背負うもの
気が付くと、レオノティスは故郷の家のベッドに身を横たえていた。どうしてこんなところにいるのか。わけも分からず周囲を見回すと、すぐ近くに長と医者と――
(お、俺!?)
レオノティス自身が、慌てた様子でやってきた。
『レオ……よかった、ちゃんと帰ってきてくれて。心配、したんだからね……?』
自分の口が、自分の意志とは無関係に言葉を発する。いや、これは……。
(俺、アイビーになってるのか……!?)
というより、意識だけがアイビーの中にあるような感じだろうか。ただ五感や情感はアイビーと共有されているらしく、全身の強い倦怠感や疼痛、そして朦朧とした感覚がある。
『す、すまん。それより一体どうしたんだ?』
『結論から言うと、流行り病にかかってしまったようです』
流行り病にかかってしまった。医者の言葉にアイビーの感情が波立ち、同じ身体で意識を共有するレオノティスにも手に取るように伝わってくる。
――どうして私が……
――嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ! もっと、生きていたい……!
――ずっと、レオと一緒にいたい……!!
想いが強ければ強いほどレオノティスにもはっきりと伝わり、心の軋みが伝播する。
(これは……アイビーが流行り病にかかった時、か?)
高濃度の竜脈に触れたことで、そこに込められていたアイビーの想いが流れ込んできている……?
レオノティスが戸惑う間も時間は進み、長が言い辛そうに口を開く。
『さらによくない情報だが……お前も知っての通り、アイビーはマナの祝福を受けている上、マナの質・量も極めて優秀だ。すると上質なマナを多量に吸い続けた流行り病は、その毒性を強めるらしいのだ。それこそ、一つの村落を消滅させてしまいかねないほどにな』
『実は研究者の間ではよく知られていることなのですが、流行り病の致死率は元々高かったわけではなく、ここ十数年ほどの間に急上昇しているんです。その原因の一つが、彼女のような感染者によって流行り病の毒性が強まっているからではと……』
医者に続く形で、長が一歩前に出る。
『その見解を踏まえてお前たちに頼む。どうか、この村を出て行ってはもらえまいか?』
深い皺をさらに深くして、事実上の追放を勧告してくる。目の前にいる長は、これまで何かと手を焼いてくれた人と同一人物なのか? そう疑いたくなるほどに。
――どうして? 今まであんなに仲よくしてたのに。他の人が流行り病になった時は、みんなで助けてきたのに……!
『な、なに言ってんだよ……こんな状態のアイビーを連れて出てけって!? 冗談はやめてくれっ!!』
――そうだよ……どうして私だけ出ていかなきゃいけないの? 私が何をしたの!?
『村を守り続けてくれたアイギスフレシェの者に、こんなことを言いたくはない。気の毒だと思うし、救いたいとも思う。……しかし私には、アイビーを救ってやるような力などない。私にできることといえば、長としてこの村を守ることだけだ』
『……っ!』
顔を直視することができなかったせいで、アイビーは気付いてしまった。長の握る手が、小刻みに震えていることに。
――なんなの……? これじゃ、私が悪いみたいじゃない……!
アイビーはぐちゃぐちゃになった感情も整理できぬまま、レオノティスの裾を引っ張る。
『私なら平気だから。他の人へうつっちゃう前にお別れしないと。レオとも……』
――こう言うしか、ないじゃない……っ
『アイビー』
レオノティスはアイビーの手をそっと握り、汗で額に張り付いた髪を優しく払う。
『俺は、何があってもお前と一緒だ。二度とそんなこと言うな』
――ありがと……レオ。でも……
『でも、それじゃレオまで……』
『俺の頑丈さはお前もよく知ってるだろ? それに、俺のマナを渡せばお前も少しは楽になるだろうし』
――私は、ずっとここにいたい……レオと一緒に、最後までただ静かに暮らしたいだけ……
――でも、仕方ないよね……。レオや村の人たちにも、事情があるんだから……
(ぅ、ぁ……っ)
アイビーの身に乗り移ったレオノティスにも、彼女の想いが流れ込んでくる。まるで、自分が抱いている感情のように。
なんだ、これは?
これが、アイビーの心? あのアイビーが、こんな感情を抱え込んでいたのか?
