異変
一九九〇年 二月九日
村に三度目の痣を持つ男児が産まれた。
「また呪いの子供だと騒がれる、健司の時のような悲劇は二度とごめんだった。俺が様子を見に行くと、予想通り正和もその場に来ていた」
この頃から正和は、新しい観光地を雲島に作る算段をつけ始めていた。その観光予定地に、呪いの噂は都合が悪かったのだ。
「産まれた赤ん坊は博史といった。当然、健司のときのように両親は子供を守ると思った。だが違ったんだ」
博史の両親は呪いを恐れた。加えて、村の権力者である正和に子供を引き渡すように言われ、博史の両親はそれに従った。
村の発展のための犠牲。
そんなめちゃくちゃな理由で、博史は今にも連れていかれそうになっていた。
「このままでは博史が殺されてしまう。だから俺は提案したんだ。自分一人で、博史が八つになるまで面倒を見ると」
清八の提案は受け入れられ、正和は金も出した。八つを過ぎても生き続ければ、呪いの疑いも晴れる。
清八は産まれたばかりの博史と二人きりの生活を始めた。母の温もりを求めて泣く命は、清八をすぐには受け入れなかった。
物資は最低限で、ミルクが足りなくなると重湯なども与えた。おしめを変え、一晩中抱き、吐き戻して汚れた服を夜通し何度も変えた。
あらゆることを尽くしても、博史には母も友も、もらえたはずの愛も足りない。毎日笑い、毎日謝った。泣き止まない博史を毛布で暖かくして、寒空の下、泣き止むまで一緒に空を見た。
ただここに生きている。それだけのことがとてつもなく尊かった。愛しかった。
自分の元へ這って来られるようになる頃には、清八の胸で安心して眠るようになってくれた。
おぼつかない足で立ち、懸命に腕にしがみつき、自我の制御がうまくできずに清八を嫌がるようになっても。何度も叱り、何度も謝り。たった二人で生きた。
自分を父と呼ぶ博史の幼く高い声は、今でも清八の脳裏に強く焼き付いている。
「楽しい、ひとときだったよ」
「やめてよそんな言い方。博史くんは今も生きているんでしょう?」
清八は首を横に振った。
「やはり八つになる年の誕生日に、死んじまったんだ」
涼子は眉を寄せ、涙を堪えた。
博史が死んだことは島の皆に伝えられるが、あろうことか清八は人殺しの疑いをかけられることになる。
「はあ? なんで清さんが人殺しになるわけ!?」
冗談も休み休み言ってもらわないと敵わない、と涼子は怒る。
「二人きりで生きていたから。死んだことを知らせたのが火葬を済ませた後だったこともあって。俺が手に負えなくなって殺したのだと、そう言われたんだ」
正和は博史が死んだと同時に清八を殺人犯にしようと、はじめから考えていたのだ。
しかし。清八に詰め寄った正和はその異変に顔色を変え、状況は一変する。
「俺も言われて気がついたんだ。自分が、若返っていることに」
清八はこのとき五十七の歳であったが、その姿は二十歳前後に見えた。
「自分でも驚いた。そして同時に、壁書村にある
壁張蔵の内壁は文字の羅列で埋め尽くされている。そこには壁書村に伝わる不老不死の青年アンクの名や、例のノートに書かれた呪いの内容が記されていた。
遥がノートに目を落とすと、清八が指を差しながら説明する。
「まず、最初の二行はそのまま。背中に痣を持って生まれた子供は八歳で死んでしまうという意味だ。常人以上の治癒力には心当たりがあるな? その次の、
栄介は良く吐血をしていた。それに対処していた両親は、まず間違いなく血に触れている。
栄介が木から落ちて腕に傷を負った時、診療所まで連れて行ったのがリン。
田中晶子は診療所の看護師で、しかも栄介を取り出した助産師でもあったのだ。
「洋平のときは皆、焼けて死んでしまったからな。その他には誰も死んでいない」
「清八さんは八年もの間、博史さんを育てていて一度も血に触れなかったのですか」
遥の問いを、清八は否定した。
「それが最後の行。
「それは、具体的にはどういう」
遥が話を続けようとすると、清八がそれを止めた。
「今日のところはこれくらいにしよう。もうすぐ陽が落ちる。そうなると村まで降りるのが難しくなるからな。ふもとまで送ろう。明日、また来るといい」
清八は遥たちを送り、また迷われても困るからと、明日は壁張蔵の前で十時に待ち合わせることになった。
「清さん、とてもいい人だったわね。情に熱い方だし、お酒も美味しいし。でも、あれで八〇歳なのよね。私は歳をとっちゃうし、そうしたら困るわよね」
うーん、と。涼子は大袈裟に顎に手を添えてポーズをとる。
「へえ。そういう対象ですか。翔太に言いつけますよ」
「い、いやね。冗談よ」
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