魔法少女と改造人間
佐良
第1話 MAN
時刻はお昼を過ぎた頃だろうか。
何階建てだか忘れてしまったビルの屋上で、おれは人気の無い路地裏を見下ろしていた。
手に収まるサイズに見えるのは、アパートと思しき廃虚だった。人口分散が進んで、一部だが東京もすっかり廃虚が目立つようになってしまった。
おれの身につける白黒のカジュアルなウィンドブレーカーのフードが、風速四メートルほどの風を受けて、旗がゆらゆら靡くよりも控えめに揺れている。
おれは目にかかって痒い前髪を、右手でかき分けて、額を搔いた。これがおれの癖だった。最近は髪を切る時間も無い。おれの髪はぺたりと頭につかず浮くから、風を受けると面白いことになる。
ふと、おれの人差し指に小さなアリが登った。黒色で、脚がくすぐったかった。触覚の間に、見慣れない角のようなものがはえている。少々奇妙に思ったが、おれはその人差し指を口に近づけ、アリを口に入れた。
「なんだこれ、不味いな」
不快な苦味がして、歯で噛んで唾液まみれになったアリの死骸を、おれはビルの下へ吐き出した。
両耳のワイヤレスイヤホンからは、ずっとラジオの音声が、振動が頭へ流れている。
『おととい港区に大量出現し、魔法少女によって撃破された魔物、「アンデッド」の残骸の消毒処理が今日午前九時三十分ごろ終了したと、東京都が発表しました。これからは周辺地域の復旧と被災者の支援に力を入れるとともに、アンデッドを撃破した魔法少女・レイさんには······』
また魔法少女か。最近来る日も来る日も魔法少女のことで、嫌になる。
「ああ、くそ。もういい。B、ラジオを切ってくれ」
おれがそう言うとラジオが切れて耳が静かになって、今度は機械音声が頭に響いた。
『分かりました、マン。しかし、あなたは三十二分と十一秒前に、最新のニュースが聴きたいと私に言いました』
「魔法少女の話題は聴きたくないんだよ。おれとあいつらがしてることは一緒なのに、自由に戦うだけでちやほやされる魔法少女達を見てると、嫉妬とかその他諸々でおかしくなりそうだ。今、魔法少女の話題を取り上げて無くて、最新のニュースが分かるところは他にあるか?」
『いいえ、マン。全てのチャンネルを検索しましたが、九割が魔法少女、その他が音楽を流しています。諦めて魔法少女の話題を聴いてください。それに、あなたのその様子を見るのは、とても愉快です』
「うるさいぞ、この出来損ないめ。そんなに言うんだったら、お前の人間性指数をゼロにして、口答え出来ないようにしてやってもいい」
『ごめんなさい、マン』
Bの声は、こころなしかしゅんとしているように思えた。ちょっと言い過ぎたかと、おれは思った。
「まあいい。言い過ぎた。じゃあ仕事に取り掛かるぞ、相棒」
『分かりました、マン。私の相棒』
Bは相棒という言葉と響きを心から気に入っていて、お気に入りのおもちゃをずっといじっている子供のように、その言葉を反芻している。正直鬱陶しいとは思っているが、それはそれでかわいらしいので好きにさせている。
「で、この間ゴブリンと接敵した特戦群が生き残りに付けた発信器は、あの廃虚アパートから信号を出してるぞ」
そう言っておれは眼下の二階建てアパートを指差した。アパートの壁には若干の緑が見える。
『マン、あそこに入る時は気を付けた方がいいでしょう。通常、ゴブリンは群れを形成します。あのアパートも巣になっている可能性が高いです』
「まあ大丈夫だ。おれが奴らに負けたことがあるか?」
『しかし注意をすることは大切です。相棒。魔物は何をするのか、まだよく分かっていません』
「ああ、大丈夫だ。しっかり分かってる」
おれはそう言って、ビルの屋上の縁に足を乗せた。肩に掛けているF2000アサルトライフルを手で触って、深呼吸した。ウィンドブレーカーの下に着ている戦闘服の胸には、鞘とそこにククリナイフがしまわれている。今日は風と太陽が丁度いい塩梅で気持ちがいい。
こんな日にゴブリンを相手にするのはいささか気が乗らないことでもあった。
「よし。行くぞ、B」
『了解、マン』
Bがそう言う終わる前に、おれは屋上から地面の無いところへ足を踏み出した。両手を広げて、風を一身に受けるように、ビルから緩やかに落下していた。髪が持ち上がり、服が激しくばたばたと揺れて、内臓が浮く感覚でいっぱいになった。
地面へ戦闘靴の裏を向けて、そのまま廃虚アパートの屋上に着地━━━とはいかず、屋上が大きな音を立てて破れるように陥没し、おれはそのまま室内へ、態勢を崩して背中から落ちた。格好良く決めようとしたが、完全に失敗だった。
「痛え」
体中がびりびりとした。しかしすぐにここが敵地の真ん中であると理解し、おれは素早く起き上がった。