(……無理もねえ、か)
アイビーはまっすぐで純粋だった。けれど、聖人君子ではない。事情があったとはいえ、あんなふうに手のひらを返されて何も思わずにいられるはずがないのだ。……例え、表面上は平静を装えたとしても。
『ね、レオ……二人でどこ行こっか?』
『そうだな。お前の行きたいところだったら、どこでも』
気を遣って出たアイビーの質問に、レオノティスが真面目に答える。
『え~……それじゃ多過ぎて選べないよ』
――私は、レオと一緒にいたいだけ……。どこにも、いきたくない……
叶うことのない願いを胸中へぶちまけるたび、頭痛にも似た衝撃がレオノティスの脳を直接揺さぶる。
胃からせりあがってくるものを抑え込みながら、レオノティスはただただ過去の自身の愚行を見せ続けられる。
『もちろん《竜脈術》でさえ病を治せないということも十分あり得る。そうでなくても《竜師》を訪ねるには国境越えの長い道程を越えねばならんし、慣れない環境での生活は弱ったアイビーの心身に大きなダメージを与えてしまいかねない。だがそれでも、私はお前たちが旅立つことを望む。……すまない』
竜脈なら治せるかもしれない――そんな言葉が気休めなのは、アイビーも理解していた。本当にそんなことができるなら、今までに誰かがやっているはずだ。
なのに、レオノティスの目は「一緒に行こう」と言っている。
――そうだよね……みんなを困らせるわけに、いかないもんね……
――アイギスフレシェの家は、代々この村を守ってきたんだもん……。それを私一人のせいで、全部台無しにするわけにいかないもんね……
『絶対に治してやるからな。アイビー』
――そんなこと、できっこないのに……なのに、私を安心させようとして言ってくれてるんだよね
レオノティスは少し痩せてしまったアイビーの手を取り、自らの体温を分けるように両手で包み込んだ。
――ありがと、レオ
――笑わなきゃ……
アイビーは何も言わず、ただ儚げに笑った。
――笑顔作らないと……レオが、心配しちゃう……
「…………」
いつの間にか辺りはまた暗闇に戻り、レオノティスはその場にへたり込んだ。その衝撃で、自分の身体に戻ったのだとおぼろげに理解する。
情報処理が追い付かない緩慢な思考の中、竜神を象る光が現れた。
「よく戻ってきましたね。今まであなたが触れていたのは、竜脈に刻み込まれていたアイビーの記憶です」
「……あのアイビーが、あんなこと考えてたのか」
村を出ろという理不尽な要求に対する怒り。それに迎合したレオノティスに対する失望と諦念。
何よりアイビーがただの一度も不満をあらわにしなかったことが、レオノティスの胸をキリキリと締め付ける。
「あいつはいつも明るくて前向きで、あの時だって本当に平気そうに見えて……。だけど、そんなわけなかった……?」
「そう。アイビーは村を出たくなかった。残された時を少しでも長く、ただあなたと穏やかに過ごしていたかった。……しかしあなたは、そんな彼女の願いとは異なる選択をしました。彼女の強さと、優しさに甘えて」
甘えて――その一言に、レオノティスは目を吊り上げる。
「じゃあ、どうすりゃよかったんだよ……? あのまま村に居座ってればよかったってのか? それで村が滅んじまってたかもしれないのに?」
なんて、醜い。
後悔。責任転嫁。無力感から目を背けた先の、自己正当化。
己の力で生き抜いてきたレオノティスが、心の中で疎み蔑んでいたもの。
弱者や卑怯者の専売特許と思っていたもの全てが今、自身の中にあるのだ。
「そう。村を守るための、苦渋の決断でした。他者を慮ったあなたの選択は尊いものです。他方、あなたがアイビーを連れ出したことで、彼女の寿命が大きく縮まったこともまた事実」
――分かってる
「アイビーほどのマナの持ち主なら、適切に療養することで数年……あるいはそれ以上生きられたかもしれません。あなたの選択が、結果的にそんな未来を奪ってしまったのです」
――分かってる……!
