第5話 上国府塚機職見聞録

殿方との思い出を綺麗な内にり紡ぎ織り上げたらば、私は村で一等の機織きしょくとなるでしょう。そうして出来た私のはたは、多くの女性の心を魅了します。まるで自分が殿方と恋仲になったかと錯覚しますので。


上国府塚かみこくふづかとは××国の西側にある鵲岳かささぎだけの麓に位置する、自然豊かな地方である。鵲岳は標高千七百四十一米。植生は竹、葛等が多い。志富水系を源流とし、鵲岳の脇に流れる宗生むねお川は初夏には蛍の産卵も活発であり、岩魚などの川魚も豊富である。人口千三百二十二人、特産品は彩やかで絹とも遜色劣らぬ手触りの良い機布しょくふである。

機織とは、織機しょっきを用いて綜絖そうこうを操り経糸たていとの間に杼口ひぐちを作って、緯糸よこいとを通す為に杼口にを潜らせて経糸と緯糸を直角に交差させて布を形成していく職人の事である。熟練工になれば、綜絖を足で踏みながら両手で杼を操る速度は目を見張る程速く、織目も綺麗である。

本日は此の機織の中から一人、興味深い話を聞く事が出来たので其方を記していく物とする。


ーー私は、上国府塚の荒谷に住む上折かみおりシノと申します。歳は十九。五つの頃から機織の母の手伝いとして、糸を撚り、紡ぐ事をしておりました。

此方に住む女達は、皆一同にして機織に携わっており、私の姉達も私同様に機織の技術が幼い頃から身に染みております。

そうして生きてきた私ですが、幼い頃から糸を撚る技術は姉達よりも抜きん出ていると自負しております。私が撚る糸はほつれる事が少なく、目も綺麗に揃っており、丈夫でしなやかな糸になると母から評価して頂けました。

あれは十五の歳でしたでしょうか。当時の私はその日、何時ぞやかに食べた食事の事を思い浮かべながら糸を撚っておりました。何を夢想していたかは覚えておりません。糸を撚り終えた後にはその時の記憶が…いえ、その食事の記憶がないのです。何を食べたか、美味しさ、食感、食後の満腹感。其のどれもこれも綺麗さっぱり記憶から抜け落ちておりました。今日に至るまで、その記憶が取り戻せた事は一度しかございません。

その際に紡いだ糸を母が織布にし、それを購入された私の友達のお姉様が着物に誂えているのを見るまでは、私もその糸を紡いだ際の事を失念した儘の状態だったのです。

友達のお姉様の着物を見た瞬間に、私の脳裏には喪われた筈の記憶が一瞬、思い起こせたので御座います。

その時の私は幾許いくばくかの興奮を抱きました。お姉様には、一体何が起こって居るのか。私の記憶を得て、得る物は一体何だったのか。

私はお姉様に尋ねました。

「もし、お姉様。その着物を着ていて、思う事はありますでしょうか。お姉様がお召しになられている着物、恐らく私が撚り紡いだ糸の機布ですのよ」

「あら、そうだったの?不思議な事なんですけれど…ふふ、浅ましい女と思わないでくださいましね?」

「構いませんわ!着心地の感想を頂きたいの。是非ともお聞かせくださいな」

「この着物を着ているとね、南蛮由来のカレヱライスと言う物を食べた気分になりますの。馬鈴薯と人参を大き目に切り分けて、煮込んで、それからカレヱルウという物と煮込んだ食事ですのシノさんも一度食べて行かれたら、きっとその美味しさの虜になりますわ。」

お姉様はそう言うと、他に話掛けた方の相手をなすったので、私がお話を聞けたのはそこまでですわ。

其れからの私は、日記を書く事に尽力して参りました。ほんの僅かでも記憶に留めて置きたい事は日記に書き、それからは日記に書いた事を思い浮かべながら糸を撚り紡ぐ日々に明け暮れておりましたの。

そうして私の記憶にある物は全て織布しょくふとなりました。

中でも一番評価が高い物は殿方に対する思慕の糸。

殿方との思い出を綺麗な内にり紡ぎ織り上げたらば、私は村で一等の機織きしょくとなるでしょう。そうして出来た私のはたは、多くの女性の心を魅了します。まるで自分が殿方と恋仲になったかと錯覚しますので。

....村の女は、等しく私が織り成す記憶に夢中でございました。

ただ、悲しい事に私が撚り紡ぐ糸はスッカラカンになってしまいました。

なので、貴方様の記憶を観させて下さいましね。

記憶は多少無くなりますが、悲恋を紡ぐ糸は何処に行っても需要がありますのよ。


さぁ、貴方の記憶を私に下さいな。

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