いつか来るその日のために

 陽光に瞼を焼かれ、レオノティスは眉根を寄せた。たまらず腕で顔を覆ってみるも、強い日差しに照らされるうちにまどろみはどんどん薄れていく。

 森の清浄な空気が緩やかに流れ、何かに頬を優しく撫でられる。

「……今日も可愛い寝顔だね」

 そんな呟きが聞こえてくる。聞こえてはくるものの、未だ覚醒途中のレオノティスの脳は、その言葉の意味を理解しようとしない。

 軽い頭痛に、思わず顔をしかめる。すると今度はゆっくり髪を梳かれる。

「辛いこと、たくさんあったね……。でも、レオは独りじゃない」

 温かく柔らかな感触に包まれ、アプリコットの匂いがふわりと鼻をくすぐる。

 頭の下からは硬過ぎず、かといって柔らか過ぎもしない心地よい弾力とすべすべの感触。そして、人肌の温もりが伝わってくる。

(ああ、膝枕されてるのか……)

 まるで他人事のように考えながら起きてみようと試みるも、半分眠っている身体は芋虫のようにもぞもぞ動くだけだった。

「私は、ずっとレオの傍にいるから。レオが必要としてくれる限り、ずっと隣にいてレオを守るから」

 耳を撫でる鈴のような声とともに、アプリコットの甘い香りが増す。

「……んぁ?」

 ようやく覚醒してくれた脳が認識したのは、視界いっぱいに映った彼女の顔だった。

 ぱっちりと目が合った途端、彼女は斥力でも働いたかのように顔を離す。

「お、おはよ、レオ」

「ああ……おはよ、ドラセナ」

 レオノティスは名残惜しくも身を起こした。既にあたりの風景は現実のものに戻り、あの空間特有の浮遊感も消えている。

「また膝枕しててくれたんだな」

「ん。この方が楽かなって思って。それにくっついてた方が竜脈を安定させやすかったし」

「そっか。ありがとな」

 礼を言いながら軽く首を鳴らす。確かに地べたで寝そべっているよりはずっと楽だ。

「こちらこそ。ありがとう、全部思い出してくれて」

 噛み締めるように言って、背中についた土を払ってくれる。

「そもそも忘れんなよって話なんだけどな」

「記憶をなくしたのだって、元をただせば私を守ってくれたからじゃない」

 照れ隠しに自嘲するも、間髪入れずにフォローされる。

「嬉しかったな。守るなんて言われたの、あの時が初めてだったから」

「《竜師》を守るなんて、普通はできねえし言わねえよな」

「あら。守るっていったって、何も身体的なことに限らないわ。誰かの拠り所になれば、心を守ることができる。アイビーが、レオを守ったように」

「……そうだな」

 どうやら今のは失言だったようだ。

「ありがとう、レオ」

 不意にドラセナが髪をいじりながら、再度礼を言ってくる。

「竜神様と、ちゃんと向き合わせてくれて。最初はどうしようって思ったけど、やっぱり話せてよかったわ」

「もうちょっと話し込んでもよかったと思うけどな」

 竜神を真似てドラセナの美しい髪へ触れる。サラサラの銀糸は何の抵抗もなく指を通し、甘い香りを返してくる。

「最初から欲張り過ぎたら、きっとうまくいかないわ。少しずつ慣れていけばいいのよ」

 ぎこちなさも竜神そっくりなのに、ドラセナは気持ちよさそうに目を閉じて顔を寄せる。

「それに、私を連れ出してくれるって話もありがとう。とっても嬉しかった」

「俺は約束守っただけだっての。というか、俺の先祖も中々のチャレンジャーだな……竜神を連れ出そうとするなんて」

「ふふ。そしたらレオも、中々のチャレンジャーってことになりそうね?」

「……まあ、そうなるか」

 竜神相手に「あんたの娘を連れ回す」と宣言したわけだ。……取りようによっては色々な解釈ができてしまう。

 同じことを考えているであろうドラセナもクスクス笑う。

「レオのご先祖様は、竜神様を守ってくださった。……そう考えると、私たちがこうしてるのも運命なのかな」

「俺は運命なんて信じないな。この腕輪を受け継がせてくれたことには感謝してるけど」

 レオノティスは腕輪のついている右手を掲げた。竜神から竜脈を注ぎ込まれた紅玉は、本来の力を取り戻して眩い光を放っている。

「もう、ロマンがないなぁ」

 ドラセナが少し拗ねたように唇を尖らせる。

「だって運命なんてのが本当にあるんだとしたら、こうなることも全部最初から決まってたってことだろ。アイビーを亡くしたのも、今ドラセナと一緒にいるのも、何もかも」

「あっ……」

「でも、そうじゃない。成功も失敗も、全部俺自身の選択や行動の結果だ。……少なくとも、俺はそう思ってる」

 レオノティスは立ち上がり、ドラセナへ手を差し伸べる。

「……そうね。レオの苦しみも哀しみも、そして《竜脈術師》へ至ったことも、運命なんてたった一言で片付けていいものじゃない」

 ぎゅっと握られた手を引っ張り上げてやる。

「ドラセナとの思い出も、な」

「……ん」

 ――やっと、この子と本当の意味で肩を並べることができたような気がする

 今まで面倒をかけてばかり。守られてばかりだった。

 けれど、それももう終わり。

「こっからは、俺がドラセナを守る」

「うーん……やっぱり男の子だなぁ。別人みたいにたくましくなっちゃって」

 まるで母親か姉のようにしみじみ言われる。ここまでずっと見守り、支えてきてくれたからこそ、照れ臭さよりも感謝の念が先に来る。

ドラセナが天に向かって竜脈を放ち、飛竜を呼び寄せる。

「ね。私の願いをなんでも叶えてくれるって言ってたこと……今でも有効かな?」

 それは、彼女に竜血樹のリースを送った時にかけた言葉だ。

「もちろん。何か思い付いたか?」

「私、竜血樹を見てみたい。この目で見て、竜神様がその名前を私に継がせた意味を少しでも汲みたい」

「竜血樹、か。こりゃまたとんでもねえお題だな」

 何せ竜血樹は、竜神に竜脈を統べる力を授けたとされる伝説上の神木。所在はおろか、竜神以外には存在の真偽さえ定かではない。

「長い付き合いになりそうだけど……守るって約束したんだから、今更か」

「確かにそうかも」ドラセナはいたずらっ子のように微笑み、「私も、ずっとレオを守るからね。前はレオが立ち上がれるようになるまでって言ったけど、守られてばかりなんて嫌だもん。私だってレオの役に立ちたい」

 まっすぐな視線を向けてくるドラセナの頭上から、飛竜が舞い降りてくる。いつかの強襲の際にも協力してくれた、美しい銀竜だ。

 レオノティスは思わず苦笑し、ドラセナの手を握る力を強くする。

「よし。そんじゃ、二人でアイビーの願いを叶えるぞ!」

「はい!」

 竜は二人を乗せると力強く羽ばたき、リルムフェスタに向けて飛び立った。

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