悪女に戻って3度目の正直

隣国から来た令嬢

第1話 望まない逆行転生






 隣国から連れてこられた令嬢は、とても美しく、気高く、芯のある淑女だった。

 家門に縛られ、未来の皇太子妃として我が身の明日に震える私とは大違いの、誰もが納得する強い女性。


 ああ――史上神、ゼクシウス様。

 悪女に戻った私は、そろそろこの立場を放棄しても構わないでしょうか?



 ***



 死ぬ間際のことは覚えている。


 血反吐を吐いて体を何とか起こし、視線の先に見えたのは皇室の紋章が縫い込まれたマントだった。


「――なんて、愚かなんだ」


 私を疎ましく思っている彼の言葉が、胸の奥深くで突くようにこだました。

 

(……せいせいしているのでしょうね)


 ようやくローザリア悪女という厄介事から解放されるのだ。

 しばらくすれば彼の隣には、誰もが認め誉めそやす未来の皇太子妃が立っているに違いない。


「あ……なた、なんて……」


 いつからこうなってしまったんだろう。

 地位に執着するようになり、いつの間にか悪女と呼ばれるようになってしまった。


 いつの間にか、なんて。

 ふざけたことをと咎められてしまう。


 なるべくしてなった。


 私は被害者などでは決してなく、傲慢と嫉妬と欲望を煮詰めて完成させたとんでもない悪女なのだ。



 そして彼は、もう長いことその瞳に私を映してはくれなくなった。


 だけど、最後くらい。

 彼の手によって死ぬ瞬間くらいは。



「あなたなんて、大っ嫌いよ」



 この時ばかりは、地位もしがらみも関係ない。

 まだ年端もいかない少年少女だった、あの頃の自分たちにあった笑みを浮かべて、私は生を手放したい。


「泣き虫、鉄仮面」

「……」

「だけど、でも……ごめん、なさい……こんな私で、ごめんなさい」

「……!」


 私の死を喜ぶ人は多くいようと、心の底から悲しむ人は誰もいない。こんな懺悔も憎くて仕方がないと思われてしまう。


 ああ、もっと言いたいことがあるのに。

 力が出ない。



「――……な」




 ***



「ローザリア様、ご起床のお時間です」


 瞼を揺蕩う光に、目頭がきゅっと動いた。

 窓のカーテンが開けられたのだと気がついて、私はそっと毛布から顔を出す。


「へ……?」


 一瞬、頭が真っ白になる。

 けれどすぐに意識がはっきりしてきた。


 だからこそ、疑問が尽きない。


「私、生きてるの?」


 だって私、ドラゴン討伐で不覚をとり炎に焼かれたはずでは?


 それにしては体の自由が利くし痛みもない。

 診療所にしては煌びやかすぎる室内に、思わず息を呑む。


「ローザリア様?」

「ローザ……リア……」


 私のほうを不安そうな顔で窺っている人物。それは女性使用人メイドの制服を着た若い女性だった。


 ……私の名前は、"リア"なんだけど。

 でも、なんだか強烈に覚えのある名のような気がして、さらに頭が混乱してきた。


 そして、ハッとする。


「ちが、う……ここは、診療所じゃなくて、私の部屋…………?」


 ローザリア。通りで聞いたことのある名前のはずだ。

 でもそれは、隣国で有名な劇団の歌姫だとか、最近巷で流行っているらしい恋愛小説に出てくる登場人物のものではない。


「ローザリア……って、私の名前じゃない……!」

「ローザリア様!?」


 靄が立ち込めていた記憶の奥底が晴れていく感覚がして、私は頭を抱えた。


 異変に気がついた女性が慌てて駆け寄ってくる。

 心配してくれているんだろうけれど、何度も名前を呼ばれるせいか、余計に頭の整理がつかなくなってしまう。


「お願い、します。今は、一人にしてください」

「え……」


 そう頼み込むと、相手の顔つきがあきらかに変化した。


 驚きを通り越して畏怖すら抱いている。


 それでも私には周りに気を配る余裕なんてなく、今は一人になることを望んだ。

 幸いにもメイドは素早く部屋を出ていってくれたので、この訳が分からない状況でもひと息つくことができた。


「なにが、どうなってるの」


 深く思い出そうとすればするほど、こめかみがズキリと痛む。

 それでも先ほど蘇った数多くの記憶を頭の中で反芻した。

 

「ローザリア・フォン・エクリプス。……私の、の、私の名前っ」


 言いながら急いでベッド横のサイドチェストに置かれた手鏡に触れる。


 恐る恐る自分の顔を確かめた瞬間、心臓が大きく音を立てた。


「まさか……こんなことが起こるだなんて」


 白金色の波打つ髪、長い睫毛に縁取られた薄水色の瞳。

 いくら確認したところで鏡に映るのは、懐かしいとすら感じる顔。

 

(…………これって、どういう状態なの? まさか死後の世界? って、そんなわけないよね。しかも、今思い出した記憶は)


  信じられない話だけど、現在の私には二度の人生の記憶が混在した状態であった。


 一度目は、悪女ローザリアとしての記憶。

 二度目は、魔物討伐専門の女傭兵としての記憶。


 そう、私は二度、まったく異なる人間の人生を歩んでいた。

 

「なのに、どうなってるの……なんなのこれ?」


 受け入れ難い状況に拳を強く握った。

 まだすべてを把握したわけじゃないけれど、今強く思うことは一つだけ。


(どうして、また――ローザリアに戻ってるの!?)


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