天荒な言動で僕を困らせる筆頭に位置する恭子さんだけど、人として間違ったことは決して言わないので、その点においては誰よりも信頼しているし、僕自身、その言葉に幾度となく救われてきた。


「少なくとも千明くんはしばらくこっちにいる予定なんだから、その間にたくさん甘えたらいいじゃない、二人とも」


その一言がなければ。


「うん! そうする!」

「――っ!」

「…………」


遙香は相変わらず元気いっぱいの良いお返事。で、沙夜ちゃんは何故か下を向いて顔を隠している。

そして僕は、恭子さんの寄越した助け船が泥船に変わったことを確信した。


当初、僕は通夜と告別式が終わったらすぐに東京に帰る構えでいた。

つまり、約三日間。それ以上はあちらで僕を待っているパートスリーの人がような気がしたからだ。


恭子さんはアバウトに『しばらく』と言っていたけれど、果たしてそれは三日間に収まる範疇なのだろうか。


……いいや、どう解釈しても、それはない。


「恭子さん、僕は――」

「どうせ千明くんも向こうに帰ったってすることないでしょ? しばらくはこっちにいなさいな」

「……はい」


当然、彩音ちゃんの件は恭子さんに話していない。だから、恭子さんは決して悪くない。悪くないんだけど……。


「うっ……」


今なら自分の胃がキリキリと痛むのがすごく分かる。


「あ、お兄ちゃん、言い忘れてたけど……」

「……ああ、うん、どうしたの」


この期に及んでまだ何かあるのか、と僕はさらに身構える。

すると、遙香は恭子さんと沙夜ちゃんに何か言いたげな視線を向け、そして二人ともそれだけで何かを悟ったのか、こくんと頷いた。


「「「おかえりなさい」」」


それは、北海道ではなく、故郷に帰って来たことを実感させた一言だった。


「うん、ただいま遙香、恭子さん、沙夜ちゃん。それと、しばらくの間ですがよろしくお願いします」


僕がぺこり、と頭を下げると、三人は互いに目を合わせ、そしてにっこりと微笑んだ。


ああ、やっぱり敵わないなあ……。

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