龍亀討伐作戦 その後
※こちらは「龍亀討伐作戦(一)、(二)」のその後のおはなしとなっております。
灼熱の夏が過ぎ、落ち葉が舞い、風が冷たさを増し始めた頃。
旅人・オルオーレンは
「問題はどこから出国するかだけど……」
西の関所から入国した彼は半年かけて国を周り、北の関所から出国するつもりだった。
しかし実際に行ってみれば、北の関所は異民族との睨み合いが続き、固く閉じられていたのである。
それがオルオーレンが国のほぼ中央に位置する王都に戻ってきた理由だった。
華国の東は海だ。これからの季節は海が荒れるので、東の関所はそもそも選択肢に入れていない。
となると。
(西から入ったんだから、折角だし南から出ようか――)
そう考えていた時、王宮から続く大通りが
オルオーレンは近くにいた壮年の男性に訊ねた。
「なにかあるんですか?」
「出兵だよ」
そう答える男性は背伸びして前方の様子を伺ってから、慌てて跪き首を垂れた。
ふと気がつけば、周りも皆同じように頭を下げている。
オルオーレンもそれらを真似して頭を低くした。厄介ごとは御免である。
やがて地鳴りのように無数の足音が近づいてきた。甲冑が揺れる音が一定のリズムを刻み、砂埃が舞う。
音が遠ざかると人々は起き上がり、街は再び喧騒に包まれる。先程の男性がようやくオルオーレンの方を見た。
「なんだ、あんた他の国の人か。傭兵って感じでもないな……商人か?」
「いえ、旅人です。今の兵隊さんたちはどちらへ?」
「ああ、知らないのかい。西だよ、西の関所だ」
そこに近所の人と思しき男が会話に入ってきた。
「なんでも
「こんなことは建国以来……あ、もとになった国も含めてな、何百年も起きてないっていうぜ」
「一体なにが起きてやがんだ? 魔獣が国に入り込んじまったら、そのうち王都にも押し寄せてくるんじゃねえか?」
「そんなことあり得ねえだろ……皇帝がなんとかするって」
オルオーレンの周りにはいつしか人が集まり、井戸端会議の場となっていた。
(西の関所……)
ある懸念が浮かんだオルオーレンは、盛り上がる会話を聞き流しながら顔を
「責任は取れないって言ったけど……」
腕を組み、うんうん唸って独りごちたあと、西の方角へ渋々歩き出したのだった。
*
軍の補給用馬車に乗せてもらったオルオーレンが西の関所に着いたのは、一週間後のことだった。
人の良さそうな兵士に頼んだら快く乗せてくれた。これは幸運としか言いようがない。その兵士があとで上官からこっぴどく叱られていたのは見なかったことにする。
関所周辺の村に住む人々は既に避難しているらしい。辺りは兵士がごった返し、物々しい雰囲気が漂っていた。
明らかに浮いた風貌のオルオーレンは当然目立ち、すぐに位の高そうな兵士に肩を掴まれた。
「お前、何者だ! 今この地には、兵以外の者が近づくのは禁じられている!」
「えっと、僕は旅人でして、この関所から出国しようかと――」
「今は関所を開けられるような状態ではない!」
厳つい顔つきの兵士がオルオーレンを追いやろうとしたその時、聞き覚えのある声が遠くから聞こえてきた。
「おーい! あんた、あの時の旅人の兄ちゃんじゃねえか!!」
そう叫びながら走ってきたのは、入国時にオルオーレンを検問した濃い顔の兵士だった。
「あ、どうもご無沙汰して――」
「なんとかしてくれよぉ! あんた、
関所の兵士は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら
「なに……? この者が
「そうですうぅ」
上官と思しき兵士にジロリと睨めつけられ、オルオーレンはとりあえず笑みを浮かべてみせる。
その時だった。
「来たぞーーー!!!」
城塞の上から見張りが大声を上げた。続けてサイレンのような鐘の音が響く。
やがて、地鳴りのような音と揺れが近づいてきた。関所の門戸、そして国を囲む堅牢な壁の向こうから響くそれは、徐々に大きくなっていく。
「兄ちゃん、ちょっと見てくれよ!」
おっさん兵士がオルオーレンの腕をガシッと掴み、城塞へと引っ張り出した。あれよあれよと引きずられていく旅人に、上官は渋い顔でついて行った。
*
「これは……」
国壁に設けられた城塞から国の外を見下ろしたオルオーレンは、思わず呟いた。
草原を埋めつくす、黒い波。
それは大きな一本角を持つ、サイに似た大型魔獣の群れだった。
「スタンピード、ですね」
「なんだそりゃ!?」
「見ての通り、動物や魔獣の大群が一斉に同じ方向に向かう現象ですよ」
慌てふためくおっさんとは裏腹に、オルオーレンは淡々と答える。
