第6話 月光時幸村へ

 あんなにもうるさかったはずのセミの鳴き声が遠くのほうに聞こえる。現実を受け止めきれない。どのくらいの時間、そうしていたのかもわからない。

 ただセミの声がじわじわと鼓膜に戻ってくるとともに質問が投げられた。


「で、それがどうしたのだね?」

「どうしたもこうしたも……」


 ありまくりだ。


「いちおう聞くが嘘じゃねえよな?」

「嘘ではないよ」


 そう言って少年は子猫を片腕に抱えたまま、白衣のポケットから長方形の板を取りだした。

 その画面にはカレンダーが表示されている。


「なんだそれ?」

「カレンダーアプリだが?」

「いや、そうじゃなくてその板のデバイスだよ」

「スマホのことかね?」

「スマホ……?」


 そういえば大昔にそんなのが流行ってたんだっけか。


「ちなみにこの機種はRINGOの最新モデルaPhone17さ」

「RINGOって、いやー……あの大塩害によって落ちぶれた企業か?」

「む? RINGOは世界有数の時価総額400兆円越えの企業だが?」


 2024年ではそうだったのか。

 俺がいた時代から70年も前のことだもんな。


「そういえば、おまえ名前は?」

「人に名を尋ねる前に自分から名乗ったらどうかね?」

「俺は忍壁家守。郵便屋だ」


 名乗ったあとに気づいたが過去の人間に本名を使ってしまった。

 しかし後の祭りだ。

 時は戻らない……はずなんだけどな。


「オサカベヤモリ? 変わった名前だね」

「そうか?」

「うむ。親の顔が見てみたいくらいにはね。ちなみに字はどう書くのかね?」

「忍ぶ壁に家を守る――で、忍壁家守だが?」

「忍ぶ壁、ね」


 意味深長に少年は言った。


「ちなみに父親の名前はヤマカガシだぜ」

「さすがに冗談だろう?」

「いんや、アニマルネームなんて珍しくもねえだろ」


 それともこの時代にはいないのか?


「うーむ。キラキラネームの変化系みたいなものかね」


 白衣の少年は腕の中の子猫を眺めながら納得したようだ。

 大塩害前となれば、おそらくこの子猫は本物の猫なのだろう。


「で、おまえの名前は?」


 俺が尋ねると少年は答える。

 しかし、その名前は俺にとってはいわくつきの名前だった。


「僕の氏名は月光時幸村げっこうじゆきむらだが、それが何か?」

「ゲッコージ……?」


 珍しい名前だ。

 その名前はアオイヤー・D・マスクの手紙の宛先人の名前と一致する。

 偶然か?

 いや、そんなわけがない。


「月光時ではなく、博士だ。僕のことは博士と呼ぶように」

 もしくは天才でも可。


 と、月光時少年はそんな的外れなことを言っていた。

 アオイヤー・D・マスクの手紙は2094年の月光時幸村宛に送られたと考えるのが自然だ。

 通常、未来から過去に手紙が送られるわけがないんだから。

 しかし、先ほど俺がこの少年を助けてしまった。

 つまり俺がここにいなければ、この少年は未来には存在しないことになる。

 ならば。

 だとしたら。


「おまえに渡さなきゃいけないもんがある」

「なにかね?」


 俺は懐に忍ばせた年季の入った手紙を取りだす。

 そして告白する。


「驚くなよ。俺は未来から来た」

「別に驚かない」

「ホントか?」

「うむ。僕は天才だからね。驚かないが警戒はさせてもらおう」

「……まあ、だよな」


 勝手にしやがれ。


「だけどな、俺が未来から来たことに変わりはねえ」

「じゃあ何かね、きみは2094年から僕に手紙を届けに来たとでも言うのかね?」

「どうやらそうらしいな」


 誰の差し金か、裏で糸を引かれてそうだが……。

 俺はマリオネットになるつもりはねえ。こんなことを仕組んだ奴をとっちめてやる。

 すると少年はとある日付をそらんじる。


「2009年6月28日」

「あ?」

「スティーヴン・ホーキング博士がタイムトラベラー限定パーティーを開催した。そのパーティーの招待状はパーティーが終わってから送られたという。そして誰も参加者はいなかった」

「パーティーが終わってから招待状送ってんだから、そりゃ誰も来ねえに決まってんだろ?」


 大丈夫か、その博士?


