第14話 ヒバカリばっちゃん
その人物の足下にはすり寄るようにパンDが同伴している。
「失礼をば」
その人物は巫女だった。
しかも幼い。黒髪ストレートボブ。まつげが長く涼しげな目許だ。
博士と同級生くらいだろうか。
その手に持ったお盆には湯飲みと茶菓子、さらに猫缶まで載っていた。温度差によって湯飲みは大量の汗を掻いている。
つーか、まずい。
一般人にソルティライトは見せないほうがいいだろう。
俺はトカゲのように俊敏な動きで拝殿の仏像側の御簾を降ろした。ちなみに御簾とは竹ひごを編んで造られたすだれのことだ。仏像側のソルティライトと出入り口側の俺たちは分断された。外からはソルティライトとサメタマのシルエットしか映らない。光量の関係でソルティライト側からは俺たちが見えているはずだ。
我ながらファインプレーである。
「あんた、なんば勝手やっとっと?」
巫女に睨まれる俺。
これは九州弁だろうか。
「ちょっと季節外れの風邪をひいているから隔離だ。神主にも許可は取っている」
博士の援護射撃だ。
ここのグラサン神主はなんでも許してくれるからな。
「あっそ。あんのグラサンジジイ、また勝手に」
この巫女、いま神主のことをジジイって言わなかった?
いや、まさかな。
巫女がそんな反抗的なわけがない。
するとパンDが御簾の下をくぐり抜けて向こう側にいってしまう。立て続けに海水をガブ飲みしたような悲鳴が上がった。
「ひい、ネ、ネコしゃめ!」
突如、サメタマはうろたえ始めた。
「ネコがどうしたんだよ?」
「あっしはネコが大の苦手なんだしゃめ」
「そうだったのか」
後ずさるサメタマにパンDはネコパンチを繰り出した。サメタマがパンDに蹴鞠のように転がされる影絵が御簾に浮かび上がった。
「ちょっとだいじょうぶとね?」
「気にしなくていい」
心配そうな声を上げる巫女を博士は軽くいなした。
「あっそう、それにしてん暑かね、ここ。エアコンもなかし熱中症になっよ」
巫女はリンゴのように紅潮した顔を仰ぐ。
「地球温暖化のせいやね。未来の地球はだいじょうぶやろうか」
この時代の人は未来の地球が塩雲のせいで寒冷化しているとは思ってないわけだ。
博士は巫女に促す。
「で、なんの用だい?」
「なんの用って見てわからんわけ? ユキムラ」
どうやら博士とこの巫女の女の子は親しい間柄らしい。
すると博士は垂涎の的のようにヒバカリのお盆を見つめる。
「ヒ、ヒバカリ。そ、それはまさか……カステラ」
「そ、ほかにもあっよ」
ヒバカリと呼ばれた巫女の言うとおり他にもお盆の上には和菓子が載っている。
たい焼き、サラダせんべい、わらび餅、モナカ。柿ピー。
つーか、あれ?
ヒバカリって、うちのばっちゃんもそんな名前だったような……。
ただの偶然か?
いや、この九州弁といい、そんなわけがねえ。
ってことは……まさか。
「ばっちゃん……?」
「はあ? ばっちゃんって誰のことば言いよっとね?」
ヒバカリばっちゃんは眉根を寄せる。そして八重歯をのぞかせる作り笑いを浮かべた。
「もしかしてうちのことじゃなかやろうね? ババアって意味ないば、あんた往生しんさいよ!」
「えっと……じゃあ、きみの名前は?」
「はあ? なんでよう知らん人にうちの名前を教えんばと?」
ばっちゃん、昔はこんなにツンケンしてたのか。
長い何月でずいぶんと丸くなったもんだ。
「博士、この子とはどういう関係だ?」
「僕と同じ十六夜小学校に通う同輩のヒバカリだ。いわゆるクラスメイトさ」
「苗字は?」
「ん? 刑部だが……」
そこまで言って博士はピンときたようだ。
俺が初めて博士に自己紹介したとき、博士は俺のヤモリという名前に違和感を持ったように見えたが、実は俺の苗字にこそ引っかかっていたのだ。
博士は俺に耳打ちする。
「でもヤモリ、きみの苗字とは漢字が違うだろ?」
「あー実はそれが言いにくいんだが……」
俺は家庭の事情を手短に説明する。
「なに? 勘当中だって?」
「ああ。だから俺は忍ぶに壁でオサカベって名乗ってるんだよ」
「なんだね、それは……」
「ちょっと、うちほっといてなんばこそこそ喋っとっとよ?」
ヒバカリばっちゃんは訝しげな視線を俺と博士に寄越す。
「ったくユキムラ、ロリコンにうちの名前ば勝手に教えてからに……」
「誰がロリコンだよ!」
「あんた以外おらんやろうもん?」
俺はおばあちゃんっ子だからむしろ逆だっつーの!
……別にフォローになってないか?
「てか、うちも名乗ったっちゃけん、あんたも名乗りんしゃいよ」
「正確にはばっちゃんは名乗ってないけどな」
「せからしかぁ! てか、ばっちゃん言わんとって!」
なんかこの感じ、むかし小学校の時分に女子をおばさん扱いする学生ノリを思い出したぜ。
この場合、マジで俺のばっちゃんなんだけどな。信じられねえよな、普通。
でも地元が同じなんだから肉親に会う可能性もあるか。完全に油断したぜ。
当たり前だが、この時代のばっちゃんは生きている。少女として。
まさか飛鳥神社で巫女をしているとは思わなかったが。
俺はまたもや博士に相談する。
「つーか、俺とばっちゃんは会ってだいじょうぶなのか?」
「深く干渉しなければ重大なタイムパラドックスは起きないはずだがね」
「本名は名乗っていいのか?」
「いや、それは――」
「もしもーし! 目ば開けたまま寝とっとやなかねー!」
博士が何か言いかけたところで、ばっちゃんが手に持ったお盆のふちで俺の脇腹を小突く。
「うおっ、危ねえ! お茶がこぼれるでしょうが!」
「あんたがとっとと名乗らんけんやろうもん」
なんだ、このクソガキ。お茶菓子を人質に取るんじゃねえよ!
