RHS
大学博士というのは、多忙すぎて出会いがない。しかも理系だと、世間の女性からは「チー牛」と揶揄されるというおまけがついて、更に人気がない。忙しいから手軽にカロリーと栄養が摂れるチーズ牛丼+紅生姜が合理的な食事だということに気づかない世間の女性は、自身の食事・栄養管理をどのようにしているのかいささか疑問だ。勝手にチーズ牛丼を食べている相手を愚弄して、自分は生クリームたっぷりの糖分の塊やらどのくらい砂糖を使ったかわからないスイーツをSNSにアップしているのは矛盾している。
ところで今日、僕はデートだ。デートの相手はマッチングアプリで出会った、都内の自称・カフェ店員。大学博士が気軽に人気カフェの店員とマッチングするなんて、どうかしていると思うだろうか。
マッチングアプリは最初、統計に使うために利用していた。そのときに僕は彼女を見つけた。僕はただ、彼女の名前に惹かれたのだ。彼女の名前には「数字」が入っていたから。彼女の名前は素数で構成されていた。だから美しい名前だと思ったのだ。
しかし、彼女は待ち合わせして出会った瞬間、僕のつま先から頭のてっぺんまでじろりと値踏みするように見てから「今日は洋服でも見に行かない?」と言った。僕の服はそんなにダサいのだろうか。
しばらく銀座の街をうろうろしたが、僕は服になんて興味がなかった。ただ彼女は僕に「こっちのほうが高級だよ?」とか「博士なんだから、もっとおしゃれしなくちゃ!」とかまるで僕をペットか見せびらかす動物にでも仕立て上げようとするかのごとく振る舞って、ただただ不快だった。名前は素数として美しいのに、性格のほうは名前と見合っていないようだ。
不快な分、腹がへるのは早かった。
「そろそろお昼にしない?」
「そうだね、私もお腹へった! 何食べる?」
軽い質問の裏に隠された真の問。『あなたはこの私をどこの高級でおいしいお店に連れて行ってくれるのかしら?』。僕は彼女を近くの店に案内した。
「え……町中華?」
「嫌いだった?」
「そんなことないけど……」
不満か。まぁいい。
店はそんなに繁盛しているとは言えなかった。繁華街の休日昼なのに並ばずに入れたし、席も空席がいくつもある。そんな中僕らはカウンター席に座った。
店内では有線で流行りの音楽が流れている。僕と彼女はしばらく無言だった。僕は疲れただけだったし、彼女もきっと僕とのデートに満足していない。
彼女は多分、僕の肩書に惹かれたんだと思う。大学博士というのは、彼氏や夫にするにはそれなりのステータスなのだろう。だがそれは「彼女の肩書」ではなく「僕の肩書」なのに。
「あ、この曲知ってる! 最近流行ってるバンドの曲。博士も聞いたことあるでしょ? それとも研究が忙しすぎてあんまりこういう芸能には興味ない?」
流れている曲に反応した彼女に、僕は冷たくこう言った。
「この曲はy=cm+m²だね」
「は……? えっと、どういう意味?」
「僕はね、曲が数式に聞こえるんだよ」
「ちょっと意味がわからないんだけど」
彼女が困惑していると、次の曲に変わる。
「これ、私の好きな曲なの」
「ああ……これはb²-ab²<0だ。くだらないな」
「……くだらないですって? さっきから意味わからないことばっかり。あんた頭おかしいんじゃない!? もういい! さよならっ!」
彼女はそう言い捨てて、店を出ていった。
「はいよ、ラーメンとチャーハン……って、先生。どうする? ラーメン頼んだお姉ちゃん、予想通り出て行っちゃったけど」
「だから僕はチャーハンを頼んだんですよ。月1回のラーメンとチャーハンの糖質は、生クリーム山盛りのドリンクを毎日飲むよりは幾分マシだ」
「ははっ、相変わらず何言ってんだかわかんねぇや!」
町中華の親父さんはカウンターにラーメンとチャーハンを置くと、また仕事に戻る。僕は彼女のオーダーしたラーメンから食べ始めると、スープをすすってボソリとこぼした。
「彼女もまた、僕の右辺にはなりえなかったか」
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