「そのまんまだな……。いやそれより! なんでそのすたんぴー……? とかいうのが起きてるんだ!?」
「おそらくあの龍亀を倒したからでしょうね」
太眉のおっさん兵士の目が点になった。
「僕、言いましたよね? 龍亀が死んだあとのことに責任は取れませんって」
絶句するおっさん兵士に代わり、上官が低い声で訊ねる。
「どういう意味だ?」
「半年ほど前に倒したあの龍亀は間違いなく生態系の頂点でした。大型の魔獣を捕食するのはあの龍亀くらいだったのでしょう。それがいなくなったことで、魔獣同士の数や生息域のバランスが崩れた。天敵がいなくなった草原に押し寄せてきているんです」
生態系の頂点を失った影響がどういった形で、どれくらいの期間を経て表面化するかはわからない。今回スタンピードという形で表れたのは、オルオーレンの予想より随分と早かった。
「ど、どうすればこの群れは収まるんだ!?」
オルオーレンの言葉の意味を理解し、真っ青になった兵士が訊ねる。
「どうしようもないですね。増え過ぎればそのうち減るでしょうけど、何年かかるかわかりません。バランスが崩れるのは一瞬ですが安定するには時間がかかります」
「そんなあ……兄ちゃん、龍亀を倒したようになんとかできないのか!?」
「無理ですね」
おっさん兵士が膝から崩れ落ちた。
この兵士が龍亀討伐を依頼してきたのは、決して私利私欲のためではない。龍亀がいることで不利益を被っていた村を助けたかっただけである。オルオーレンもそれは理解している。だから依頼を受けたのだ。
そうこうしているうちに、魔獣の群れは国壁の目前に迫っていた。そして――
「うわあ!!!」
壁に魔獣が一斉に激突し、城塞の上にいたオルオーレンたちにも強い振動が伝わった。
関所の分厚い木の門戸が、ミシミシと嫌な音を立てる。
「門が突破されるのは時間の問題ですね」
「嘘だろ……」
項垂れるおっさん兵士の後ろで、上官は声を張り上げ指示を出していた。弓矢を構えた兵士たちが慌ただしく動いている。少しでも魔獣の数を減らそうとしているのだろう。
しかし、相手の魔獣の表皮は硬い。
(矢がどれくらい効くか……。――ん?)
魔獣の大群を見下ろしていたオルオーレンは、魔獣の足音や振動で聞こえなかった、もう一つの地鳴りにようやく気がついた。
顔を上げれば、地平線よりずっと手前に、いつの間にかそれは存在した。
「あれは……」
呟いた、その時。
けたたましい咆哮が、衝撃波となって大地と空気を震わせた。
「うわっ!」
オルオーレンは咄嗟に耳を塞ぐ。鼓膜がじんじんと痛んだ。
目下には、驚いた魔獣たちの群れが一斉に乱れる様子が広がっていた。
「な、なんだあ……!?」
狼狽する兵士の横で、オルオーレンは遠くに見えた動く丘を見つめて言った。
「新たな陸の覇者のお出ましですね」
ひとつの丘のような甲羅。それを支える石灰岩のような足。にょきりと飛び出した竜の頭には、ギョロリと光る金色の目と鋭い牙。
その正体は、龍亀だった。
まだ若い個体なのだろう。オルオーレンが仕留めた龍亀より三回りほど小さいが、地震のような立派な足音を響かせ、悠々とこちらに向かってくる。
「新たな、って……?」
「そりゃあ龍亀にも縄張りはありますからね。空きができたら儲け物ですよね」
混乱した魔獣たちは列を乱し、我先にと逃げ出していく。お互いを踏みつけ合い、まるで大乱闘だ。
弓を構えていた兵士たちが、それをぽかんと見下ろしていた。
魔獣が粗方散った後、おっさん兵士がはたと気がついた。
「おい……今度はあの龍亀が向かってくるんじゃねえのか!?」
動揺は波のように伝播する。魔獣はともかく、あの丘、もといあの甲羅に弓矢が効くとは誰も思っていなかった。恐れ慄く兵士たちの中には逃げ出そうとする者も出て、上官が怒鳴り散らしている。
しかし龍亀は、オルオーレンたちから三キロほど離れた位置で止まった。
金色の目が、こちらをじっと見つめている。
やがて新たな草原の主は関所に背を向け、ずしんずしんと大地を震わせながら去っていった。
「行っちまった……助かった……」
おっさん兵士はへなへなとその場に座り込んだ。
「そんなに遠くには行かないと思いますよ」
「へ? つうことはなんだ……あのちょっとだけ小さい龍亀が、この辺に住み着くっていうのか……?」
「スタンピードに襲われ続けるのと龍亀と共存するの、どっちがいいです?」
「…………」
がっくりと項垂れるおっさん兵士の横で、オルオーレンはオレンジ色に染まる空と遠ざかる巨大な甲羅を見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます