鑑定士ロイの伝わりにくい溺愛

阿井 りいあ

第1話 その鑑定士はもう一つの顔を持っている


 町の広場には、「赤」が広がっていた。


 月明かりに照らされた血と、うめき声と、不快な鉄の匂いは、地面にひれ伏す男たちによるものだ。

 その原因を作った元凶は噴水の縁に座って長い足を組み、ニヤリと口角を上げて彼らを見下ろしている。


 赤髪に赤い目。

 整った顔立ちがより彼の狂気を際立たせていた。


「ボスに伝える役はお前に任せる。俺の縄張りに手を出したらどうなるか、よーく伝えておけ」

「ふぐっ、ぅ、わ、かりまし……ぐはっ」


 赤髪の男は、ひれ伏す男の返事を最後まで聞く前に腹部を思い切り蹴り上げた。


「さっさと行け。うかうかしていると警邏けいら隊が来る。お前まで捕まったら誰がボスに連絡するんだ」

「はひ……!」


 蹴られた男は息も絶え絶えに、よろめく足で必死に逃げ出していく。


「後のことは頼んだよ、ルカ。警邏隊には俺の名前を伝えておいてくれ。それですべてが解決する」

「承知いたしました、デルロイ様」


 ルカと呼ばれたシルバーブロンドの小柄な少年は深々と頭を下げると、早速地面に倒れる男たちのほうへと足を向ける。

 表情一つ変えぬルカは、その容姿と体格から一見すると少女に見える。

 しかし倒れる男たちをあっという間にひとまとめにしていく様子から、かなり腕の立つ少年らしい。


 赤髪赤目のデルロイはその様子に軽く目を向けると、満足したように頷いてから暗い町中を一人歩き始めた。


 道中、一人の女性が小走りで夜の町を通り過ぎるのを見つけ、デルロイは足を止めた。

 あまり治安のよくないこの町で、しかも夜に女性の一人歩きとは感心しない。


 デルロイは彼女の前方に回り込んで歩み寄ると、ズボンの両ポケットに手を突っ込んだまま告げた。


「不用心なレディーだ。俺みたいな悪い男に見つかったらどうする」


 ◇


「……って言ったの! それから今ならこの辺りに警邏隊がいるから急いで帰りなさいって。本当に素敵でした!」


 メインストリートから一本外れた道を通り、入り組んだ路地を抜けた先に一風変わった骨董品店がある。

 一年ほど前から営業しているその店では、黒髪黒目の美丈夫店主ロイが鑑定の仕事も請け負っていた。


 儲け度外視の良心的すぎる費用設定、清潔な装いに上品な立ち居振る舞いから、貴族が道楽で商いをしているのではないかとまことしやかに噂されている。


 実際、ロイにとって仕事はただの道楽だ。

 来店客の数が少ないおかげで、こうして素敵な常連女性客とお喋りに花を咲かせる時間が多く取れるのだから。


 しかし、この女性客の話題が少々いただけない。

 ロイはムッとしたように口を尖らせながら反論を試みた。


血紅けっこうの公子は実際、悪い男では?」

「そんなことありません! 無害な人には平民相手でも親切ですよ。誤解されやすいだけだと思います。あの方は紳士です!」


 だが、彼女の公子に対する熱の前にあえなく撃沈。

 ここは否定するよりも大人しく話を聞いたほうが良さそうだと判断したロイは、諦めたように苦笑を浮かべた。


 彼女の思う血紅の公子のイメージは、一般的なそれとはかけ離れている。


 血紅の公子。

 彼はスカイラー公爵の末息子で、この町を牛耳っている人物だ。

 酷く暴力的で、特に歯向かう者には暴虐の限りをつくす容赦のなさで有名だった。


 ひとたび暴れると血の海ができることと、彼の容姿からいつしかそんな呼び名がつき、狂気の公子に敵う者はおらず彼の存在は人々を震え上がらせている。

 だが彼がいるからこそ悪さをする者もほとんどおらず、いてもすぐに粛清されていたためある意味で平和が保たれていた。


 それを知る数少ない人物の一人が彼女というわけだ。


「僕もなかなかの紳士だと自負しているのですがねぇ」

「もちろんロイさんはとても素敵な紳士ですよ。私の知る限りもっとも女性に優しい方です」

「それは嬉しいお言葉だ。ただ僕は、貴女にだけ特別な紳士でもありますよ?」

「ふふっ、本当にお上手なんですから」


 女性はコロコロと笑うと、ハッと何かに気づいたように口元に手を当てた。


「いけない。そろそろ休憩の時間が終わってしまうわ。お話を聞いてくださってありがとうございます、ロイさん、ルカくん」

「いえいえ。またいつでもお越しくださいね。レディー・メラニア」


 メラニアと呼ばれた女性はご機嫌な様子で店を出て行く。

 そんな彼女の後姿を眺めつつ、出ていく際にドアベルがカラコロと鳴るのを聞き届け、ロイはふぅと一つ息を吐いた。


「メラニアさんの彼を思う気持ちは本物だね。困ったな」

「何が困るんです? 喜ばしいことではないですか」

「何も喜ばしくなどないよ! どうしてよりにもよってなんだい? 目の前に、こんなに魅力的な紳士がいるというのに!」

「それは、そうですけど……」


 シルバーブロンドを揺らし、淡い水色の瞳を細めたルカが呆気にとられたように告げる。


 なぜなら、店主ロイが嫉妬する相手というデルロイ・スカイラーは、


「僕は、鑑定士ロイとして彼女に振り向いてほしいのさ。スカイラー公爵家の末息子、デルロイではなくてね」


 店主ロイのもう一つの顔なのだから。


 ロイは髪を掻き上げながら天を仰ぐと、今度はフッと自嘲気味に笑った。


「最大のライバルは自分、か。僕ほど完璧な紳士はいないからね。この世の誰よりも強敵だ」


 自己肯定感の高すぎる男ロイの目下の悩みは「いかに彼女を振り向かせるか」であった。

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