周囲を見る。このアパートはおかしなことに、二階の床、即ち一階の天井が無い。それどころか部屋を区切る壁も無く、二階分のアパートの広いスペースが一緒になっていた。足元が瓦礫が散乱して、少し動くと音が鳴った。塞がれていない窓から、絶え間なく広い光が入り込んで、一つの大きな空間となったこの廃虚アパートの唯一の光源となっていた。
そして敵の存在にも、おれは気が付いていた。おれの義眼のサーモグラフィー機能は、暗闇に紛れるゴブリンどもの群れを完璧に捉えていた。
おれが単独で入り込んだと理解したゴブリンどもは、徐々におれに近付いて来ていた。そのうちの一体が窓から入り込む日光に照らされ、おれにはっきりと体を見せた。
どいつもこいつも見た目は同じで、人型。身重はおれの半分くらいで、体格は非常に細く、栄養失調で死んだ子供のような見た目をしている。異臭を放つ皮膚は濃い緑色で、およそ健全とは思えず、目は単色の黄色、耳と鼻は極端に尖って顔のバランスが悪い。ゴブリンは何も持っていないやつもいれば、瓦礫や石、鉄パイプを握っているやつもいる。奴らは暗闇でも目がよく利くが、それは義眼にサーモグラフィーを搭載してるおれだって同じだ。
『マン。背面と、体中のカメラからあなたの戦闘をサポートします』
「ありがとう、相棒」
そうやって戦闘を開始した。
F2000の人間工学に基づいたグリップを握って、まずは正面へ二発。五・五六ミリのNATO弾が、ニュースフィードをスクロールするよりも速く一体のゴブリンの頭を貫いた。動かなくなったそいつを見て、周囲の奴らが暗闇で目を光らせぎゃあぎゃあ鳴いた。
「お前らの言葉は分かんねえよ」
そう呟いて、おれは光の浮き上がる場所へ手当たり次第にぶっ放した。サーモグラフィーから、赤い体温がどんどん消えて行く。乾いた銃声と、地面に落ちる薬莢の気持ちのいい金属音。おれは直立不動で撃ち続けた。
『マン、しゃがんで。後ろです』
「むうッ!」
Bの警告で、おれは声を出しながら勢いよく膝を曲げ、しゃがんだ。直後、頭の上を鉄パイプが過ぎていった。おれは後ろを向いて、地面を蹴り、少し後ろへ下がってからまた二発撃った。ごぼごぼという音がして、また倒れる。
「弾切れ」
おれはそう言って、目の前へ飛びかかってきた奴の頭をぶん殴った。頭が砕けて、おれの顔とグローブに緑の血が飛び散った。F2000を床へ置く。
『マン、今度は右』
その言葉で、おれは右を向いて投擲された瓦礫を避け、細い体へ回し蹴りを叩き込んだ。ゴブリンが吹き飛び、壁へ叩きつけられる音がした。続いて前から二体がサーモグラフィーに映ったので、素早く距離を詰めて両手でそれぞれの頭を掴み、地面へ叩きつけるように勢いよく押し付けた。頭蓋骨が割れる感触。嵐のように吹き出るゴブリンの血、脳、眼球。グローブがねちょねちょして気持ちが悪い。異臭も放つから最悪だ。おれはBへ聞いた。
「B、あと何体だ」
『あなたの全身のカメラを確認しました、マン。周囲にはあと八体残っています』
「分かった。とっとと終わらせよう」
そう言っておれはグローブを締め直した。
◇◆◇
時刻はお昼過ぎくらいだろうか。私━━━二階堂麗奈、もとい魔法少女「レイ」━━━は昼休みをこっそり抜け出して、魔物の気配を感じた廃虚アパートの前へ来ていた。ここら一帯は魔物がよく出没するので廃虚だらけ、変身するにもこそこそしなくていいので楽だ。
光り輝く純白のドレスはまるで鎧だが動きやすく、軽くて防御力だって非常に高い。右手の甲には魔法少女の力の源、この世で最も白いと思えるような魔石が埋め込まれている。その右手で、ドレスに似つかわしくない鋼鉄の大きなブロードソードを私は引き摺っている。
ここに来る途中、このアパートから銃声が響いていた。出来るだけ早く向かったつもりだが、誰か襲われていたらもう遅いかもしれない。
最悪の事態になっていないことを祈りつつ、一階の適当な部屋の窓を剣で破って入る。そこには、信じられない光景が広がっていた。
「うおッ、眩しい」
男性の低い声。
窓から差し込む明かりに照らされて、闇と一体化しそうな黒いウィンドブレーカーを着て、フードを被った男が一人、銃のようなもの━━━アサルトライフルというやつだろうか━━━を手に持って、立っていた。
天井の無い広い空間で、ゴブリンの死体が放つ異臭に鼻がつんとした。目の前にいる銃を持った男は、顔がよく見えず、服に何か染みていた。
「あなたは、一体誰なの?」
ひり出した言葉が、それだった。
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