「タイムトラベラーに時間的制約はない。本当にタイムトラベラーがいるのなら未来でこのパーティーのことを知ったあとで出席できるはずだ、と考えたのだね。それを踏まえてもう一度言おう。そのパーティーには参加者は現れなかった」

「…………」

「つまりタイムトラベラーは存在しない。きみがタイムトラベラーなら今すぐにタイムトラベラーパーティーに顔を出すといい。まだ遅くはないはずだ。違うかね?」


 ぐうの音も出ねえ。年端もいかない少年に論破されちまった。


「正直あやしすぎる。死んだトカゲのような目をしているだけでも相当あやしいというのに」

「誰が死んだトカゲの目だ!」


 俺はエリマキトカゲのように口を開いて怒鳴った。

 これ以上、議論を重ねても俺のほうが不利になりそうだ。

 ならば俺の気持ちをまっすぐ伝えるしかない。


「それでも俺は、この手紙をおまえにどうしても受け取ってもらわなくちゃならねえんだ」

「なぜそこまで?」

「俺が郵便屋だからだ。待ってる人がいる限りどこの誰にだって届ける」

「待っていないのだがね、僕は」


 呆れたように月光時少年は言った。


「先ほど命を助けてもらった借りがなかったらとっくに通報案件ではあるが……」


 さらりと怖いことを言われた。

 それから少年は俺の目を見返してからパンダ猫をその場に降ろす。

 そしてそっぽを向いた。


「博士と」

「は?」

「僕のことは博士と呼びたまえ」


 そう言ってむしり取るように俺から古ぼけた手紙を受け取る。

 そして月光時少年……いや、博士は封筒をひっくり返して差出人を確認する。


「Aoiyear.D.Mask……?」


 それからおもむろに赤い封蝋の押された横口を開く。

 中身は一枚の便箋であった。


『2024年8月15日12時4分3秒。北緯35度62分56秒。東経139度77分70秒』


 その羅列した日時を見て博士は目を丸くする。


「これは……僕の字だ」


 博士は座標をスマホのマップアプリに打ち込む。するとその座標は先ほど博士がダンプカーに轢かれそうになった地点と一致していた。

 博士は手紙をピンと弾いてこう結論づける。


「きみはさっきのダンプカーの運転手とグルかね?」

「いや、俺は知らねえよ!」


 疑われるのも仕方あるまい。

 俺でもこの状況ならそう思う。


「俺はただ届けただけだ」

「運び屋みたいなことを言うのだね」

「実際、郵便屋だからな」


 すると手紙からさらりと文章が消える。続けて新たな文字が浮かび上がった。


『2024年8月15日12時59分30秒。北緯35度37分41秒。東経139度47分42秒』


 博士がマップアプリに座標を打ち込むと『東京ビッグサイト』と出た。

 博士はまたもや考え込み、推測を口にする。


「トリックやマジックの類いもある。たとえば炙り出しなどが考えられるが……僕の筆跡なのが実に気に食わないね。つまるところこの手紙は僕宛ての殺害予告状というわけだ」

「よくそんな冷静でいられるな。他人の俺でもメンタルに来るぞ」

「僕は天才だからね」


 博士はそう言ってのけた。

 それから手紙を畳んで封筒に戻しながら問う。


「ところで忍壁家守、きみはどうやって過去に来たというのかね」

「それが俺もよくわかってねえんだ。ソルト人の作った塩時計に突っ込んだら過去に飛んでた」

「ソルト人?」

「宇宙人だ」

「あはは。笑えるね」

「笑ってられるのも今のうちだな。2094年、地球は宇宙人に支配されてるといっても過言じゃねえ」


 俺は大真面目に言った。

 そんな俺を奇妙そうに見る博士。

 それから目線を外して丸眼鏡のツルを押し上げる。


「ふん。そんな突拍子もないことは僕以外には言わないことだね。警察を呼ばれる」

「それはごめんだな」


 未来の警視総監の息子が過去で逮捕されるわけにはいかない。父親に顔向けできん。

 まあ、すでに勘当されてはいるのだが……。

 俺が感傷に浸っている横で博士はポジティブに手を打った。


「うむ! この手紙の真偽を確かめようかね」

「おいおい、まさか」

「そのまさかさ」


 博士は東を指差した。


「いざ行かん! 東京ビッグサイトへ!」

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