1‐4


「逃げて、奏真!」


「父さんと母さんはいい! 早く逃げなさい!」


 怒鳴りつける両親と、己の手を引く近所の大人。


「嫌だ! 嫌だぁああああっ!」


 家に押し潰された父と母が、“蒼い目”をした怪物に吸血されるのを、自分はただ泣きながら見ていた。


 葬式で送られてきた両親の死骸はミイラのように干からびていて、生命の尊厳を踏みにじられているような、そんな気さえさせられた。


 もしかしたら、結局のところ自分がダンピールになることを志願したのは、あいつを殺すためなのかもしれない。


「……っ!」


 目が覚めた。


「やあ。おはよう。何度かバイタルが危険域に入ったりしてたから、もう目が覚めないかと」


 女に顔を覗き込まれている。くせ毛の長い茶髪をした女で、緑色の目が好奇心旺盛に輝いている。まるで奏真のことを珍しいおもちゃかなにかのように思っているようだ。


「あれから一日、君は眠りっぱなしだったな。十二時二十七分……お腹は?」


 解剖台のようなベッドの上でゆっくり起き上がる。部屋は、あの訓練室のような場所ではない。研究室のような空間だ。しかし生活臭もする。


 自分の体を検めると、ワイシャツではなく、いつの間にか喪服のような、ブラックスーツに着替えさせられていた。


 白いワイシャツはパリッとしていてしわひとつなく、黒いネクタイはしっかりと巻いてあった。グレーのベストと黒いジャケットもズボンも、やはりそれらしいしわは見当たらない。


 新品のようだ。背中に少し違和感があったのでジャケットを脱いでみると、背中にあの、銀の金具で十字架をあしらったマーク――血盟騎士団のシンボルマークが縫い付けられていた。


 ジャケットを着直し、奏真は質問に答える。


「……別に」


「具合は?」


「少し、頭痛が……」


「だろうね。始祖の血だ。なんの変調も来さない方が異常だろうさ。安心したまえ、そんなものはすぐによくなる」


「はあ……」


 女はコーヒーカップではなく、実験かなにかに使うようなビーカーに注いだ湯気を立てるブラックコーヒーを嚥下した。


 そうして小さな冷蔵庫を開け、そこからコーラの瓶を取り出すと奏真に放った。


 飲め、ということか。


 奏真は指の力だけで蓋を開けると、一口、炭酸の刺激がするそれを飲んだ。コーラなんて何年ぶりに飲むだろうか。


 こんな嗜好品、一般にはほとんど出回らない。何年か前誕生日会で振る舞われたきりだ。


「美味い……」


「よかった、味覚に異常はないみたいだな。ときどきヴァンパイアの血に当てられて味覚が変わって生肉じゃなきゃ受け付けない体になる者とかもいるものでね」


「それは……災難だな」


「その点君は安心だ。目の色が変わったくらいで、特におかしな変異は見当たらない」


「目の色が変わった?」


「ほら」


 手鏡を投げ渡され、覗き込む。


「紫だ……」


 両目が、茶色かったはずの両目が紫色に変わっている。


「なにが起きたんだ?」


「ブラッドアームズ――ヴァンパイアの血は、人体に投与されるとその人間の魂の根幹にある力に左右され、様々な効果をもたらす」


「例えば、どんな?」


「身体能力の増大、治癒力の強化、血装の発現、ソウルアーツの目覚め……大抵、髪の色や目の色が、そうした要素に左右されたものに変わる」


「…………」


 聞き慣れない単語がぞろぞろと出て来たが、今は訊く場面ではないと思い、質問したい気持ちをぐっと飲みこんで堪える。


「時折いる意思や自我の強い子はなんの変化も起きないが、それは稀なケースだな」


「俺の目が紫に変わったのは、俺の魂がそうさせたから?」


「いや、君の場合は第七位始祖『紫電のハンク』の特徴が反映されたと見るべきだろう。詳しくは現地で瑠奈が――君の教育係が教えてくれる」


「……ていうかさ、普通に会話してるけど、あんた誰?」


「ああ、自己紹介がまだだったか。私はリリア・アーチボルト。この血盟騎士団医務室室長をさせてもらっているよ。これからは君の担当医も兼任することになる」


 歳は、二十代後半くらいに見えるが、実際はどうなのだろう。訊いてはみたいところだが女性にその手の話題を振るのは失礼だということくらい奏真にもわかる。


「ははぁ、その顔は私の歳を気にしてるな?」


「あ……いや」


「私はこう見えても四十一。今年、四十二になる」


「え……てっきり、二十代後半くらいかと……」


「君、お世辞がうまいね。将来出世するよ」


 お世辞のつもりではなかったのだが。


「さて、君にはやることが山済みだ。基礎座学に基礎体力強化訓練、部屋も案内しないといけないし、ここの施設も案内せにゃならん。だがなによりも大事なのは、一時間後の初陣だ」


「初陣!?」


「なにを驚く。君はもう一般人じゃない。ダンピールなんだ。ああ、ダンピールってのはブラッドアームズに適合した新人類を指す言葉で、ヴァンパイアと戦う戦士のことだ」


「それは知ってる! けどいきなり実戦って……普通、訓練とか……」


「そうだね、基本はまず訓練室で血装の発現と命名を行い、ホログラム訓練で戦闘経験を重ねて、実験用ヴァンパイアを討伐するというのが普通なのだが……」


 リリアはしかし、と指を立て、


「君は始祖の血を引いたダンピールだからな。支部長の意向で、特別なカリキュラムが組まれている」


「そんな……実戦なんて。俺、ヴァンパイアってアニメの中でしか知らないんだぞ?」


「ああ、民意高揚のためにやってるアニメだな? ならいい。あれに出てくるヴァンパイアや戦闘は実際の戦闘データに基づいて構成されている。ためになるだろう」


「たかがアニメが!?」


「おい、そんなこと言うな。この国は昔、君が言うその『たかがアニメ』で世界的な人気を誇ったんだぞ。私もアニメは大好きなんだ。まあ、ともかくこれ」


 リリアから紙を手渡される。画像付きの紙だ。画像はイヌ科の頭をした人型の、いわゆる雑魚と称されるヴァンパイア、グールだった。


 だが今の自分には恐ろしい怪物であることに違いはない。


「これ……?」


「君が一時間後に戦うヴァンパイアだ。それほど手ごわい相手じゃないし、仮に君が倒せなくても同行者がどうにかしてくれるだろう」


 なら、そう難しく考える必要はないか、と奏真は自分を納得させることにした。もしこれで一人で戦えと言われたなら断固拒否しただろう。


 いくら雑魚といわれようと、戦ったこともない相手とやり合って上手くいく保証などどこにもない。


「さ、第二駐車場に向かえ。ここから出て、大きな廊下を歩いていればエレベーターに出るからな。一階を押すんだ。そうすれば来たときと同じだ」


「え、ちょっと……」


「歩きながら資料に目を通すといい。ほら、もう行け」


 追い出されるように部屋を押し出され、奏真は「どうとでもなれ」と呟いて、歩き出した。


 もうなにもかも、血盟騎士団が悪いのだ。

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