「アイビーは、少しでも多くの時間をあなたと共有したいと願っていた。しかしあなたの選択は彼女に残された時間を削り、あなたが修練へ没頭することで二人の時間はさらに失われた」
「――そんなこと言われなくたって分かってる!! それでも……俺は……っ」
「そう。それでもあなたは、間違っていなかった」
「え……っ?」
思わず竜神の顔を見る。相変わらず表情なんて分からなかったが、レオノティスにはそれが穏やかな微笑のように思えた。
「誰の未来も想いも踏みにじらずに済む道など、ないことの方が多いのです。大切なのは、自分の選択により生じた犠牲から決して目を逸らさぬこと。それが、決断を下した者の背負うべき責任です」
諭すような竜神の言葉に、レオノティスは先ほど見たアイビーの生の感情を思い返す。無邪気な笑顔に抑圧された、強い負の感情を。
――自分はアイビーの心を受け止められていたと思っていた
けれどそれは、ただの思い上がりだった。
レオノティスは顔を上げる。
「あんたの言う通りだ。村を出たことが、正しい判断だったかなんて分からねえ。でも……俺の選択がアイビーの寿命を削って、アイビーの願いを潰しちまったのは事実だ。そこから――結果として出してしまった犠牲や痛みから目を背けることは、もうしねえ」
これは、傭兵として生きてきた過去に対しても当てはまること。
仕方がなかった――他を弱者と見下し切り捨ててきた自分には、こんな言葉を吐く資格など決してないのだ。
「……そして、これからも。何が起ころうと、俺はもう逃げねえ」
最後の一言の意図するところに、竜神は憂いのこもった声を返す。
「そんな高潔さでドラセナを守ろうとすれば、想像を絶する苦痛を味わうことになるかもしれません。今ほど痛感したように、一人の人があれだけの想いを抱え込んでいるのですから。あなたはもう、十分戦いました。……十分、傷付きました。例え守るという前言を撤回したとしても、ドラセナはあなたを責めはしないでしょう」
純粋に気にかけているようなセリフと口調に、レオノティスはこれもまた竜神の本音なのだと理解する。
「俺は、俺の意志でドラセナを守りたいんだ」
そこまで理解した上で一呼吸おいて考えても、結論は変わらなかった。
ドラセナを守るということは、リルムリット王国と、ひいてはセルフィール帝国とも戦うことを意味する。その結果として生じる犠牲を全て受け止めるなんて、竜神の言う通り想像もつかない。ましてや、相手は祖国なのだ。それでも――
「誰かがドラセナの傍にいなきゃ、あいつはきっと《竜師》として独りで全部抱え込む。そこまで分かってて放っておいたら、俺は今度こそ死んでも俺を許せなくなるから」
それが、俺の答えだ――そんな意志を込め、竜神と目線を突き合わす。
「…………似ていますね。本当に」
永遠にも思える沈黙の後、竜神が一言だけ漏らす。レオノティスが何か返す間もなく、周囲の竜脈が輝きを放ち始めた。
「あなたの覚悟、確かに見届けました。……今の気持ちを忘れずに、手を伸ばして竜脈へ触れてみてください」
「……っ」
言われた通りにすると、先ほどと同じ綿のような感覚の中に、陽だまりのような温かさがあった。触れた部分から竜脈が流れ込み、五感を埋め尽くしていく。
光子が集い、やがてアイビーの姿が虚空に浮かび上がった。
――ありがとう
私を拾って、助けてくれて。私にたくさんの愛情をくれて。私を治すためだけに、《竜脈術》に挑んでくれて。
竜脈に刻まれた深い愛情と感謝の念が、レオノティスを包み込む。
「それでも、俺がお前の寿命を縮めてしまったことに……助けられなかったことに変わりねえ」
レオノティスは何度夢に見たかも分からぬ在りし日の妹へ、手を伸ばす。
しかしそれは所詮夢幻。実体のないものに触れられるはずもなく、手は空しく暗闇を掻いた。
「ごめんな……」
何も掴むことのできない現実が、もうアイビーに触れることさえ叶わないということを象徴しているようで。目の前に竜神がいるのに、目の奥がどんどん熱くなっていく。
「何もしてやれなくて、ごめんな……アイビー」
涙が零れないように口元を必死に引き締め、二人でつけた名を呟く。
「確かにあなたは彼女を救えませんでした。しかし救おうとひたむきに努力したからこそアイビーは満たされ、あなたも今こうして私と相対しているのです。どうか忘れないで。あなたは、何もしなかったのではありません」
「……そう、だな」
ただそれも、《竜脈術》の修得に至ることができなければ無駄になってしまう。
もう、アイビーのためにできることなど何一つない。
ならばせめて、一度止めた歩みを再開しよう。そして同じ轍を踏むことだけは――二度と立ち止まることだけはすまい。
それが無力な自分に許された、贖いのような気がした。
「今回はここまで。この修練は精神にかなりの疲労を強いる上、マナを解放し続けている肉体にも相応の負担がかかります。一度竜脈から離れて、心身を休めるといいでしょう」
光が音もなく霧散すると、レオノティスも空中へ投げ出されるような感覚とともに、黒色の空間から解放された。
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