37. 何歳くらいに見える?

 ぼくは《爆笑》のなかに連行されると、カウンター席の一番奥に押しこめられた。

 先ほどあった姿見すがたみはもうなくなっていて、営業中ではあるものの、お客さんはひとりもいなかった。


「これ食べな。さっきのお詫び」

 そう言って、カウンター越しに六角形の皿に盛ったチャーハンが差しだされた。

 チャーシューが花びらのように乗っている、ボリュームたっぷりの一品。牛丼の並盛を食べたばかりだというのに、身体がこのチャーハンを求めている。


 チャーシューの合間に蓮華れんげを差しこむ。引き抜くと光沢のあるチャーハンが湯気を引いてやってくる。

 べったりとした食感が、びっくりするほど濃い味付けにぴったりだ。うまくたとえられないけれど、食べ盛りのわんぱくな子が好んで食べそうな味だ。


「美味しい?」

 お水を入れるコップが積んである、厨房とカウンターの境目の高い板のところにひじをついて、座っているぼくを見下ろしてくる彼女の眼は、なにか思惑がありな雰囲気をたたえている。


「美味しいです」

 素直にそう言ったのだけれど、「どういう風に?」という、あまり食にこだわりのないぼくが手こずってしまう問いを投げつけられてしまった。


「味とか食感とかが好きです」

 味のどういうところがいいのかとか、どのような食感なのかとか、そういうことを言い表す語彙ごいを持たないぼくは、そう答えるしかなかった。


「そう……」

 その答えに満足しなかったのか、彼女はぼくに背を向けて、スタッフルームに引っこんでしまった。

 その後ろ姿を見送ったぼくの頭に浮かんできた疑問は、ぼくはいま、なにをしているのか、という根本的な問いだ。


 ラーメンを食べにお店に入ろうとしたら、裸姿の女性を見かけた。そして、なにも見なかったことにして別のお店で昼ごはんを食べた。

 それで、お笑いライブの時間まで、どこか座って待つことのできる場所はないかと探し歩いていたら、彼女につかまり、「姿見に映ってたんだよね、あなたの姿が」などと言われた。


「せっかく来てくれたのに、追い返すみたいな形になっちゃってごめんね。お詫びにチャーハンをごちそうするよ」

 と言われたかと思うと、有無を言わせてもらうこともできず、店内に連れていかれ、いまここにいるわけだけど……ぼくはお詫びをされる立場なのだろうか。そして、どういう風にすれば「一件落着」になるのだろうか。


 そんなことを考えていると、彼女はふたたびぼくの前にやってきた。

「ごめんね、話の途中に。スマホが鳴ったものだから……」

 ぼくには聞こえなかったけれど、連絡が入ったから離席したのなら、ぼくの受け答えに気分を害したということではないのかもしれない。


「明日の予定がキャンセルになっちゃった。はあ……えるなあ」

「ご予約とかがですか……?」

 こんなこと、いてよかったのだろうか?――言ってから不安になった。


「ううん。オトコのひとと会う約束。今日と明後日は捕まえられたんだけど、あんまり上物じゃなさそうなんだよね。明日会うはずだったひとは、身体の相性がよかったから、リピートしてもらえたのが嬉しかったんだけど……」

「このチャーシューも美味しいですね。すごく味が染みこんでいて」

「あなたは、明日とか暇じゃない?」

「こんな美味しいチャーハンが、この値段で食べられるなんて、すっごくお得ですね」

「無視すんなし」


 無視するだろ。ふつうは。

 さっきのふたりのオトコの会話が、ここにきて繋がってくるとは思わなかった。いや、確定というわけではないんだけど、今日の「約束」というのは、つまりそういうことなのではないだろうか。


「ぼく、こちらに用があったから、きただけなので、用事が終わればすぐに帰ります」

「用がある以外にここにくる理由って、あるの?」

 しかたなく問いにこたえたのに、重箱の隅をつつくような返答をされてしまった。

「一泊するつもりはないので、明日は会うことができません」

「わたし、暇じゃないかとは訊いたけど、会いましょうとは言ってないわよ」


 屁理屈へりくつのようなことを言われて気分を害しそうになってしまったけれど、チャーハンをひとすくいして食べると、怒りは胃の奥底に落とされてしまう。

 胃袋をつかむという表現は、この感覚をさらに高次に引き上げたものなのかもしれない。


「あなたって、なんかヘン。かまいたくなるというか、からかいたくなるというか、なんというか……ともかく、なに言ってもいいやっていう気持ちになる」

 ダメでしょ、それは。ぼくだって、言われるとイヤなことも、さすがにあるわけで。

 でも、なんでだろう。悪い気はしない。


「ところで、わたしって、何歳くらいに見える?」

 その突然の質問に、ぼくはちょっとびっくりしてしまった。初対面のぼくに言うようなことではないのでは……?


 こういうとき、できるだけ若く答えるのがいいのだろうけれど、あまりにも若すぎると反感をかう……と思う。

 だけど、言いよどんでしまうのもよくない。ぼくは目の前の「大人のお姉さん」に、ちょっと若く見積もった年齢を言った。


「二十四くらいですかね……?」

「しらけるなあ。そういうお世辞は」

 ということは、もうちょっと年上なのだろうか。だけど、どんぴしゃな年齢か、それより上の数字を答えられた方が、傷つくのではないだろうか。


 と思うのだけど、ぼくはなんとなく、彼女の言いぐさが気になってしまった。

 なんていうのだろう。求めていた答えではなかった、というよりも、絶対にあててほしかった、というような、がっかりの仕方のように見えたのだ。


 いや違う。絶対にあててほしかった、けれど、その答えを聞くのはイヤだった、だけども、問わずにはいられない……そういう複雑な気持ちが含まれているのではないか。

 きっと、「何歳くらいに見える?」というのは、彼女には重く深く、大切な問いだったのだろう。だとしたら、いったいぼくは、どういう言葉をぐべきだったのだろうか。

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