香る鯨

驟雨

12月23日

 私はキチガイになったのだろうか。いや、すでにキチガイなのだろう。高校を中退し無職として五年間生きてきた。五年間?いや、本当はもっと短いかもしれないしもっと長いのかもしれない。カレンダーに書かれた日付を見ることもなくなり、どれだけの時間が過ぎたのかさえ私にはわからなくなってしまった。恥ずかしい話だ。家では穀潰しにも関わらず未だ両親の稼ぎで飯を食わせてもらっている。

 今日、インターネットを開くと上皇の誕生日にも関わらず労働をさせるとは何事だ!などという労働者たちの冗談交じりの仕事への疲れを感じさせる話題が飛び交っている。こうして働いている人々の言葉を聞くと頭が上がらない。なにせ私はニートなのだ。彼らが必死に働いている恩恵で気付かれたこの日本社会で私は今日も働くことなく怠惰に時間を浪費している。

 そんな生活をしているわけだから当然私が社会から糾弾されるような人間であることは理解している。いわゆる社会不適合者というやつだ。子供の頃はふざけながら自分はそれだと自称していたものだが、いざなってみるとなんとも心を抉るものがある。働かねば、働かねばと思う内にずっとその現実から逃げてきたわけだ。

 だが、自身の事をキチガイだと考えたのはそれが理由というわけではない。勿論それが全く関係ないと言えば嘘にはなるわけだが。

 魚影をみたのだ。それだけ聞くと何を言っているんだこの馬鹿は、海にでも行けば魚影の一つでも見ることもあるだろうと思うかもしれないが、そう話を聞き捨てないで頂きたい。海では見たのではない。夜空で見たのだ。魚影を。それもただの魚影ではない。大きな魚影だった。あれはおそらく鯨だろうか。月明りが夜空を照らし、薄い暗闇が張られた空を、悠々とそれはこの世の物とは思えぬほどの大きさをした魚影が空を泳ぐのを私は見たのだ。

 異質な光景だった。手元にあったスマートフォンで写真でも撮ればよかったなどと今更ながらに後悔するほどには珍しい光景だった。だが写真を撮ることすら忘れえしまうほど、いや、もはやあの時の私は自身の起こしえる行為全てを忘れてしまうほどにはあの光景に引き込まれていた。文字道理呼吸すら忘れていたのだろう。

 あれは一体何だったんだろうと思う。虚無的な時間を食い続けた結果私が見た幻影だろうか。だが到底そうとは思えない。あれは実在だと。そう思わせるほどに力強く、凛々しく、現代風に言えば解像度の高い光景だった。あの鯨の尾のうねりが今でも忘れられない。あの姿を見てしまってから私の脳は鯨の事しか考えられなくなている。あの光景を何度も何度も思い返し、何度も何度も問い続ける。当然何もない自分に問うても有益な解が導かれることはない。だが一つ思い出せることがあった。

 あの鯨が泳いだ時、あの鯨の尾がうねった時、甘い香りがした気がする。あの香りには覚えがある。金木犀だ。甘く季節外れの金木犀の香りが確かに私の鼻を通った。

 あぁ、そうだ。なぜ忘れていたのだろう。確かに金木犀の臭いがした。

 これを忘れてはいけない。なぜだがそんな衝動に駆られる。高校の時使って以来、もうずっと使っていなかった勉強用のノートを取り出す。幸い一つ新品の物が見つかった。昔の私は勤勉だったらしい。使い込んだノートが沢山見つかった。その使い込んんだノート達を無視して、私はまっさらなノートに一つ今日見たそれを書くことにする。


 夜空に鯨がいた。金木犀の香りがした。


私はそう書き込んでノートを閉じた。

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