食べ物を粗末にするなって言ってたのはあんただろうが!
ええい、こうなったらままよ!
というよりは、ええい、ババアよ!
俺は一世一代に名乗る。
「俺の名前は忍壁家守だ」
「おさかべ……?」
ばっちゃんは拍子抜けしたようにお盆を自身の胸元へ引いた。
「どがん面白か名前の出てくっと思ったらなん? 同じ苗字とね。そんない早う言わんね」
「漢字は違うけどな。俺の場合は忍ぶに壁だ」
「ふーん。よう漢字の違うってわかったやん」
「あーえっと……よく間違えられるからな。
「ふーん」
「せっかく刑部なんて珍しい名前なんだから、将来は警察官にでもなるといいぜ」
あはは。と俺は笑って誤魔化す。
「なしてうちの夢ば知っとっと?」
畜生。
藪からヘビが出やがった。
「あーっと……そ、そんな気がしたんだよ」
俺は話を逸らすことに死力を尽くす。
「俺の場合、下の名前のほうが変らしいけどな」
「そう? よか名前やと思うばってんね、イエモリ」
「イエモリじゃなくてヤモリだ!」
家守をそのまま読むな。
俺の人生ではよくある間違いである。
「はいはい。ヤモリね」
「呼び捨てかよ」
「なんね、年上やけんって、さん付けされると思っとったら大間違いやけんね!」
「いやそれで言うと、あんたのほうが年上なんだけどな」
「やけん、それやめい!」
こっちもやめたくてもやめられねえんだよ。
生まれてからそうなんだからよ。
「つーか俺が言ってんのはそういうことじゃなくて、俺のことはヤモちゃんって呼んでくれよ」
「ヤモちゃん? なんそい、キモっ!」
本家のばっちゃんにはそう呼ばれてたんだけどな。
まあこのばっちゃんも本物だが……。
何十年も経つと人は別人になるらしい。
三つ子の魂百までっていうのはどうやら迷信のようだ。
ばっちゃんは切り替えるように手を叩く。
「せっかくの冷たかお茶もぬるくなるけん、はよう食べよ」
「そうしよう。カステラが僕を待ってる」
博士は待ちきれない様子だ。カステラが好物らしい。
俺は疑問を差し挟む。
「水を差すようで悪いが、ここで飲食していいのか?」
「神主が和菓子持ってけって言っとったけん、よかやろ?」
とことん緩いな、あのグラサン神主。
ともあれ、俺たちは車座に座って和菓子を喫食する。
すると御簾の向こう側が騒々しい。
俺がそちらに視線を滑らせるとサメタマがパンDに転がされていた。
「たすけてしゃめ!」
とそこで、ばっちゃんがカパッと猫缶を開ける。パンDはいち早く察知して御簾の下をくぐり居間側に戻ってきた。どうやらこの神社には野良猫用の猫缶が常備されているらしい。
神社あるあるなのだろうか?
「ふん、所詮は獣しゃめ」
青息吐息のサメタマ。
すかさず俺は御簾をたくし上げて袖の下のようにたい焼きと湯飲みを差し入れる。
「サメタマ、たい焼き食うか?」
「やったしゃめ!」
いちもにもなくサメタマは飛びついた。
「サメもたい焼き、食うんだな」
「当たり前しゃめ。熱いもの以外なんでも食べるしゃめよ」
「猫舌なのかよ、サメのくせに」
ソルティライトにはサラダせんべいを差し入れた。
ソルト人も和菓子食べるのかは知らんが。
もし食べなければ代わりにサメタマが食べるだろう。
御簾の向こうに映るソルティライトのシルエットは高貴な雰囲気を醸し出している。
お盆に残っているのはモナカとわらび餅だった。
「どっちがよかと?」
と、言いながらばっちゃんの目はわらび餅に釘付けだった。
「どうせばっちゃんはわらび餅だろ? 好物だったもんな」
「なんで知っとっと……?」
「なんでだろうな」
「もしかしてん、イエモリ……あんた、マジモンのストーカー?」
「ちげえよ!」
俺は怒気を孕ませながらモナカを掴んでガシッと囓った。
具は抹茶アイスと粒あんである。
うまっ。
昔のモナカはこんなにうまかったのか。
俺の隣ではばっちゃんがわらび餅を頬張っている。赤いほっぺが今にも落ちそうだ。
信じられないと思うが、俺はきみの息子のさらに息子だ。
つまりはあんたの孫なんだぜ。
なんだかこうして話してると、昔こうやってばっちゃんと縁側で和菓子を一緒に食べた思い出がつい蘇ってしまう。
まさかまたこんなふうにばっちゃんとおしゃべりできる日が来るとは思わなかったぜ。
「なに、あんた……泣いてんの?」
口元にきな粉をつけたまま、ばっちゃんは心配そうな表情で見つめてくる。
「あれ? おかしいな」
俺は郵便局の制帽を深く被り、こみ上げる熱い雫を隠した。
「ストーカーとかゆって悪かったちゃん……」
「いや、違うんだ……ただ、抹茶モナカがずいぶんとおいしくてな」
「……そんない、よかばってん」
そんな俺とばっちゃんの会話を聞いていた博士は「やれやれ」とばかりにお茶を一口飲んで一服した。
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