赤鷲の戦士と生贄の雨
片海 鏡
第1話
年に限られた時期にしか雨の降らない乾燥地帯の国。日照り1ヶ月を超え、来るはずだった雨季の予兆すら見えない東の地にラダンの村があった。
〈赤銅色の山に飛来した竜が、水源を独占している。竜を倒したものに、我が村でもっとも美しい娘を与えよう〉
村長の発言は瞬く間に話題となり、各地の腕自慢達が集まった。
そして、水源に住みついた竜をエンテムの町に住まう若き戦士ルクスエが、見事討伐を果たした。
「一体これは、どういうことだ!!」
町長の孫である黒髪の男の声が響く。
エンテムの町の出入り口で、花嫁を待っていた町の人々は戸惑いと困惑の表情を浮かべ騒めく。
戦士ルクスエが竜を討伐してから約2週間。やって来たのは、赤い花の刺繍がされた古ぼけた黄色の布を被った花嫁。そして、花嫁を乗せる青みがかった鱗と羽毛を持つ痩せた走竜だ。
鳥と竜の特徴を合わせ持った2足歩行で走る竜。草食寄りの雑食性であり、人慣れする走竜は人々の貴重な移動手段だ。
走竜は人々の生活に密着するため、それに乗って来訪しても誰もおかしいとは思わない。
問題は、布から顔を出したのは、やせ細った青年だったからだ。
年は十代後半だろうか。鼈甲色の軋んだ短い髪。暗く淀み、生気の欠片も見えない左は黄、右は緑の瞳。肌はくすみ、頬は痩せこけ、目の下には濃い隈がある。身に付けている合金の装飾品は大振りのルビーが目を惹くが、どれも黒く錆びついている。靴を履かず、着ている服も祝いの席とは程遠く、着古され過ぎて今にも破れてしまいそうだ。
町の人々は、その哀れな姿だけでなく、彼の持つ髪と瞳の色に驚いた。ある者は一歩後ろへと下がり、ある者は家の中へと隠れた。
それは、災いをもたらす〈忌み子〉と伝承されている色だ。
「我々を騙したのか!!」
町長の孫は怒りを露にし、腰に携えていた鞘から剣を抜こうとした。
周囲の人々は慌てて彼を止め、諫める。既に台無しとなった祝いの席であるが、血で全てを終わらすには心苦しいものがあった。
「殺すなら、一瞬でお願いします」
傷んだ喉の奥から、枯れた声が響いた。
命乞いをせず、ただ淡々と状況を受け入れた青年は、馬を降りた。
「ですが、どうかこの走竜だけは助けてやってください。私をここまで運んでくれたんです」
青い走竜は、青年に顔を擦り寄らせ、嘴を器用に使い彼の髪を毛繕いする。
「優しく、賢い子です。貴方達に懐けば、きっとよく働いてくれます」
青年が優しく首筋を撫でてやると、走竜は喉を鳴らし、尻尾を大きく揺らした。
ラダンからエンテムまでは、山脈や谷を超える為に走竜でも4日はかかる。やせ細った走竜の体力では、更に時間が必要だ。よくよく見れば、青年に比べて走竜の毛並みは綺麗に整えられ、手入れされている。
青年は自分が死んでも、走竜が町の人に受け入れて貰えるように世話をしていた。
「なぁ、俺の花嫁はどうしたんだ?」
新築にて結婚式の準備を行っていた花婿のルクスエが、いつになっても来ない花嫁を迎えに来た。
推定18歳。赤みのある短い黒髪に、赤い瞳。筋肉質だが細さもあり身軽そうな体をしている。精悍な顔立ちをしているものの、表情と動きの節々に幼さが残っている。背に大きな赤い鷲の刺繍が施された礼服を着込み、腰の革のベルトには祭事用に宝石の装飾が施された金の短剣を携え、首から下げている4重の首飾りには多様な竜の鱗と牙が用いられている。
生命力に満ちた彼と青年は余りにも対照的だ。
「ル、ルクスエ」
「その、今到着したんだが……」
町の人々はどうすれば良いか分からず、口籠る。
「ルクスエ! 俺達は騙されていたんだ!」
「テムン。そんなに大声を出して、なにが……」
幼馴染の滅多に見ない怒り様に驚くルクスエだったが、走竜の傍に居る人を見て、ある程度状況を把握した。
近い年頃のやせ細った忌み子と痩せた走竜
ラダンの村からやって来た花嫁だ。
「命がけで戦ったというのに、ラダンは約束を違えた。村一番の美しい娘では無く、やって来たのは忌み子だ。町に災いをもたらさないように、ここで始末しなくては」
「落ち着けよ。そんな短気で物事を決めたら、余計に災いが降りかかるぞ」
ルクスエはテムンを諫め、青年へと近づいた。
諦めきった彼は物怖じせず、ルクスエが目の前に来ても表情を一切変えなかった。
「はじめまして。俺の名前はルクスエ。あなたの名前は?」
「……」
「あなたの名前を知りたいんだ。教えて欲しい」
口を噤んだ青年の目の奥に、疑念の色が僅かに浮かぶ。
テムンは苛立ち、何か言いかけるが、ルクスエに止められた。
「わかった。あなたが言いたくないのなら、それでかまわない。けれど町に暮らすのだから、名前が無いと不便だ。俺が呼び名を決めても、良いだろうか?」
「この町にこいつを置くつもりか?」
テムンだけでなく、町の人々も驚き、どよめいた。
「彼は俺の元に来たんだ。町の皆が彼を人として扱えないのなら、俺の所有物とする。処遇をどうするかは、俺が決める」
「忌み子だぞ」
「俺は、よそ者だ。忌み子なんて、信じない」
ルクスエの言葉に、テムンは反論できなかった。
11年前。戦争によって行く当てをなくし放浪する一団の中に、幼いルクスエがいた。中継地として町に訪れた一団は、ルクスエを置いて行った。食い扶持を減らす為であり、子供ならば受け入れて貰えると甘い考えがあったからだろう。
貰い手はいるはずが無く、一部の町の子供達はルクスエを〈よそ者〉と呼んで揶揄うと、石を投げた。親たちは我が子を止めず、ゴミを漁る彼をいないものとして扱った。テムンとその友人はどうにかしようとしたが、大人達は動いてくれない。
そうしているうちに、聖地巡礼の旅を終えた町長が町へと戻って来た。
町長は物陰に隠れているルクスエの存在に気付くと手を差し伸べ、彼に危害を加える子供と傍観する親を叱りつけた。そして、ルクスエに名前と住む居場所を与え、薪割りや水汲みなど簡単な仕事をさせ、食事を与え、教養を学ばせ、1人で生きられる様に手助けをした。
今でこそ町の人々から信頼の厚いルクスエだが、根幹には〈よそ者〉としての生い立ちと自覚がある。
伝統も文化も、それに追随する誇りも、一歩引いた場所から眺めるばかりの彼にとって、忌み子なんてどうでもよかった。
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