えげつない夜のために 外典1 邑﨑キコカ危機一髪
九木十郎
外典 1-1 デキの悪いカスな3D映画
ヤボ用で公安の本庁舎にやって来たところまでは良かったが、香坂医師に見つかって掴まってしまったのは失敗だった。
先だって現場に投入された新規品の第一期実務データが揃いました、よろしければ複製をお渡ししましょう、などと言われて医師の研究室に引きずり込まれたのだ。
邑﨑さんに偶然この場で出会えたのは幸運だった云々。調子の良いことを宣っているが、わたしには不運以外の何者でもなかった。
この膨らんだ肉団子に関わると
そしてまた訳の分からない事を言い出している。
「弱点世界?」
あたしは疑念七〇パーセント、不機嫌さ三〇パーセント、うるせえコッチは暇じゃねぇんだ指数一二〇パーセントで威嚇したのが、相手は毛ほども気にせずセールストークに勤しんでいた。
「そうです、わたしがこの機材に付けた仮称です。正式には内面脆弱部位自己診断導入器などと、格式張って長ったらしい名前が付いています。でもそれじゃあ味気ない。なので分かり易い名前にしてみました」
目の前には以前にも増して肥え太った、公安の暗部に住み着く怪しい精神科医がにこやかに微笑んでいた。彼が説明しながらポンポンと軽く叩くのは、腰ほどの高さの四角いチェストの様な機材だった。
ああだこうだと実に得意げに、どうでも良い講釈を垂れている。だが何をどう説明されようと、あたしにはアヴァンギャルドなレターケースか、不機嫌そうな郵便ポストにしか見えなかった。
「ほうほう、なるほど。その様な苦心の末にようやくその郵便ポストが完成したのですね。おめでとうございます。それではあたしはこれで」
「ちょ、ちょっと。ちょっと待って下さいよ邑﨑さん。ここからがイイところ、じゃなくてあなたに臨床テストをお願いしたいんですよ」
「臨床テストぉ?」
胡乱な機械のウンチクを開陳するだけでは飽き足らず、何だその不穏な響きのお願い事は。普通に考えても断固拒否、返事はする前から決まっている。
「全く以て御免被ります」
「そんなツレないことおっしゃらずに。誰しも弱さを抱いて居ます。そしてそれは常に不安や自信の揺らぎにつながるものではありませんか。
あなたは手練れの使い手ですが、最初からそうだった訳では無いでしょう。我らの知らぬ所で思い悩むこともあったのではないのですか。紆余曲折もあったのではと思います。
ましてや日々尋常為らざる務めを果たしているのです。自問自責葛藤は一般の我らには思い及びつかないでしょう」
「相変わらずよく回る舌ですね」
「役目上必要に迫られておりますから。しかし普通の者は口下手です。自分への問いかけすらままならない事が多い。でも現実から解き放たれた状態なら、うっとうしい枷からも自由に為れるのではないか。自分を見つめ直す一助になるのではないか、そう考えたのです」
「一助?」
「そうです。不安を払拭し乗り越えるのは本人でしか為し得ませんが、それを手助けすることは出来ます。自分の欠点を自身に問い直して見つめ直す。自己分析カウンセリングと云えば分かり易いでしょうか」
「自問自答の為にわざわざそんな機械を作ったと」
「この説明をすると皆さん同じように呆れますね。ですが人は自分でも気付かぬ内に自分の一番弱い部分、醜い部分から目を反らしているものです。己の欠点を見て見ぬふりをするものです。そして他者から指摘されれば受け容れ難い。機嫌を損ねて怒り出す人も多いですね。心当たり、ありませんか?」
「・・・・自分自身からの指摘ならすんなり受け容れられると」
「逆も有り得ますが、気付くという一点では重要かと思います」
「しょうもない」
「まぁそうおっしゃらず。邑﨑さんのような経験豊富な方からコメントを頂けると貴重なデータとなります。器機の精度と信頼性を向上させる事が出来ます。協力して頂けるのなら、閲覧権限第二級コード○○○○号の解除キーを差し上げますよ」
「!」
「興味おありでしょう?」
「バレたら減給どころではありませんよ」
「あなたが黙って居ればバレませんよ」
「・・・・いや、しかし」
悪い見返りじゃ無い。だが其処までの条件を出す、その胡散臭さに及び腰になるのだ。
「蟹江國子(二代目)のケアにも貢献できる、と云ったらどうですか」
この腐れ精神科医め。性根はうちの上司とどっこいどっこいだ。あたしは遂に観念して「いいでしょう」と返答をした。
誘導催眠の一種です。夢の中で疑似体験をすることで、自身と向き合うという設定になっていますと説明をされた。
カウンセリング用のリクライニングシートに横たわると、脳波計のようなヘルメットを被り吸盤式の電極を手足や首筋に貼り付けられ、VRマスクみたいな仮面をはめて「始めますよ」と声を掛けられた。
目を閉じていても明滅する光が瞼を通して瞬いていた。うぉ~ん、と唸るような耳の奥をくすぐるような音が響いてくる。
やがて睡魔とも失神ともつかぬ深く落ち込んでゆく感触があって、目を開けるとわたしは訳の分からない所に居た。夢とバーチャルリアリティなゲームを足して二で割ったような世界だった。
何というか気色悪い。
目の前にはよく出来たCG画像的な複製の自分が居て、見た事も無いカフェテラスの椅子に腰を下ろし、お互いにああだこうだと問答を繰り返しているのだ。
確かに自分しか知り得ない疑問点をお互いに指摘して反証しているが、稚拙というか在り来たりというか。わざわざこんな大仰な機械でやらかすような内容じゃあない。民間企業と契約してオンライン用VRゲームでも開発した方が余程に有益だろう。
そんなウンザリした体験の後に、やれやれといった気分で目を覚ますことになった。
「如何でしたか」
VRマスクっぽい物を外すと、期待度一二〇パーセントな香坂医師が覗き込んで来た。
「デキの悪いカスな3D映画でした」と正直な感想を口にしたら、非道く気落ちした表情で「そうですか」とだけ答えた。
「ブラッシュアップは必須ですね。あんなクソな体験ではただ腹が立つダケです」
「それも貴重なご意見として謙虚に受け止めさせて頂きます。ありがとうございました」
「あたしのスマホへのコード解除キーの転送、お忘れなく」
「・・・・分かっていますよ」
ヘコむ香坂医師を尻目に手早く制服を着込むとドアを開け、あたしはようやく本庁舎を後にすることが出来た。
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